当時、多くの日本人がこの好景気が、そして日本経済が世界へと進出してゆくその姿が、バブル経済という怪物がもたらしているものだと言うことを、私は勿論、多くの国民は知らなかったと思う。


兎に角、戦後の泥沼から這い上がって来た我が国日本が、とうとう敵国アメリカの名だたるビルを買い占める迄に至った、経済戦争の大勝利だと歓喜して見つめていたのだ。


しかしその実態は、日本国民の勤勉さが作り上げた、世に名高い不動産バブル経済の絶頂期だったというわけだ。。


しかし1993年平成5年〜その終焉は突然やってきた。

私、39歳の時だった。。


片田舎の製麺工場で、あらゆる希望を失い、恋人を失い絶望の中でのたうち回り、父が始めた乾燥ラーメン製造を手伝い、やがて゛毛ガニラーメン゛が生まれ、私達は幸運にもそのバブル経済の波に計らずも乗っかり、大変大きく成長を遂げたのだが。。


そして全国に沢山の会社と社長が生まれたのもこの時代だった。


全国各地の繁華街で、後ろから社長〜!と声をかけると、何人も振り返ったと言う時代だった。


当社も世のバブルの恩恵に預かり、全従業員を率き連れて毎年二月の決算前に、全国何処かの観光地へ三泊四日の旅に出かけていた。

いくら経費を使っても余るほどの高成長が続いていたのだ。

何もかも全てが上手くいっていた。。

この世の春が、未来永劫続くと私は信じていた。。


平和で、何の心配もない、夢の多い豊かな時代だった。。


しかし実際には、1991年平成3年頃から伸び続けていた売り上げが、頭打ちとなっていた。

翌1992年、1993年と、横ばいが続き、その年平成5年を最後に、売り上げが急激に減退して行った。

恐ろしい程に。。


それがバブル経済の流れの終焉にある現実なのだという認識を、私は全く持てていなかった。。


テレビでは、毎週不動産バブル経済崩壊の特集番組が放送されていいた。

それは、金融庁が不動産売買への総量規制を告げた果ての出来事で、私は、自分が売っているラーメンとの相関図を描けなかったのだ。


どうして、売り上げが落ちるのだろう。。

得体の知れぬ不安が立ち込めていった。。


私は、優秀な営業マンに発破をかけ、自らも営業に回り、何とか現状回復に向けて奔走した。


しかし、いくらやっても、価格を下げようと、何をしようと、一旦下に向かい始めた経済の流れはは、誰にも止められなかった。

それを知らず、私は毎日毎日発破をかけ続けた。

神経がドンドンすり減って行った。。



そんなある日、北海道拓殖銀行が全面支援していた北海道企業の一つ、不動産建設会社ガブトデコムが、巨額の負債を抱えたまま倒産したと言うニュースが流れた。


デコムの社長佐藤茂氏は、私と同じ歳だったから、報道が始まってからの一連の様子を気にして見ていたのだ。。


拓銀が指導応援する北海道インキュベーター企業として、他数社と共に世界に向け大躍進を遂げていた企業の代表格だった。


あの佐藤氏の様に、自分も世界に向けて羽ばたきたい!

そんな思いに満ちていたのだが。。。

そのカブトデコムが。。倒産。。


厳しい現実が胸を締め付けた。。


それと時を同じくして、様々な業態業種の会社が次々と倒産し始めた。


そして当社の売り上げは落ちる一方だった。

そして漸く現実の、事の重大さを悟り始めるのだった。。


それでも私は、自分だけは違う!

必ず次のチャンスがやってくる!

そんな妄想にかられ、窮地を脱する為の策を建て、実行していった。

しかしそれはことごとく失敗に終わっていた。。



言えることは、もういう世の中の事態になると、優秀な社員も何もかも全く役に立たないと言う事だった。

もう、時代の流れは誰にも止められはしないのだ。

行き着くところまで行く。

それにじっと耐え忍ぶしかないのだ。

私はその道理を知らなかった。。



工場からは、今日は何を製造しますか?

そんな問いが連日上がって来ていた。

しかし何をどうすることも出来ない日々が続いた。

私は喘いだ。。


そして高額で雇い入れた社員たちへの給料が、とうとう払えず、その為に手持ちの貯金を取り崩す羽目になっていった。。

最悪の事態を考え始めていた。。


私は連日一人社長室にこもり、頭を抱えていた。。


そんなある日、1本の電話が入った。

それは新規の取り引き依頼で、その電話は判断を仰ぐために私に繋がれた。


ハイ、私が代表をしております南川と申します。


こちら大阪に本社が御座います、高部○商事の東京支社長兼営業部長をしております〇〇と申します。


実は先日うちの社員が北海道に仕事に向かいまして、その帰りにお宅の商品、ここに有りますが゛毛ガニラーメン゛を千歳空港売店で買ってきましてね、それを先程皆んなで食べたんですよ。

いや〜〜、これが大変美味しくてね。。それで検討の結果、この商品を大々的にうちの会社で扱わせていただこうじゃないかと、そう言うことになりまして、今お電話差し上げたと言う次第なんです。


どうにかお取引願えませんでしょうか?


私はその言葉を聞いて思った。

ヤッパリ俺はついている!!

とうとう救いの神が来たか。。


しかし私は冷静に、静かに答えた。


大変有難いお話しを有難う御座います。

では、ご新規様でございますから、失礼ながら御社の会社情報を精査させて戴きながら、後日お返事させて頂くということで、如何でしょうか?


勿論です。

では、よい返事をお待ちしております。


その後、先方からは会社概要が書かれたA4ペーパー1枚がFAXで送られてきた。


私は早速、そのペーパーを帝国データーバンク北見支社に送り、特急の調査を依頼した。


三日後、大阪高根○商事の〇〇部長から電話が入った。


どうでしょうか?お取引できますでしょうか?

営業担当から、再三の催促がありまして。。なるべく早く商品を卸して頂きたいのですが。。


あの〜〜、未だ当社としましての最終結論は出ておりませんが。。


しかしもし宜しければ、始めに現金ご入金頂ければ、その分の商品は直ぐにお出しできるのですが。。


そうですか。。ではそれで結構です。

取り敢えず後程銀行口座を教えてください。

まず50万円振り込みますので、その分の商品を出してください。宜しくお願い致します。


わかりました!では現金入金を確認後、商品を発送させて頂きます。

有難う御座います!


その日の午後入金を確認した。

私は幹部社員を集めて事の経緯を話し、出荷の準備を指示した。

久しぶりに工場も僅かながら活気を取り戻した。


それから1週間後、高部○商事〇〇部長より再び電話が入った。


いや〜〜、商品出荷有難う御座いました。

着いた商品、あっという間に売れてしまいまして、追加の注文をしたいのですが、構いませんか?


ええ、現金取り引きとなりますが

それで宜しければ。。


わかりました。では明日150万円入金しますので、宜しくお願い致します。


翌日、約束通りの入金が有り、工場は久しぶりに沸いた。


私の気持ちは高揚して行った。

やはりか。。


自分のツキを握りしめ、気分が高揚したまま、取り引き銀行に向かい、その旨を支店長代理に報告した。


それは良かったですね!

でも気を付けてくださいね。

世の中、色んな会社がありますら。。

兎に角、現金以外の取引は避けてくださいね。

それは大事ですよ!


ハイ、そうします。

でも、なんだか有難い話しで、私は嬉しいデスよ!


問題の帝国データーバンクからの調査資料は、2週間も経ったのに、今だ届いていなかった。

通常のデーター調査ならとうに返事が来ても良さそうなものなのだが。。

私は催促の電話を入れた。


その後も高部○商事から又現金で80万円の入金があった。


売れない時の立て続けの注文と入金、それは私の心を大いにくすぐった。。


そして私に、高部澤商事から一つの提案があった。


社長さん、うちとしましては、御社の商品がとても評判がいいので、これから本格的に売って行きたいと思っているんですよ。

でも、現金入金後では商品展開が思うように進まないんですよ。

それでご相談ですか、何とか手形決済で商品を入れてもらえないでしょうか!?


手形ですか。。

一応期日を聞いておきますが。。


月末締め後、90日で皆さんにお願いしてるんですが。。


月末締め後、三カ月後に売り上げ代金が入金すると言う事だ。

それは取引先のなかで1番長い貸し売りとなる。

しかも今は、相手がどんな会社かも何もわからないままだ。。

しかも、一歩間違えば只の紙切れになる手形で、しかも期日は90日。。

相手を信用し、締めまでのひと月、プラス残りの三カ月間、都合120日間入金を待ちながら商品を納品し続けると言う事だった。


私は考えさせてほしいと、一旦電話を切った。


社内会議を開いた。


社長の私が担当する案件だ。

社長の判断に任せますで終わった。

誰一人、こうした案件についての込み入った知識を持ち合わせてはいなかった。。当たり前だが。。


兎に角今は、やがて届くであろう帝国データーバンクの高部○商事に対する内部調査資料だけが、その対応を決める唯一の判断材料だった。

私は再度電話を入れ、強く催促を促した。


工場は既に、高部○商事の注文が無ければ、半日営業の状態となっていた。


私は焦りのなかで、難しい決断を迫やられていた。


向こうの条件で、調査結果を待たずに取引を始めるのか、否か。。

始めれば、兎に角工場は動く。。


私は再度データーバンクに催促をした。


加えて日高部○商事からの再度の取引依頼を受け、板挟みのなか、私は、難しい決断を迫られていた。。

それは取引開始からひと月が経とうとしていた頃のことだった。。



そしてとうとう私は、調査報告書が届くのを待たずに、賭けに出たのだ。

この取り引きが、当社にとって幸運の女神なのだと信じて。。


私は、締め後90日の手形決済で取り引きを開始する事を決めて、先方高部○商事に電話を入れたのだ。


どうぞ宜しく宜しくお願い致します。


よく決断してくれましたね!

では明日からドンドン注文を入れてゆきますよ!

待ってて下さい!!


ハイ、宜しくお願い致します!!


翌日から嘘のような注文が雪崩のように押し寄せて来た。

大阪本社からも、ドカンと注文が入った。

工場は俄然活況を呈した。


しかし、私の中の不安が解消されたわけでは無い。


こうして大忙しの中、依頼からひと月半も過ぎた頃、帝国データーバンクから高部○商事に対する調査資料が漸く届いたのだ。

遅れた理由を次のように述べていた。


会社構成の履歴が大変複雑に入り込んでおり、一つ一つ精査するのに時間を要しました。

大変申し訳ありませんでした。


待ちに待ったその資料を、私は一人社長室に入り、封を切り読み始めた。


読み進める内に、血の気が引いてゆくのが判った。。


読み解けば、それは実に巧妙に仕組まれた取り込み詐欺に、巻き込まれたと言う事実だった。


悪質で、極めて巧妙な、しかしこの世に確実に存在する黒い闇に、私は引きずり込まれたのだ。

その事実を確かに示す、真っ黒な内容だった。。


私は椅子に座ったま、全く動けなくなってしまった。。


           つづく