昭和62年1987年春、私の作った北海道名産゛毛がにラーメ゛は発売された。
初注文品6食1箱24本入り5ケースを紋別市にあるA観光物産へ私が車に乗せて納品しに向かった。
それはいつものアイスクリームを配達するクーラーBOXを積んだボロ車だった。
不安と喜びと期待が入り混ざる複雑な気持で店先に下ろした第1号商品を振り返り、そっと撫でて呟いた。
どうか、頼むぞ‼️
それは手塩にかけて育てた我が子を、他家に預けて立去る親心だった。。
それから5日後、再び注文が来た。
今度は24入り10ケースだ!
うう〜〜む!
あの〜、売れてるんですか?
まァ今は主だった店に卸して、様子をみてるところだね〜。
そうですか。。。
それから5日後、又10ケースの注文が来た。
そして春の大型連休へと突入していった。
観光地土産品業界にとって、ここからが書き入れ時だ。
そして何日目かに電話が鳴った。
当方は人が遊びに出る時が稼ぎ時、だから私は出社して得意先からの電話番をしていた。
電話は紋別市のA物産卸問屋からだった。
南川さんよ!毛カニラーメン売れてるよ〜〜❗️
もう何処の店も在庫ない状態ダヨ!
直ぐに作って持ってきて!
頼むよ〜〜〜‼️
ハイ〜〜❗️
出来るだけ早く作って持ってゆきます!
で、何ケースほど?
もう30ケースいや50ケースは取り敢えず必要だね!
どうやら売れるようだから、本格的に売ってゆくから、もうこんなもんじゃ足りなくなると思ってドンドン作ってよ!たのむよ!!
兎に角出来たら直ぐに、何ケースでもいいから持ってきてーー❗️
ハイ!わかりました!有難う御座います‼️
何ということだろうか!
売れたのだ!
思惑は、新商品は見事に当たったのだ!
私は嬉しかった。。
天にも昇るきもちで拳を握った。
しかし今はそんな事で喜びに浸っている場合では無い。
このチャンスの波に、どうやったら乗れるのか、そしてどうやったらしっかり掴み切れるのか。。
兎に角今は直ぐに増産し、目の前に現れたこの大チャンスを絶対にモノにしなければならなかった。
それにしても、持っている設備は余りに小さかった。
そんな時、2ヶ月間の入院加療を終えて、父が退院してきた。
正直私はホッとした。
父には売れている状況をずっと伝えていた。
帰ってくるなり現場復帰し、直ちに乾燥室の増設に取り掛かってくれた。
そして増産に伴うあらゆる備品を揃えていった。。
流石に父は長年商売をやって来ただけの事はある。
機を捉えて動いた。
母も共に働いた。
直ぐに従業員の募集もかけた。
増産に次ぐ増産を重ね、何とか需要に追いつきながら、目まぐるしい業務に追われながら日々が過ぎて行った。
と、今度は札幌市そして旭川市にあるより大きな、全道規模に販路を持つ最大手観光地土産卸問屋より、取引先依頼の電話が入って来たのだ。
驚きだった。
売れるものには、こちらから売り込みにゆかずとも、向こうからスカウトにやって来るのだ。
どちらも、こちらの言い値で買ってくれた。
そして又増産に次ぐ増産を重ねて行った。
工場の湧楽座は広い!幾ら乾燥室を足していっても大丈夫だった。
1つしか無かった乾燥室が四室になった。
増産に伴い、中古ながらも自動包装機械を導入し、何とか人手を掛けずにできる方法を様々に構築して行った。
その毎日は、走りながらオニギリを食べ、水を飲んで時々寝ている状態だった。
しかし最大の問題は原料となる毛蟹粉末の原料毛蟹が、すっかり枯渇してしまった事だ。
漁期が終わって、残った冷凍毛蟹は買えるが、それはまともな値段の高級品だ。。
とても加工原料とてなど手が出ない。。
最早、これまでか。。。
そう思っていた正にそんな時だった。
蟹を専門に扱っている町内に住むOさんが、フラリと事務所に顔を出したのだ。。
おう、久しぶりだね。。
どうしたい?何かあったかい?
父が言った。
いや~何だかここの毛ガニラーメン、凄く売れてるって言うんでしょう!
ああ、おかげさんでね〜。
売れてるよォ〜。
何か、麺に毛蟹の粉末入れてるって聞いたけど。。
ああ入れてるよ。それが売りだからね〜。
だったら俺、毛蟹の粉末ゴッソリ持ってるんだわ〜。
オタクで使えるなら、買ってもらえんかなぁと思って来たんだけど。。どうだべ…。
で、これがそうなんだけど、使えるかい。。。?
と紙袋の中から瓶に入った茶色の粉末を取り出しテーブルの上に置いた。
私と父は集まって、それを手の平に乗せて舐めた。
それは、私がいつも作っている毛がに粉末そのものだった。。
私は驚いた。
しかし父は冷静だった。
どれくらい持ってるのサ。。
北海道中の雑把毛がに集めて乾燥して粉末にしてるから、相当あるよ。。
そうだね、10㌔の発砲スチロールに入って、50ケースはあるかなぁ〜。
因みに300gの毛がにを身殻全てを粉末にして、凡そ20g程度にしかならない。
10㌔粉末となれば大凡500匹前後の毛蟹が粉末になっている事になる。
10㌔1ケースは、手間暇賃入れて20〜25万円してもおかしくないシロモノだ。
何処で作ってるのさ。。
それは言えんけど、町内ではないよ。だけどしっかりしたジイさんが毎冬かけて作ってるんだわ。。
そうかい。。まァいいさ。。
私は交渉に口を挟まなかった。
しかしその毛蟹粉末を、私は今直ぐにでも、喉から手が出るほど欲しかった。
それにしても、私はそのあまりのタイミングの良さに驚いて、殆ど声を出せなかったのだ。
父は交渉を続けた。
それは最早駆け引きを楽しむベテラン商人達の顔だった。
安くなるんだったら、買ってもいいよ。。
ホントかい!なら、なんぼなら買ってくれるのサ。。?
なんぼで売る気サ。。
腹の探り合いだ。
金銭を巡る大人の会話だ。
私は固唾を飲んで見守っていた。
10㌔ケース18万円でどうだい?
私の計算でゆくと、それは凡そ妥当な纏め買いの良い値段だっと思った。
じゃ50ケースで900万かい。。
チョット高いなぁ〜。
じゃ全部買うからサ、も少し何とかなんないのかい!
えっ!全部買ってくれるのかい!
うう〜〜ん。。。
じゃケース15万円に負けるよ。それ以上は無理だよ!
良し、買った!
支払いは現金かい?
いや~、そりゃ無理だわ。いっぺんに直ぐ使うもんでもないし、手形支払いだね。
月50万円、約束手形15枚で支払うわ〜750万..
それで納得してくれるなら、買うわ。
参ったなぁ〜社長〜〜!
わかったよ。じゃ、それでお願いしますワ。
で、いつ持って来れるの?
でもいっぺんに50ケース来ても、うちの冷蔵庫に入りきらないから、先ず半分の25ケース入れて、後は来年明けてから又貰うけど、それでいいかい?
ああいいですよ。
それからこの先、又毛蟹集めて粉末作ったら、みんな買ってくれるのかい?
まあ、先なことはわからないけど、このラーメンが売れてれば、買うよ。。
よし、分かった。
じゃ来週の始めにトラックで先ず25ケース持って来るわ。
取り敢えずこの一瓶の粉末は、サービスで置いてゆくワ。
じゃ、来週!
そう言い残してOさんは帰って行った。
私とオヤジは顔を見合わせた。
しかしまァ、こんなことがあるのんだなぁ〜〜驚いたなぁ〜!!
父が言った。
ホントだわ!
これは、作り続けろと言う神様からの指令かもしれないね。
そうでも考えなぎゃ、余りにタイミングが良すぎるよ〜〜!
その晩二人は、食卓で会話の弾む美味しい酒を飲んだ。。
そう私が家に戻って来て三年、今始めて同じ方向に向かって一緒に歩き出し、確かな仕事をしている実感が有った。。
嬉しかった。。
母も嬉しそうだった。
良かった。。ホントに良かった。。
しかし、こんな奇跡のような事がこのまま続くのだろうか。。
私は食事を終えて、つららと共に散歩に出た。
綺麗な月の登った空の下を夏間近の湿った温もりが流れていた。
とても気持の良い明るい月夜だった。。
このチャンスを、絶対モノにしなくてはならない!
私は誓った。。
そうして売上が一気にドンドン伸びてゆくと、何処で聞いてくるのか、色んな業者が営業にやって来た。
段ボール、包装資材、スープメーカーと。。
そして其々の仕入れ値がみんな少しづつ下がって行った。
そして他の銀行もやって来た。
とうぞ当行から、増設資金を、運転資金を使ってください。
新商品゛毛がにラーメン゛を売った好業況は、願ってもない方向へと会社の有り様を激変させて行ったのだ。
やがて主要銀行の提案で個人営業から株式会社に変更する事を勧められ、一緒に税理士事務所を付ける事を提案された。
それを直ちに実行した。
紹介されてやって来た税理士が、売り上げ台帳、原材料仕入れ台帳、そして経費を記載した帳簿を暫く見つめて言った。
社長、このままでは来年2月の決算期には、相当額の税金を払わなくてはならなくなりますよ。
いやいや、それは困るわ〜〜。
なら、どうしたらいいんですか!?
先ず売上から言って、社長、専務の給料をかなり上げなくてはいけませんね。
どれくらい?
先ず社長は月100万円貰って下さい。
専務はその半分は貰ってください。
更に必要な設備があれば、ドンドン買って下さい。
兎に角経費に使って節税しなくてはなりません。
そんな事になってるのかい!
じゃ保則お前、何か欲しいものは無いか?
オレ?
オレかい?なら、営業に行く車、あの冷凍庫でなくて、普通のライトバンが有ればいいんだけど。
では、それをリースで買いましょう。全額経費で落ちますから。。
他に、何か必要な物は有りませんか?
まあ、急にそう言われてもネぇ〜、降って湧いた様な話だから、まあ、とにかく考えて書き出しておきますよ。
そうして下さい。
来週来るので、それまでに。
兎に角、早いほうがイイです。
節税の為に。。
信じられない状況が訪れたのだ。
節税??
これまでず〜〜〜っと赤字続きだった極貧会社が、そう僅かな税金を支払うにも銀行から借り入れしてやっと回していた麺工場が、あっという間に黒字化し、更に売上は伸び続け、今度は節税のためにお金を使え!と言うのだ。
父は感慨深げに言った。
いゃ〜〜、オレもとうとう100万の給料貰うようになったのか。。
やがて札幌からやって来た大恩人のkさんに、税理士から言われた節税の話をした。
そしてkさんはこの日が来たことを我が事のように喜んでくれた。
そのまま上寿司の出前を取り、鶏肉の半身揚げを取り、ビールを注ぎ、三人は事務所で祝宴を始めた。。
是迄の、全ての苦労が報われた瞬間だった。。
お互いを讃え合い、お互いに苦労を語り合い、酒を飲んだ。
様々な思いが走馬灯の様に巡って行った。。
フット私の胸に、j子への思いが通り過ぎて行った。。
この神の計らいは、一体私に何を教えているのか。。どうしょうと言うのか。。
何より、この幸運がいつまで続くのか、それが最大の問題だった。
そして父は、何事にも慎重だった。。
半分信じて半分信じていない。
こんな物はブームであっという間に過ぎ去ってゆくものだ。
だから今は兎に角稼がなくちゃならんぞ〜。
先の事は少しも判らない。。
しかし、この幸せと言える時間に浸れた現実に、私は今日までの全ての事に感謝した。
こんな日が来るとは。。
その晩遅く、私は再びつららを連れて事務所からの帰り道、最高の気分で満天の星空の下を歩いた。。
秋の虫達が草むらで鳴いていた。。
その道は、かつてj子と結ばれずに絶望の中で歩いた、人生を恨んだその道だった。。
今日を迎える迄の日々を、あれをこれを、私は静かに静かに噛み締めて歩いた。。
涙が溢れた。。
j子よ、この時に君が居たら、どんなに素晴らしい時になったなだろうか。。
いや、君といたら、こんな時は訪れなかったのだろうか。。
。。。。。
私はこれを機に、我が家を建てて独立する事を考えた。
貰う給料で十分払って行ける。
33歳。。
沢山の夢を描き始めていた。。
やがて私は単品商品を作り、ギフト商品を作り、大手スーパーのダイエー、イトーヨーカドーへと販路を広げ、全国展開へと勢い良く前進していった。
全ては順調に進んでいった。
しかし、神様はそう簡単に大菩薩峠を越させてはくれなかった。
ある日、一本の電話が鳴った。
そして突然、目の前に超え難い高い壁が聳え立ってしまったのだ。。
つづく