引越は断捨離のタイミング。しかし迷うものばかり。
3月1日、引越。
1月中旬から、不要なものはどんどん捨てた。
おそらく三割は減ったと思う。
履かない靴、壊れた靴。
古着、雑貨、家電の空き箱。
使わないダンベル。
行くことのないキャンプ用テーブル。
ボディーサーフボード。
加湿器。
古い扇風機は六台。
スマホも十台ほど出てきた。
役所の回収箱に入れたとき、
小さな時代をいくつも手放した気がした。
布団や毛布も処分し、
テレビ台は解体した。
かなり減らしたつもりだった。
しかし、新居に荷物を入れた瞬間、
まだこんなにも物があるのか、と立ち尽くす。
アルバムは重く、場所を取る。
食器や調理器具も、
「いつか」のために残されたものが多い。
部屋に物が多いと、空気が濁る。
視界が狭まり、思考まで散らかる。
息が浅くなる。
物はただの物ではない。
過去の選択の集合体だ。
「こうなりたかった自分」
「続くはずだった習慣」
「戻ると思っていた時間」
その痕跡が、棚や押し入れに積み重なっている。
断捨離は、物との戦いではない。
過去の自分との対話だ。
まだ使える。
もったいない。
思い出がある。
手放せない理由はいつも正しい。
だから迷う。
けれど、空間には限りがある。
時間にも限りがある。
何を残すかは、
これからどんな時間を生きるかの宣言になる。
引越しは終わった。
しかし断捨離は終わらない。
暮らしながら削ぎ落とす。
選び直す。
静かに整える。
物が減ると、
部屋に余白が生まれる。
余白ができると、
思考が静まる。
静まったところに、
本当に必要なものだけが残る。
迷いながら、手放す。
それは喪失ではなく、
輪郭をはっきりさせていく作業なのかもしれない。