今日2月1日は34歳で亡くなった兄の60回目の誕生日。


殉職しなければ2024年をもって刑事を定年するはずの年でした。(記事中にある村松正詞が実兄です。婿養子に入ったため名字がかわってます。)


捜査1課のロッカーに25年保管されていた兄のジャケットが奥さんに返却されたという内容が毎日新聞の記事に掲載されました。


捜査1課の事件簿:「S1S」バッジの意味と重み 亡き刑事の妻に贈った指輪と思い | 毎日新聞


当時、巡査部長だった兄は、警視庁捜査1課長の運転担当で、殺人や強盗などの現場があれば夜中や早朝など昼夜関係なく覆面パトカーで24時間現場に急行する任務についていました。



休日であっても事件があれば現場に急行する日々。当時は誘拐や立てこもりなど初動捜査に関することも頻繁にあったそうで、こういった事案の場合には秘匿義務により家族であっても数日間 居場所は明かせないなど、ストレス極まりないお仕事だったようです。


僕以上にお酒が大好きだった兄は休日でもお酒が全然飲めないと嘆いていたボヤきがいまでも忘れられません。



警視庁刑事部 捜査1課は、全国の所轄刑事の中から検挙率や署長推薦などで選ばれし限られたエリートのみが配属される部署と聞いています。


弟として、身内として、兄が特別に選ばれるような尖った能力があったとは正直思えませんが、正義感や実直さ、夢に向かって突き進むエネルギーが他の刑事さんより秀でて熱かったことが理由だとしたら分からなくもありません。


警察官採用試験の志望動機が、刑事ドラマ「太陽にほえろ」に憧れたからという理由だけで志した兄ですから、刑事になるまでの道のりは現実と理想のギャップに相当苦労したはずです。


それでも夢をつかみ、憧れの捜査1課刑事になれて殉職した兄は、ある意味本望だったのかもしれません。


人の一生。。。

いつどこで終わるか自分にも誰にも分かりませんよね。だったら日々、今日も生きてる事に感謝して自分のやりたいことをしたらいいと思います。


兄から学んだことは、日々精一杯悔いなく生きること。諦めなければ夢は叶うこと。すべての人に感謝することを教わりました。


兄は生前、自分が三味線弾きを志ざす夢を全力で応援してくれました。


兄が天国で見てくれてると信じて、

今日も心をこめて三味線を弾かせていただきます。



2013年に書いた兄への想い

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