ココロが痛むニュースばかりで滅入って

ネットを賑わす話題も論争が多くて疲弊

すべての情報をシャットアウトしてから

大好きな音楽をひとり静かに楽しんでる

なかなかゆっくり音楽を聴く時間もない

たまに聴くときは昔よく聴いていたもの

どれほど時間が経過しても好きなものは

変わらずにやっぱり大好きでささくれた

ココロが穏やかになった気がした冬の夜




多感な年頃にずいぶんたくさん
 
音楽を聴いていたように思う
 
夢中で何度も何度も聴いた記憶
 
無意識に生活に溶け込む程に
 
良質な音楽に触れて来れたこと
 
常に寄り添って助けられたこと
 
忙しい日々で消耗しすり減る心に
 
束の間の癒し時間がぜいたくで
 
たまらなく愛おしい時を過ごせた
 
 
 
 
秋の夜長は物思いに耽りやすい
 
特に静かな雨音が響く今日など
 
昼間の喧騒が嘘のような静寂に
 
ひとり身を委ねられる幸福さよ
 
不思議と泣きたい気持ちになる
 
目まぐるしい日常の有り難さや
 
ぶつかる困難に戸惑い悩んだり
 
誰かと語り合いたい欲求もある
 
ままならないことだらけだけど
 
深呼吸をして目を閉じる時間が
 
たまらなく愛おしい孤独に酔い
 
ひとりだけどひとりではないと
 
ゆらゆら揺れながらひとりごち
 
 
誰かに手紙が書きたいな
 
ハガキではなく便箋で。
 
メールとは違うあの感じ。
 
昔よく手紙を送り合っていた友。
 
わくわくしながら覗くポスト。
 
便箋に合わせる切手選び。
 
今なら何を書くかな。
 

 
 

ここまでSNSが発達し少し検索すれば、

簡単に探したい人の近況が解るようになった昨今。

 

ほんの興味本位で昔の恋人や同級生なんかを検索し、

近況を知った先にある感情はなんだろうか。

 

結婚してたら?新しい恋人と幸せそうだったら?

仕事が順調でプライベートも充実していたら?

どんな感情が渦巻くのだろう。

 

SNSに情報をあげている人は意外と脇が甘く、

誰もがその情報を見られる状態にしていることが多く、

危機管理の意識が低い様に思うのだがどうだろう。

 

不特定多数に情報を発信する必要性とはなんだろう。

そこで知り得た情報で自分に不利益がもたらされるとは

考えたりしないのだろうか。

 

個人的に過去は過去として一人感傷に耽るだけの私は、

本当に気になる人を検索にかけたりはしない。

想いは残っていないけれど、自分にどんな感情が芽生えるのか、

知りたくはないし、そもそも近況をそのように間接的に

入手したりはしたくない。

 

なんとなくこのメッセージが届けばいいな、と思う人がいる。

過去を検索して一方的に傷ついてしまったかもしれない人に。

忘れる事はできなくても、自分の中にだけ留めておけばいいこともあると。