その会社は社長以下8名程で構成されていた小社だった。


 社長、専務は、共に博報堂出身、一橋と立教大卒のコンビで社を立ち上げたという。


 私の記憶だと、当時全国紙の新聞に広告を載せられる広告代理店は、電通、博報堂、東急エージェンシー、読売広告社などの数社に限られていたと思う。


 その博報堂に窓口が繋がっている社は、大いに伸び代があった。後は人材だと言うところか。

時は昭和の高度成長期でのこと。


 面接での月給の提示を断り、私は日雇日給アルバイト扱いで採用してもらった。

 いつどこでシンガーソングライターとしてデビュー〜なんて事になっても良いやうに。。😄


 配属は営業でK課長の下、唯一の部下と成った。

 しかしもっぱらは専務の鞄持ちで出かける事が多かった。


 広告代理店とは、実務の広告媒体を作る作業と共に、少なからぬ自社へと繋ぎ止めるる接待が必然で、各社が競っていた。

昼間は出来上がった広告原稿を持って、クライアントの宣伝部に行き置いてくる。

数日後、直おしの入った原稿を貰いに再び伺い話を聞いて戻って制作部に渡すの繰り返しで、今の様にパソコンの無い時代のこと、足で稼ぐが如きの飛脚が私の仕事だったが、週に1、2度は、専務のお供で夜の接待助手を命ぜられた。


 体育会出身、劇団等で先輩後輩の役目を知っている私は、良く気の効く、目利きの良く、小芸を披露出来る、まぁ自分で言うのも何だが、良き太鼓持ちだったと思う。


 そして体験してゆく全ての場面が初体験であり、神楽坂、銀座、新橋等々名だたる歓楽街のそれなりのお店で一緒に頂くお酒にお料理に、私は極めて満足していた。

 そこに女性ホステスさんが絡んでチヤホヤツンツン〜! ウハハは〜〜🙄😆 

 オマケに帰りにはTAXi券なる物を頂戴し、電車に乗らす、銀座から高田馬場の安アパート迄チケットを切るだけで無料で乗って帰る殿様振り、これが楽しくない訳が無い。

サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだぁ〜!

 その昔、映画の無責任男として名を馳せたクレージーキャッツ植木等の歌が口をついて出てくる〜。


 やがて一つの顛末が起きた。


 場所は新橋第一ホテルツインルーム。

 その第一ホテルで開催される宝塚出身の女性スターを迎えてのシャンソンクリスマスデイナーショーを当社が企画実行したのだ。

その準備の為に専務と同室で前泊したのだった。


 私には生まれて初めてのホテル泊まり。


 セッティングを終えて遅くに部屋に戻ると、専務がお金をくれて酒と摘みを買いに出された。ウイスキーと氷を買って戻り、乾杯でスッカリいい気分〜で、寝る前の風呂だ。


 君、先に入りなさい。

 ハイ!


 私は浴衣と下着を脱いて表にそっと置いて、バスルームに入った。

 そこはトイレと浴槽が一体となっている所だ。今となっては至極当たり前だか、詰まる所、私は生まれて始めてHOTELなるものに宿泊したのだった。

温泉宿ではない、部屋に風呂が付いているのだ。スゴイ〜!

で、言われるままの入浴。


 トイレが有って洗い場が随分狭いなァ〜。


 お湯を組む桶も、有るには有るけど取手が付いいてやけに小さい。これではタオルが洗えない。

見ると電話が壁に設置されていた。


 ああ~フロントですか?

 スイマセン、あの〜風呂桶が無いのですが?


 えっ!棚に置いてあませんか?


 有りますが、小さいのですが〜


 当方ではそれが桶となります。???


 仕方なくそれに、湯船に一杯にしたお湯を汲み上げ、身体にかけてから、まず身体と頭を石鹸をつけて良く洗った。

お湯は汚してはいけない。このあと専務が入るのだから。


 しかしどうにも洗い場が狭く、そうか、このトイレに蓋がしてあるのは、ここに座って体を洗う為なのだ〜。


 そう思って納得し、私は便器に座って、ゆっくり体を洗った。

 それから何度も小さなその桶でお湯を汲み身体に流した。

当然便器もろとも辺りは水浸しだ。風呂場なのだから当たり前だ。 


 そして最後、湯船に浸かった。

 目の前に空いた穴から、溢れてお湯が出てゆく。

 勿体無いので、手で塞いたが、どうにもならず、蛇口を開けてお湯を足しながら入った。

が、少しも増えはしない。当たり前だ。


そしてこれから入る専務を、垢の浮いた湯船に入れてはならぬ!の思いにて、最後に僅かなに浮いた垢を、その小さな桶でキレイに掬い取って外に流した。


 北海道の田舎の実家で五右衛門風呂か、温泉宿にしか泊まった事しかない私。

 そして田舎の誰もが一度張って炊いたお湯を、家族順番に汚さぬように入り、最後まで湯船に入る者に、少しでも嫌な思いをさせぬ様に奇麗に使うのが大原則の育ちだった私。

東京では北海寮の大風呂に入り、アパート暮らしで銭湯に通った私。


 バスルームからそっと表に出てバスタオルで体を拭き、浴衣を羽織って帯を巻いた。

そして専務に言った。


 大変お待たせしました。

さ、お入り下さい。


 オう〜〜、そうか。


 そして専務はバスルームのドアーを開けて大声を発した。

 

 き、君ィー〜〜!何だこれは〜〜〜!!

 君は、一体ここで何をしたんだァ〜〜〜!

 ドコモかしこも、トイレットペーパーまで水浸しのベチャベチャじゃないかーー!!


 私がその訳を話すと、専務は呆れたように聞いた。 


 君はホテルという所に泊まった事が無いのか? 


 ハイ!スイマセン。初めてです。


 ハア〜〜〜!いや、参った!

 お湯はね、その都度抜いて替 えるんだよォ〜〜。


ハァ〜、ソウナンですか。。。


 私は全く何も知らない、完璧な田舎者だった。


 会話でも良く注意された。

あのさぁ〜、ダベサァ〜、言ったショ〜、でないかい?


 君、その方言は止めなさい。

北海寮に居て、劇団にいて、東京で数年過ごし何事もなく此処まで来た私には、我が身の都会での本当の有り様に驚き、そして苦笑いした。

しかしそんな自分が嫌では無かった。

むしろ楽しかった。


 何も知らず、故に面白がられ、可愛がられ、対外的にも北海道出身の酷い田舎者と紹介され、大いに一役買っていた。


 そしてそれは毎日見るもの聞くもの、会う人、全国に知られる名のある会社、食べるもの、首都東京の多様性と陰影と歓楽に実際に触れる。それは極めて新鮮で刺激的な毎日だったのだ。

コレが東京というものか!



 そして半年が過ぎた4月になり、新年度の新入社員の大卒女子2名が入社して来た。

いつ面接があったのやら。。


 自分よりも若い後輩達だと思っていたが、どうにもそれは違っていて、その内の一人J子は、訳アリの私と同じ既に24歳を迎える秋田出身の美人だった。


 そしてこのJ子との出会いが、私のその後の人生に、更なる不思議を与えゆくのだった。


         続く〜〜。