こんなブログに足を運んでくださり、いつも感謝しております。
突然ですが、ブログタイトルを変更しました。
以前は、摂食障害脳は「治す」ものだと思っていたんですが、なんだが最近しっくりこなくて…。
かといって、何がしっくり来るのか分からないんですけどね。
なので、断定無しの「…」。
以下、いつも以上に意味不明な自分の気持ちを書きます。
長い上に自分でも意味不明な忘備録なもんで、チラ見程度でお願いします( -᷄◞ω◟-᷅ )
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今、考えてること。
先ず、摂食障害になった事実は変わらないから、これからいくつになっても無かったことにはできない。
私は何歳まで生きるか知らないけど、生まれてからずっとたった一つの人生が続いていて、私という人間は変わらない。
でも、今 信じていることは、何らかの衝撃的な出来事で覆されるかもしれない。
人生観が変わる出来事に遭遇するかもしれない。
今、過食嘔吐やめるーと言っているのは、
過食嘔吐が、今の自分にとって邪魔だから。
過食嘔吐が生きていく上で必要なものに変われば、躊躇なく過食嘔吐生活に戻る。
死ぬよりましだから。
楽しく生きることに越したことはないけど、
私の性格上、何も考えずに「楽しいー」って暮らすことは「今のところ」難しそう。
ただ、10代、20代、30代と生きてきて、少しずつ生き易くなってきた。
自分の選択は、
道徳的にどうなのかとか、一般的にどうなのかとか、親からしたらどうなのかとか。
ずっと考えて来たけど、正解なんて分からない。
自分の中でも、その時々で答えが変わるんだから正解なんて無いに等しい。
自分の考えが正しいとは思ってないけど、自分にとって今、「生き易い」と思うことをしてみたら良いんじゃないかってこと。
だって、責任取るの私なんだもん。
生きてるの私だからね。
他者に咎められることでも、私にとって生きる手段であって、人に迷惑かけてなければ、それは善。
この考えも、明日になったら変わっているかも。
でも、それで良い気がする。
人間なんて変わっていくもの。先に何があるかなんて分からない。
絶対なんてないし、無くていい。
その時の自分にとっての最善が最善。
自分っていうのは自分の脳内にあって、
自分が死んでしまえば自分ってものは消滅する。
こうやって考えていることも、苦悩することも無かったことなる。だって、それを知っている自分がいなくなるんだもん。
実にちっぽけ。
「無」すらない。
自分らしさなんて、わかるわけない。
自分を認めてあげるって具体的に何?
「私は私自身を愛します」って?
嫌な自分も知ってるのに?
私には言えない。
でも、嫌な自分を嫌な奴だと認めることは出来る。良い自分も知ってる。
きれいごとは嫌いだけど、
自分を投げ出すことも嫌い。
私は、今のところ、寿命まで生きて臨終の場で何を思うのかを知りたい。
てか、もうろくして何にも考えてないか。
それまでに、もし死にたくなったら、その時はその時考える。
とにかく、子どもを望んだ時から、生きると決めたから。
苦悩しながら、丁寧に幸せに生きたいと思う。