死を見つめ直すということ
親戚の叔父さんが亡くなった。
その知らせを受けた瞬間、胸の奥にじわりと広がったのは、悲しみと同時に「死とは何だろう」という静かな問いだった。
最近、私は死を“恐れるもの”としてではなく、違う側面から眺めることが増えている。
もしかしたら死とは、ある意味で“解放”なのかもしれない――
そんな思いが心に浮かんでくるのだ。
■ 肉体は入れ物、魂は旅を続ける
私たちが必死にしがみつくこの肉体は、ただの器に過ぎない。
本当の現実は、もしかしたらその先にある世界なのではないか。
この世で苦しみや不安を抱えながら生きる日々を思えば、
「いつか解放される」
そう思うだけで、心がふっと軽くなる瞬間がある。
■ 死を心待ちにするという感覚
人はみな、いずれ必ず死へと向かう。
その事実を受け止めたうえで、私は“怖れ”よりも“不思議な安心感”を感じている。
ただし、魂を成長させた上で次の世界へ行きたい。
それは、欲望のままに生きた者だけが得をするような世界ではあってほしくないからだ。
だから私は、自分なりの未来を見据えながら、生きづらい身体を引きずってでも前へ進もうとしている。
■ 葬儀は質素でいい
近年、家族葬や小さな葬儀を選ぶ人が増えている。
私自身も、もし自分が旅立つ時は、葬儀はいらないと思っている。
火葬場へ直接向かい、ダンボールの棺で十分。
骨は粉にして合同の海洋散骨へ。
お金は20万円あれば足りるだろう。
お墓も不要。
この世に残すものは、自分が創作してきた作品だけで十分だ。
■ 長生きは望まない
高齢者の多くは死を拒み、どうにか生きようともがく。
しかし私は、無理に長生きしたいとは思わない。
ただ静かに、自然に、自分の魂が向かう場所へ行きたいだけだ。
“アセンション”という言葉を使うなら、
私はその仲間入りを密かに願っている。
同じような想いを抱える人は、きっと少なくないはずだ。
