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米の日 由来
ちなみに毎月⑧日を記念日とするお米の日ですが毎月⑧日・①⑧日・②⑧日も『 コメの日 』と呼ばれており、こちらはJAの直営店“コメコメハウス”によって制定されたと言われています。
お米の魅力って⁉️
お米①合 (①⑤⓪g)あたりの総カロリーはおよそ⑤③④kcalであり、うち炭水化物の含有量がおよそ①①⑥g (約④⑥③kcal)となっています。このことから、お米に含まれている栄養素の⑦⑦%ほどが炭水化物ということになります。
炭水化物=太るというイメージが強いですが、炭水化物は私たちが健やかな生活を送るうえで欠かせない大切な栄養素ですので、不足すると思考力の低下・慢性的な疲労感などが現れます。ですが、過剰に摂取してしまうと肥満の原因となるので①日の摂取量には気を付けなければなりません。
お米の中には①⑤⓪gあたり⑨gほどのタンパク質が含まれています。タンパク質は炭水化物や脂質と共に三大栄養素と呼ばれており、とても大切な栄養素となっています。またお米には炭水化物をエネルギーに変換するためのビタミンB1と肉や魚に含有されているビタミンB6も含まれており、タンパク質や脂質の代謝を促進させています。
お米には他にも脳の活性化・老化予防・月経困難症・更年期障害・便秘解消・二日酔い予防などに効果や効能を発揮すると言われています。さらに、ごはんをしっかり噛んで食べることで肥満予防・味覚の発達・胃腸の働きを促進・歯の健康を保つ・抗ガン作用などが得られると言われており、ごはんをよく噛んで食べることが健康と美への近道だとされています。もちろん、お米だけ食べていれば良いということではありません。お米と共に肉や魚、野菜といった様々な食材を摂取することが生活習慣病や老化を防ぐポイントなのです。
お米の歴史
お米の歴史は相当に古く、日本に伝来したのはおそらく縄文時代の後期でアジアから朝鮮半島経由で北九州地方に入ってきました。かつては弥生時代に稲作が始まったと思われていたのですが、その節を覆すような資料が九州地方の縄文遺跡から
発見されたため③⑤⓪⓪年前の縄文時代後期に稲作が始まったものと思われます。そして②⑤⓪⓪年前になると水田での米作りが主流になり(それまでは畑でお米を育てていた)それが弥生時代へと移り変わるきっかけになったというのが現在の定説のようです。
これも現在存在する資料による予測なのでもっと古い時代から米作りを行っていた可能性すらあります。そして弥生時代になると、水田稲作の技術は日本列島各地へと急速に広がっていきます。弥生時代の水田というのは全国で②⓪ケ所以上見つかっており、この時代にはすでに日本全国に広がっていったと言えるでしょう。
お米の稲作技術が全国に広まったことで弥生時代になったと少し述べましたが、お米はそれほど革命的なものだったのです。なぜかというと、お米を作るようになるまでは狩猟が主な食料供給の手段ですから、獲物を求めてあちこち移住するという暮らしです。それがお米を作るようになると定住して作物を育てるようになりますからより効率的に作業が出来るようにコミュニティを形成していきます。
ムラの誕生です。
このようにコミュニティを形成するようになると、段々と貧富の格差が生まれていくことにもなりました。弥生時代には基本的には身分の差はなく人間も等しく焼き米を食べていました。奈良時代になると貴族が生まれ、貴族が米を主食とし庶民は雑穀を食べるというお米格差が生まれることになります。そしてまだまだお米の精錬技術もなく、白米が食べられるようになったのは江戸時代に入ってからと言われています。それも最初はやはり支配者階級のみに許される贅沢品だったのですが、江戸時代後期になると江戸の庶民も白米を食べられるようになります。
しかし江戸という都市部に住む庶民のみの話で、全国的に見るとまだまだ白米が庶民に浸透しているとはいえませんでした。逆に、江戸の庶民が白米ばかり食べるのでビタミンB1が不足して脚気になるという事態が起きていたくらいです。このため脚気は江戸患いなんて呼ばれていたんだとか。
一般庶民へと白米が広まるのは明治時代に入り品種改良が進められてからになります。こうして紆余曲折を経て私達の食卓に並ぶようになったのがお米です。