世界中のどんな国にも アートというものは確かに存在していて
国の数だけ
人の数だけ
表現の方法も存在するわけで
豊かな国はもちろん
世界的にはそうでないと思われている国でも・・・
今日も人々は 本能的に何かを創り出している。
何もない中からでも
もしくは生活の中で本能的に自然と
生まれてくる。
アートなんて洒落た言葉にあてはめようとする そんな邪な意識すらないのかもしれない
彼らにとってはごく日常的なものが
私たちにとっては
めちゃくちゃアートだったりするわけで・・・
それらを目の当たりにすると、文化や風土、色彩感覚の違いが
こんなにも私たちの内面に大きく変化と影響を与えることに
改めて・・・驚かされます。
(ちなみに これ↑はリキシャという人力タクシーです)
でもどこに行っても同じだなあと思うのは
歌ったり
踊ったり
奏でたり
演じたり
書いたり
描いたり
・・・色々。
わたしたちは
目に見えるもの以外に生まれる
目に見えない何かに豊かなものも感じたくて
一見、生活に不必要に思えることだけど
それによって実は
生きていることを 贅沢に味わいながら 表現しながら
時に楽しんだり
時に憂いたりしながら
一日一日を過ごしてゆく。
そうして生きる中で、わたしたちは良くも悪くも
時々すごいものを生み出してしまって
取り返しがつかなくなる時もあるけど
それで奪ったり 奪われたり
傷ついたり 傷つけたりすることもあるけど
・・・物も 気持ちも。
でも「生む」という行為は
やっぱり希望につながるものだと・・・わたしは信じたいです。
同じように、「生まれてくる」ということも。
今回見た、この途上国と呼ばれる国での、沢山の家族の幸せそうな笑顔。
もうすでに様々なところで言われていることですが
物質的な貧困と心の貧困は
必ずしも比例しないんだなあ…と
心が頷くような 色彩豊かで生命力と笑顔溢れる異国での時間です。
わたしたちには
お金持ちにも貧乏人にも
平等に神様からもらった
「生きる時間」
そして
「想像力」
という 宝物があるから。
それを大切にしている人は、お金もちでも貧しくても、そんなこと関係なくみんな心豊かに生きているように思えます。
この後日本に戻っても…
この感覚を忘れたくない。
こうした熱い、胸の初期衝動は
いくつになっても大切にしたいものです。
きっと日本に戻って東京の生活がまた始まったら、忙しくなって
ここで感じた「生きる」ことの肌触りを忘れてしまうかもしれないけれど
休みが取れない時こそ
お金が底をつきそうな時こそ
生活に追われている時こそ
狭い部屋の中からでも
小さな自分のベッドの中からでも
想像の羽を使って心は飛び回れる人でありたいと思います。
今回の旅の最中、なぜかブルーハーツの歌詞が頭に響いていました。
いい奴ばかりじゃないけど 悪い奴ばかりでもない
聖者になんてなれないよ だけど生きてるほうがいい
昨日のイベントにお越しくださった皆様、ありがとうございました。
20日に、ショウちゃんパパの屋台が出るイベントがあるようだとブログで告知しましたが、訂正。
19日の日曜日のバングラデシュフェアのことのようです!
↓しかしスゴイ人!こんなにベンガル人の方々が日本にいたとは・・・!
あのパパの屋台、探し出せるといいな。