一本歯の高下駄で磨く身体感覚 | 「達人への道」

一本歯の高下駄で磨く身体感覚

一本歯の高下駄を履いていてちょっと気づいたこと。                                                                                                             
                                                                                                                      足裏の重心は親指の付け根に乗るのが正しいという派。踵をしっかりと踏みしめるのが正しいという派。足裏に満遍なく偏りなく乗るのが正しいという派と色々あって、自分の中でもよくわからないままだったのですが、今、現時点においての私の結論としては、3つめの「足裏全体でただふわりと乗っている状態」が正しいということで納得しています。(また変わるかもしれませんが)ちなみに甲野先生は平起平落と言われています。日野先生も「まんべんなくただ乗っているだけ」と言われています。                                                                                                                                                                                                                                                                   昨日、一本歯の高下駄で井の頭公園を散歩した後でなんとなく構えてみて思ったのですが、「足裏の重心の位置がどこか?」を気にすると足裏に緊張が生まれます。意識が足裏に居着くわけですね。それでは意味がないですし、すぐに動けません。ただ足裏全体をべったり、ゆったり、ふんわりと地面につけておけばいいのだということが頭ではなく、実感としてなんとなくわかってきました。少林寺拳法の開祖の写真を見る限りにおいては足がとてもふんわりと着地していて浮いているようです。開祖のように立つには足裏がリラックスして緩んでいなければなりません。一本歯の高下駄で数時間歩けば足裏のべったりした感覚は確実に磨かれます。一本歯でなくても普通の下駄でも足裏の感覚は磨かれますが、一本歯の高下駄では強制的に軸が立つので全身のバランス力アップには最適だと思います。歩くのはわりと簡単ですが、ただその場に動かずに立つというのがとても難しいです。「立つということは常にゆらゆら揺らいでいる状態なのだ」と体感できることだと思います。この揺らぎを小さく小さくしていけばやがて一本の細い線になるのでしょう。そうなれば自分の体幅を自在に使えて最小の動きでかわせたりできるようになるのかもしれません・・・まだまだ先は長いです。