37歳で急性虫垂炎(いわゆる盲腸)になりました。
この記事は、そのときのことを時系列で克明に書いた体験記です。
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1月23日(木)18:30〜 手術室へ
そんな悲しく最悪な気持ちのまま手術を受けて、この感情のまま万が一死んだら天国に行けない気がしたので、夫のことは気にしないことにした。
手術室は無機質だが、近くにいて体に手を置いてくれている看護師さんのエプロンがキティちゃんなので和む。
日本のキャラクター文化も決して悪いものではない。
背中に麻酔の注射を打たれたことと、「点滴に麻酔を入れますよー」と言われたことだけ覚えているが、それきり全く記憶がない。
20:00ころ?
麻酔で朦朧としているなか、誰かが話しかけてくるので、目が覚めた。
喉が痛くて声がでないので、「うー」とか「あー」とか言って多分呻いていたと思う。
そしてめちゃめちゃ寒いので、「寒いー」などと言っていた。
看護師さんがいなくなり夫とふたりきりになってから、やっぱり申し訳ないという気持ちが湧いてきて、ごめんね、と涙ながらに何回も言った記憶がある。
それから、夫に写真をとって、と伝えた笑 これ↓
盲腸のことを書くときに絶対に必要になるので写真は必須だ。
こんなときでも決して仕事のことは忘れないのである。
その夜はほとんど眠れなかった。
わたしはいつもふわふわの枕を2個使いしているのだが、病室のベッドは真っ平らで枕も低い。
そのため頭が下がっているような感覚だが、下半身は麻酔が効いており、動かない。
いろいろな管がついているのもあって、自由がきかない。
一晩中、頭が下がっているような感覚で身動きができないのは辛かった。
そして、同じ病室の隣のベッドのおばあさんが一晩中なにかをぶつぶつ言っていて、最終的に看護師さんに「なんでそんなに自己中なの!」と叱られていたのが衝撃だった。
このおばあさんは、1日中、なにかの音をだしていて、それはいびきであったり、「つらい」「いたい」という嘆きであったり、おならであったり、げっぷであったり、イヤホンから漏れ出るラジオの音声であったりした。
おばあさんがいま何を感じていて、何をしているか。
それが事細かに、手に取るようにわかってしまうのに、おばあさんの姿はカーテンに隠れているので一切見えない。
そんな不思議な体験をした。
1月24日(金)
朝4時頃からスマホのゲームをしたりして時間をつぶす。
6時が起床時間。
看護師さんが体温を計りにきたり、血圧を計りにきたり、バタバタと時間が過ぎていく。
お医者さんが巡回にやってきて、傷口を確認。
「もう水分はとっていいですよ、ご飯は夜からです」と言われた。
ごはんが食べられるのはとってもうれしい!
不思議なおばあさんは、巡回して来た先生に、昨日の看護師さんへの不満をぶつけていた。
「あの看護師嫌い!」「わがままって言われた!」
病院の仕事は本当に大変だ…。
医療従事者のみなさんには頭が下がる思いだ…。
呼吸器や心電図、尿道カテーテルも朝のうちに外してもらえた。
昨晩、看護師さんに「カテーテルを外すの痛いです」と言われていたので、ちょっと怖かったが、これもたいして痛くはなかった。
ここからトイレに歩いていったり、自販機までうろうろできるように。
動くと傷口は痛むが、これもまあ許容範囲という感じで、今回の手術と入院生活に耐えられないほどの痛みというのはなかった。
昼から夫がお見舞いに来てくれた。
改めて、旅行のことを謝ると、「みりちゃんが無事だったからよかった。また少しずつお金貯めていこう!みりちゃんも毎月1万円貯めてね!」と言われた。
夫は機嫌がよく、本当に吹っ切れていたようだったので安心した。
今回の旅行は、夫が「いつかビジネスクラスに乗ってみたい!」ということで企画された旅行で、飛行機はビジネスクラス、ホテルはリッツのクラブルームという豪華旅行だった。
夫は心底楽しみにしていたので、今回のがっかりぶりは計り知れない。
読者からは「あんた占い師なんだから、それくらい予知できないのかい!」と、そんなお声も聞こえてきそうだ。
それはごもっとも。
ただし、ここで釈明しておくと、星的にも今回の旅行はけっこう危ないとでていて、それはもちろんわかっていたのである…。