到着した飛行機内から建物迄の連絡通路に出ると、一気に冷気が刺し込んできた。

女満別空港には、シンシンと雪が降っていた。


駐車場に置いた車の上にも雪が積もっていた。

どうにか取り除き、エンジンを掛け、凍り付いたフロント硝子の氷を削り取り、漸く車は動き出した。

雪はドンドン降る量を増し、風が着いて、吹雪の様相を呈して来た。。

あれから乗って来た飛行機は、無事羽田へ折り返せたのだろうか。。


深い雪に埋もれた北の果てに降り立ち、東京でj子と別れてきたさっきの修羅場が、もう遠い日の出来事の様に思えた。。



漸く家にたどり着いて裏玄関から入ると、犬のつららが尾っぽをブンブン降って迎えてくれた。

頭を撫で、抱き締めてやり、オシッコをさせ、それから鍵を掛けて二階に上がった。


冷え切った部屋のダルマ型石油ストーブに火を着けると、炎が黄色く灯った。

寒いからそのままパジャマに着替え、電気を消して布団に入った。

もう、午前0時に近かった。。


激しい一日を振り返った。

とうとう、ケリをつけた。。

そんな安堵と、これからやって来る反動が一体どんなものなのか、全く想像が付かなかった。。


横になりながら眠られず、石油ストーブの炎が淡く照らす天井や襖をじっと見詰めていた。。


それは11年前、東京へ旅立つ前に、毎日夢を膨らませながら見詰めていたあの古びた天井と襖だった。。

そしてとうとう望み叶って麗しい

j子がここへやって来たと言う、その部屋なのだ。。


今、その全てを東京に投げ捨て、振り出しに戻ったこの自分に、得体の知れぬ絶望が少しづつ広がり始めていた。。。


翌朝余り眠れぬまま工場へ向かった。

雪掻きを済ませ、麺練りを始めた。

変わらぬ一日が始まった。。

その晩父が私を呼んだ。


お前、昨日も東京へ行ってきたのか?

うん?どうなんだ!


行ってきたよ。。


お前、いつまでクズクズ女に取り付いているんだ!

いい加減にしろ!!


もう全て、終わったよ。。


終わった?何がだ!

全然終わってないじゃないか!!


だから、全部終わらせてきたよ!

ご期待に添って‼️


私は父の顔も見ずにそのまま二階へ上がった。

その日からくすぶる怒りを、両親にぶつけて行った。。


そのまま年末を迎え、年越しそばを作り、アイスクリームデコレーションケーキの配達、お歳暮配りやら何やらと慌ただしさの中に、浮沈に満ちた激動の一年が終わって行った。。


短い正月も無言の中で終わり、仕事始めの忙しさもやがて落ち着き、長い長い曇天続きのオホーツクの冬が始まった。。


私は雪と格闘して汗する日々に身を沈めていたが、気持ちは更に沈んで行った。。


j子が悪いとか、誰が悪いとかではなく、積み上げた東京での10年の暮らしが、とうとう自分の胸の中にだけ存在する、ちっぽけな思い出となってしまった事に、やり場のない焦燥と絶望がどんどん広がって行った。。


そして父の配下の中でしか動けない全く主体性無い鬱屈した怒りと、誰に何を言っても理解されない灰色の孤独が、私の息を徐々に塞いでいった。。


二階のテレビもない寒い部屋で毎夜本を読み、ラジオを聴きレコードを聴き、私は必死に耐えていた。。

全ては自分が選択した決断だったが、与えられたこの思いも依らぬ黒塗りの宿命を、静かに受け止め続けるしかなかったのだ。。


しかし32歳の若い肉体が、そのまま黙っていることを許さなかった。


町の道場で週三回、鍼灸院の先生が夕方子供達に教えた後、一般人にも柔道を指導している事を知り、思い切って参加した。

高校時代私は柔道部だった。


そこでびっしり汗を流すことで、随分救われた。。

やがて社会人大会にも参戦し、時に準優勝を貰い、時に講道館三段も貰った。

柔道の指導者宅に招かれ酒を飲む日々にも救われた。


レコードを聴いていた事から町のオーディオ愛好家との縁を貰い、その仲間に入り交流した。


その中の一人Tさんは、父の友人でも有り、明大を卒業したインテリ漁師だった。

漁師と言っても自ら船に乗るのではなく、だいぼう(大謀)と呼ばれる幾隻かの船を所有する漁業会社の社長だった。

だからほとんど毎日自宅に居た。


Tさんは流氷を写真に撮る事も趣味としていた。

オーディオと共に私も写真撮影を始めた。


そして東京で暮らしたTさんが、この田舎で何の不満も持たずに暮らしている事に興味を持ち、色々と話を聞いた。

人生についての話を聞いた。。

やがてTさんは、私に一冊の本をくれた。

森本哲郎著゛そして、自分への旅゛と題した文庫本だった。

分かり易い哲学書だ。

読みながら、ああ少しは私の気持ちを判かって貰える人に出会えたのかもしれない。。

そう思って私は毎夜の如くTさん宅へ遊びに行った。

迷惑も省みず。。


写真について、オーディオについて、そしてそれぞれが持つ哲学を聞いた。。

それは、其々の世界で活躍する人々の、そして作家の多様な人生を伺い知ることだった。。


そんな形で少しづつ人付き合いが増えていき、生活も徐々に変わって行った。。

その頃には東京で作った借金返済も終わり、私ははオーディオアンプやらスピーカーやら、カメラやレンズを買い始めていた。


こうして幾つかの季節をやり過ごして行ったが、胸に蔓延る虚無と孤独を、どうにも消し去れはしなかった。。

むしろ深まって行くのだ。。


そんなある日、JAZZやClassicしか聴かないTさんが、1枚のLPレコードを掛けてくれた。

シャンソン歌手金子由香利のレコードだった。


南川さん、この金子由香利さんはイイですよ!


その日、私はそのレコードを借りて帰った。

そして、一人で聴いた。。

その中の一曲゛再会゛が淋しさと虚しさでパンパンに膨れ上がっていた私の心に突き刺さり、噴き出した鮮血が胸の中を真っ赤に染めていった。。

忘れていた熱い涙が、再び堰を切って溢れ出した。。


全てを失くした果ての哀しくも切ない心の有り様を歌うシャンソン歌手金子由香利の歌声が、歌詞が、メロディーが、ピアノが、バイオリンが激しく心を揺さぶった。

そして私は歌の中に、忘れ得ぬj子の姿をありありと浮かべていたのだ。。

全ての思い出は、最早美しく昇華されていた。。


音楽が苦しみを揉み下してゆくかに思えたが、時の経過と共に、聴く程に、私の悶絶は倍増して行った。。


そんなある夜、窓から見える星達に誘われ、私は満天の夜空の中に立っていた。

そして一緒に付いて来た犬のつららと共に、静寂で神秘な美しい星空の下を、何処までも、何処までも歩いた。。。

宇宙が放つ淡い光が、喘ぐ私の心を優しく包み込みこんでいった。。

私は星空に全霊を溶かし、この苦悩の意味を、そして生きる意味を幾度も問うた。。


誰も何も答えてはくれなかったが、やがて星空の下が私の大切な癒しの場となっていった。。

そして知るのだ。

自分を助けられるのは、唯一この自分を置いて他には居ないのだろうと。。。


ベートーベン、ホルスト、ワーグナー、モーツァルト、ドボルザーク、キースジャレット、カーペンターズ、金子由香利、井上陽水、吉田拓郎、松任谷由実、ハイファイセット、かぐや姫、浜田省吾、など沢山の音楽に触れて、一人で泣いた。。

歌の中にj子との暮らしを、あの日の温もりを爛々と胸に灯し、側に居るつららを抱きしめ、顔を埋め声を殺して泣いた。。

唯一頼りのこの自分が、もうボロボロだった。。

そこにあるのは、二度と手にする事の出来ない絶対的過去と、悶絶しながら受容せざるを得ない灰色の宿命だった。。


私はそれからも、星空の下を、雨降る夜を、雪降る夜を、何処までも幾日もつららと歩いた。。

北斗七星が季節ごとにその位置を変えるのを見上げながら。。。



そんな日々の中、札幌から時々会社に来ていた製麺機械卸し整備業者のkさんが、父に乾燥ラーメンの製造を持ちかけ話し込んでいた。


私は父の仕事には少しの興味も持てず、何を聞かれてもずっと無関心を装っていた。

反発していたのだ。。

アンタのせいだと言わんばかりに。。


そんな不貞腐れた私をよそに、父は乾燥ラーメン作りに新たな事業展開を夢見て、kさんと共にとうとう製造設備の準備を始めた。。


そうして漸く出来上がった乾燥ラーメンなるものが、やがてkさんと私との新たな触れ合いを生み、更にどん底に居た私の人生に、大きな転機をもたらして行ったのだ。。


           づつく