三月三十日

 

今日は、憧れのタージマハルに行く日。


朝目が覚めてから、ずっと胸がどきどきしている。
まるで夢見ていた憧れの人に逢いに行くかのよう。

本当はサリーで行きたかったけれど、昨日一日サリーを着てみて、着慣れていないために意外に体力を消耗することが分かり、動けて楽な格好で行くことに。
サリーは何層にも折りたたんだ布を最後よいしょっ!とお腹部分にしまい込むため、脱いでびっくりお腹にギザギザの締め付けの痕が。。。
もう少し、ギャザーとかフックとか着やすく改良されればよいとも思うけれど、この「一枚の布を纏う」というところに浪漫があるから民族衣装としては今の形が良いのだろうな。
それにしても、これを毎日着ているインドの女性はすごいなあ。
お腹の締め付け、どんな風に緩和しているのだろう??

そんなことを考えながら、朝食を済ませ車に乗り込む。
マヒンさんは昨夜のお叱りが聞いて、しょんぼりしつつもテキパキ真面目に運転手業を遂行している。
やっぱり厳しく言うべきことを言ってよかった、と思った。
そしてタージマハルの入り口付近についたところで、ガイドさんをやっているマヒンさんの知り合いが合流。
彼がボディガードを兼案内をしてくれるという。これは心強い。
そのガイドさん曰く、タージマハルには観光客狙いのスリや詐欺師、痴漢も多く、外国人女性はターゲットになりやすいので危険なのだそう。

あのタージマハルで…??
スリ?痴漢??

と、半信半疑だったけれど、車を降りて納得した。
世界中から押し寄せた観光客と、その観光客を相手にした物売りでタージマハル周辺はごった返していた。
これは軽犯罪が起きていても誰も気が付かない、泥棒たちからしたらチャンスだらけの場所だろう。
入場料も外国人は高い。1500ルピー。現地の方のまた10倍くらいの値段だ。
でも全然いい。わたしは外国人だし、旅行者だし。
ただスリにはお金をおとしたくないから注意しよう。

このガイドさんは、マヒンさんよりずっと紳士で、適度に距離を保ちながらも現地の人がわたしたちにちょっかいを出さないようにガードもしてくれるし、とても丁寧にタージマハルの歴史の説明をしてくれる。
こういう方だと、自然とチップを渡したくなるものだ。
ただ英語が早くてなかなか聞き取れない。
ずっとカタコト英語でこの旅中会話をしてきて、なんだか上達してきた気がしていたけれど、下手同士だったから簡単な単語しか使わないから通じていた現実を痛感する(笑)。
上手な人とだと、ボキャブラリーの数やスピードが全く違う。
英語が話せると、世界中の人々と意思疎通ができるのだから、この旅では英語のコミニケーションももっと頑張ろうと思う。
 

タージマハルへの入り口から入場門へは結構な距離を歩かなければならない。
日陰もなく、日差しにさらされるが、朝の光は柔らかくて気持ちがいい。
まだその姿は見えないタージマハル、内門が見えてくる。
その門だけでも、小さくて可愛いお城みたい!

 

遠くからは小さく見えたのに、実際に近付くとなんと立派な造りだろう。

ここで、胸の高鳴りは最高潮に。
ディズニーランドの入場門をくぐるような、期待と喜びを胸に門をくぐるとそこには…
 

 

 

 

朝の光に包まれた、タージマハルの姿が。

 

 

 



まず驚くのは、その美しさ。

なんという深い白。
なんというシンメトリー。



 

 

とりあえず、お決まりのこのポーズで記念写真。





 

私たち生きている者は、多かれ少なかれ少しの歪みを含んでいる。
顔の歪み、身体の歪み、心の歪み。

でもここにあるのは、限りなく左右対称な完全無欠の美しさなのである。
それが故、眺めているだけで現実ではない世界に誘われたような錯覚に陥るのだ。
神々しい、狂いのない神聖な世界。

ムガール帝国時代に、こんな正確な測量技術があったことにも驚かされるが、何よりもタージマハルの魅力はその建築にまつわる物語であろう。


このタージマハルは霊廟、つまりお墓であり、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが愛する妃のために22年の年月をかけて建築された。
妃であったムムターズ・マハルの死因は出産と言われているので、きっとまだ若くして亡くなられたのであろう。
そしてムムターズはとても美しく、皇帝は妃を心から愛していて、自分の最愛の美しい妃が永眠するにふさわしい場所を…

と、このタージマハルが建てられたのだ。

その建設費用は莫大なもので、当時のムガール帝国が傾くほどだったと言われている。
国が傾くほどの愛…。


よく「傾国の美女」という言葉を歴史上では耳にするけれど、まさにムムターズもそうだったのだろう。





 

タージマハルに入る前には、こうした靴カバーを渡される。
全身で見るとなんだか滑稽だが、確かに人様のお墓なので土足で上がるのは失礼極まりない。
また、白くて美しいタージマハルが汚れてしまわないようにとの配慮なのだろう。


 

タージマハルの物語は、そこで終わらない。

白い大理石の霊廟であるタージマハルが完成した後、皇帝シャー・ジャハーンは目の前のヤムナー川を挟んで向かい合うようにと自分用の黒いタージマハルを造ろうと計画をしていた。


しかし、こともあろうに息子に王位を奪われてしまい、アーグラー城に幽閉されてしまう。
王妃と向き合い永眠する夢は叶わず、幽閉された城から皇帝は毎日遠くのタージマハルを眺めていたらしい。

 



悲しい愛の物語だな…と聞いた時は切なくなったけれど、死後は愛するムムターズと共にタージマハルに埋められ、今も共に永眠していると知り、最後は一緒になれて良かった…と思った。

のも束の間。
タージマハルの中に入ってその人の多さにびっくりする。
ワイワイガヤガヤ、みんな写真を撮りに来ていて、おしゃべり、シャッター音が絶えない。


ひとり、挙動不審な人物がいた。キョロキョロ見回しながら、いろんなひとに近寄ったり離れたり、明らかに行きかう人々を品定めしているよう。
私と目が合い、彼はサッといなくなったけれど、何か不穏な気持ちが残った。
ちよみんに、スリかもしれない人を見た、と言いかけて躊躇する。


あの時感じた気持ちを、
何と言えばよいのだろう。


ここはお墓だ。
皇帝は最愛の妃が安らかに安眠するために、このタージマハルを造った。
22年の年月をかけて、国や自分の地位すらも失って。


そのお墓に…今、スリが格好の仕事場として盗みを働いている。
私が見たのは、スリかもしれないし、ただの変なひとかもしれない。
でもここには世界中の色々な人たちが殺到している。
タージマハルの美しさ故、静寂は訪れない。
今までも、今日も、これからも…。


きっととてもうるさいだろう。安眠を邪魔しているだろう。
そして、その罪を私も犯している。
無邪気に、悪意なく、日本からはるばる。

人のことを言う権利があるのか、わたしだって罪人ではないか。

そう思ったら、死者に対して、愛し合うふたりに対して、とても失礼なことをしてしまっているのではないかという気持ちがこみ上げてきた。
わたしだったら、死後は安らかに静かに眠らせてほしい。
皇帝は、お墓の上を毎日行き交う人々に辟易としているのではないか。


本当にせめて、王妃と共に眠りにつけていてよかった。
この美しいタージマハルの中で、ふたりはどんな会話をしているのだろう。



 

 

ほろ苦い気持ちを抱えながら、アーグラーからデリーへ。

そんな私たちの旅でいただく言葉にできない気持ちを吹き飛ばすように、今日もツヤツヤの笑顔でラーマンさんが迎えてくれた。
けれど、再会早々ニヤリと笑いながら「インドの男と、刺激的な出会いはあったか??」と聞かれ私もちよみんも…((+_+))と、辟易とする。
このボスあって、あのドライバーだわ。。。

いや、本当にこういうやりとりがインドでは通常で、わたしたちが間違っているのかもしれない。
でも、マカオの劉さんたちは紳士で上品だったなあ…と思い出し、この人にはTシャツに名前を書いてもらわないでいいよね、とちよみんと話し合いで即決定する。

部屋に帰り、インド最後のシャワーと食事。
短い滞在だったけど、色々あったなあ…インド。

物欲・食欲・性欲…人間の欲望が時にむき出しで遭遇する国。
人の本来の姿ってなんだろう、何が正しいんだろう、
そんな自問自答を否が応でもさせられる国、それがインド。

日本で見られない光景をたくさん見た。
日本で感じたことがない感情をたくさん感じた。
それこそが、旅をすることの最高の意義だとするならば、
いいことも悪いこともこの国はたくさんのものを私たちにくれた。

インドに来たことは、きっと私の人生で大きな糧となるはず。
そしてぜひまた次回来るときは、今回よりも更に深いインドの姿と向き合いたいと思う。

シャワーを浴びながら、そんなことを思った。

そのあとのカレーを、部屋でちよみんとゆっくりいただく。
このスパイシーなカレーも多分今日が最後。
味わってゆっくり噛み締めて食べよう。

そう思って食べたこの夕食が後にあだとなり、とんでもない体調不良の原因になるのだった。。。

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実はこのインドに行く日程の前後に、バングラデシュに行こうかというプランも当初ありました。
わたしたちのこの世界一周のルートプランニングをしてくださったのが、HISのボビーさんというバングラデシュ人の方だったのです。

ボビーさんは当時既に営業部長さんでしたが、HISで出世していつか母国のためにバングラデシュツアーを作るのが夢、と当時からいつも語っていらっしゃいました。


この世界一周でもぜひお世話になったボビーさんの国、バングラデシュへ行き動画でその魅力を伝えたいと思っていましたが、バングラデシュの魅力は一言では伝わりにくいため、知るには最低1週間かかる、たくさん案内したい場所があるから夢が叶ってツアーが実現したら一緒に行きましょう、と約束をしてバングラデシュに行くのはとっておくことにしたのでした。


それが2009年に実現し、そのツアーに同行させていただいたのがバングラデシュや夫との出会いとなったので、本当にひとのご縁とは不思議なものです。
そういう意味でも、本当にこの旅なくしては今のわたしはなかったんだなあ、と改めて感じている今日この頃です。