彼女は向いの席に座り、やって来たウェイターそれぞれに選んだ軽食とコーヒーを注文した。
そらから彼女は黒いバックの中から、見覚えのある手紙とA4二枚を二つ折りにした訳文を引き出し、差し出した。
多少間違が有るかもしれないけれど、概ねそんな内容ね。
有り難う!申し訳なかったね。忙しいのに。。
で、少し質問していい?
読まないの?
後でゆっくり読ませてもらいます。
質問って?
君、出身は何処。
Aよ。
A県のどこ?
A市よ。
ふ〜〜ん、でお父さんは何をしてるの?
何でそんな事答えなくちゃいけないの、貴方に。。
そりゃそうだけど、正直君の事、もう少し知りたいと思ってね。。
父は公務員。。
公務員って、市役所か何か?
学校の教師してるの。
教師〜、小学校?中学?高校?
大学なの。
えっ!大学って、大学教授?
どこの大学?
A大
国立じゃない!凄いねー!
何が?
何がって、大学の先生、しかも国立大学の教授!すごいじゃないか!!
そんな事ないわよ。
でA大学で何を教えてるの?
生物学
はあーー生物学。。なるほどね!君は頭が良いと思っていたけど、良く判ったよ!
僕は初めてだなぁ〜、そんな大学教授のお嬢さんとお話するなんて。。
大した事じゃないわよ。
そんな人いくらでも居るわよ。
そりゃそうだけど。。僕にとっては、ちょっと感動的だなぁ〜!ホント!
大げさよ。でも会社じゃ誰にも話してないから、言わないでね。
同期のA子さんは知ってるの。
言ってないわ。
ハイ、わかりました。決して口外致しません!
僕の居た、北海寮の同期生に小樽市出身、東京工業大学の建築科に現役入学するも、ヤッパリ医者になりたい!と言って学校を早々に辞め、それから改めて勉強を重ね、千葉大学医学部に入ったWがいたが、お父さんは、小樽商科大学の英語教授だった。
頭の良さというものを、自分との違いを、彼を知ってハッキリと自覚したのだった。
今までにそんな頭脳を待った人間を、私は知らなかった。
その同族の女性が、しかも美人な女性がここ、今、目の前にいる。。
これだもの、東大も惚れるわなぁ〜〜。
完全に参りました。
彼女の自信有りげな所作、言動を裏付けるに十分な話だった。
兄弟は?
兄と姉。
僕は上と下が、姉と妹。
聞いてもいないのに話した。
あ、そうなの。。
じゃ貴方がしっかりして、ご両親に心配掛けちゃいけないわね。
歌なんかで、御飯食べられるの?
そりゃわからないけど、最終的には紅白出場を目標として頑張るつもりだけどね〜。
所で、彼氏いるの?
何でそんなプライベートなことばかり聞くの?
いや、どうなのかなあ〜と、思ってサ。。ゴメンナサイ。
居るわよ。それがどうかした〜。
いや、別に。。。
注文の品が運ばれてきた。。
僕は正直だ。
もう、身体中に絶望が駆け巡り、ドンドン言葉少なになって行く。。
当然予想していた事では有っが、実際は悲しい。。。
どうしたの、何かいけないことでも言った?
イヤイヤ、全然!
そりゃそうだよね!君のような人に彼氏が居ないほうがオカシイよね〜。
だから、それがとうかしたの?
ううん。別に。当然だよなぁと思って。。
貴方にだって彼女いるでしょう?
あそうか、別れたばかりだものね。ゴメンナサイ。
イヤイヤ。。アハハハ。。。
貴方のご両親は北海道の何処に住んてらっしゃるの?
住んでらっしゃるの?なんて程のもんじゃないけど、まあ、言っても判らないと思う様な田舎町でさぁ〜。
何処なの?何で言う町?
ユウベツと言ってね、湧くに別れると書いて湧別と言うんだけど、知らないでショウ。。
ゴメンナサイ、知らないわ。
うう〜〜ん、網走市って知ってる?
聞いたこと有るわね。あの刑務所があるところ?
そう、その近くの町。。
そうなの。。
もう私の頭の中には、絶望の煙がいっぱいに立ち込めていて、もう自分が何を何を言っているのか、何を話すべきか、わからない。
やがてお昼休みも終わり。。
あ、お礼に何かご馳走しなくちゃネ〜。
イイのそんなこと。
お昼ご飯ご馳走になっただけで十分よ。
楽しかっワ。
じゃあね。ご馳走様!
J子さんは、品良く身を翻しお帰りになった。。
その晩、私は一人高田馬場の焼き鳥屋で飲んだ。
全然酔わない。。
当然といえば当然な結果だよなあ〜。。
それにしても、短い夢だったなあ〜。。。
そして手紙と一緒に渡された、翻訳されたA4のコピー用紙を胸の内ポケットから取り出し開いた。
彼女の、残り香を探す様に。。
そこには、特にキレイではないが、青いインクのペンで書かれた、彼女の丁寧な文字が並んでいた。
内容は想像した通り、凡そありきたりなモノだった。
一緒で楽しかったか事、お礼の言葉。そしてこれから一家はオランダ公演に向かう準備をしている事が記されていた。大ちゃんどうかお元気で!
そんな内容だった。
カセットテープと、手紙が、手元にあるとあった。
良かった。。
面白くも何とも無かった。。
それ以上に、胸に広がるこの黒く重たい絶望を、一体どうしろと言うのか。。。
そして思う。
兎に角返事を書こう。
そうだ、それを又彼女にドイツ語に翻訳してもらおう。
それがいい!。。。
断られるだろうが、それしか今の自分に、希望に繋がるものは何もなかった。。
彼女の彼氏とは、一体どんな人なのだろう。。
カッコいい、都会的センスのいい、良家のお坊ちゃまなのだろうなぁ〜。
大学の同級生らしく、今度区議会議員に立候補するらしい。。
はぁ〜〜〜、ご苦労さまです。
同じお坊ちゃまでも、格が違うわなぁ〜〜格がぁ〜。
諦めるがいいさ。
でもまあ、一応返事を書いて、とにかく彼女にもう一度ダメ元で頼んで、それで断られてボロボロになって終わりよ。
諦めがつくと言うものダ。。
ずいぶん遅くまで飲んだ。
次の日は結局遅刻をした。
この今の苦しい自分を慰めてくれるのは、最早自分しかいなかった。
頑張れよダイモン!!
劇団で付き合っていた彼女はマルセラとのことで終わり、そのマルセラは、遠いヨーロッパの彼方へと消えた。。
自からが招いた馬鹿な結末を、ただ笑うしかなかった。。
それから幾日か後に、私はマルセラへの返事を書いた。
毎日、会社の皆に笑われているような気分だった。。
特に東大は鼻に付く程嫌なヤツに思えてきた。
八つ当たりか。。そうだ。
手紙は書いたが、それより先へは全く進めなかった。
彼女は何事も無かった様に仕事をしている。
時は、黙って過ぎていった。
街には秋の風が吹き始めていた。
ラジオから流れるガロの歌が、ビンビン胸に響いていた。。
つづく