自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -7ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。


「世界中の人を幸せにする。
 それがわたしの使命です。」

ネットサーフィンしていたら、そんな言葉が目に飛び込んできた。



そうか。

私、世界中の人を幸せにしたいなんて、一度も思ったことがないなぁ...。

「世界中の人の幸せ」を想像したことが無い。

意識の中に一度ものぼったことのないコトバだ...。



ずっとずっと昔に見たビジョン。


自分が手を伸ばして届く範囲。

せいぜい半径1、2メートル。


そこにいる人、

手を伸ばせば届く場所にいる人。

その人たちが幸せであればいい。

その人たちを幸せに出来たら、それでいい。


その人たちが、今度は自分の手の届く範囲の人を幸せにしていく。

そうやって、幸せはどんどん広がっていく。


私が、「世界中の幸せ」をのぞまなくたっていい。


私は自分の目の前の人のことだけを考える。

あとは、勝手にやってくれ(笑)。



あとは、勝手にやってくれるよ。

みんなが。

世界が。



今も、ふっと静まれば、同じビジョンが浮かぶ。

これしか、思いつかない。






癒されようと思っていない...


そんな言葉が浮かんだ。


そうだ。


私は、癒されようと思っていない。

自分を癒そうとは思っていない。



理解して

受け入れる。


それだけ。



傷をなくす。

傷を癒す。

傷を光に変える?


そのような意味での「癒し」を

もう求めていない。



それを理解した。

そういう自分が「わかった。」



こういう私を理解しなかった人に対する、怒り・哀しみ。

その「傷」もまた、

癒そうとは思わない。



それが、愛だから。


傷を抱えて生きることこそが、愛なのだと。


今、私は理解する。


それこそが、真の意味での「癒し」なのだと。


それが、「奇蹟」なのだと、

わかった。



人間イエスも、

同じように傷を抱えて生きたんだね。


これでいい。

それでいい。


それこそが、あなたの生きる道なのだと。


今やっと、

「兄弟」という言葉の意味が、

わかった。



兄弟イエス

すべての兄弟たち



祝福



祝福されて

祝福して


そして

生きる。


ただ、生きるだけ。


昨晩、お風呂上がりにぼーっとしていると

突然なんの前触れもなく、思考が暴走を始めた。

とある出来事に関する思考。


とあることに、はっと気付いて、

それに関する思考が止まらなくなった。



そして、自分の中から、とてつもない怒りが湧き出してきた。

アタマはどんどん加速していった。

止めるすべもなく、

仕方が無いので、

ただつのっていく怒りを茫然と眺めていた。



やがて思考の暴走は止み、

ベッドに入った。


その思考はもう出てこないけれども、

冴えたアタマで、眠れなかった。


うつらうつらした浅い眠りを何度か経て、

朝が来て、目覚める。


すっかり忘れていたということに、今、気づき、

ふとまたそのことを思い出し、

自分自身を感じてみると


怒りが、

静かな波のようなものになっているのを発見した。


波というより

静かな海。


ただそれは確かに、「怒り」ではあるような気はする。


怒り?

いや、哀しみなのかもしれない。



怒りと哀しみは、

いつもとても近くにいる。




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知識の無さから来る無意識の(本人が気付いていない?知らない?)「嘘」。

悪気はないだろうけど。
でもそれは、「嘘」なんだよなぁ。
それは、世間を騙してるってことなんだよなぁ。
知らないからって、それでいいのか...

それもその人の学び、なのか???
はたまた、私の学びなのか(笑)。
それとも、そんなことはどうでもいいことなのか?



たまに人間くさいことを、書いてみた(笑)。
こんなどろどろ人間くさい私です(--〆)


不思議な夢をみた。

同姓同名の女の子が、わたしをたずねてくる。
小学校高学年か、中学生くらいの女の子。

苗字を
名前をたずねると、
私と同姓同名。

さらにたずねると、
母方の私の知らない親戚だった。

その子は知らずに、ただ「私」に会いに来た。
同姓同名ということも知らずに。



夢の記憶は、どんどん薄れていく。


夢を振り返り、
そこに「言葉」を当てはめたとたんに
「感情」が出て来た。


それを観ている自分もいる。


解釈が、
物語を作り、
感情を作る。

世界をつくる。




物語る相手を意識したとたんに、
「自分」が生まれ、「他者」が生まれ、
「分離」が生まれた。



その女の子は、
「インナーチャイルド」と呼ばれるものではない。
(「解釈」好きな人のための、あえてのアンチテーゼ。
  ここでも、「他者」を意識している自分がいる(苦笑))




「分離した世界にいる絶対的な哀しみ」


それも、

"私"の物語であり、
"私"の解釈でしかなく、

"本来の私"においては、
ただそうであるだけで、
なんの意味もないものだった。




存在が深まる、ということは、
意味が落ちていくことであり、
存在が消えていくことでもある。

"私"という夢が消え、

だが、

わたしが深まっていく。


この私が、

ここにいる。



すべての存在を、同時に感じる。



いや、これは適切な言葉ではない。


イエスも、この女の子も、この私も。

すべて「記憶」でしかなく、

その「記憶」が重ね合わさって、
すべて、ここ、に。

ここ、
に、
ある。


感じるのだけれど、感じてはいない。
(感じる"私"がいないから)

感じているのだが、感情がない。
感情は、別のところで起きている。




夢の記憶が薄れていく。


でも、その子の柔らかい頬、
抱きしめた腕のぬくもりは、

ある。


という「解釈」を与えただけで
わき起こる「感情」。

それにとまどう。



少し、意識をずらせば、
同様に、
この生を生きる自分の記憶があり、
たとえばイエスの磔刑の記憶も、
重なってある。




目覚めと、精神障害は紙一重だな、と可笑しく笑う。




夢の記憶が薄れていく。



わたしが深まっていく。

ただのわたしが、
どんどん深まっていく。


わたしが

ただ

ここに

いる。





「おかあさん」が、消えていく。

母の存在。

母という記憶、になっていく。

母も、私、になっていく。



ちょうど1年。


今日という日に。
ありがとう。




そんなにたくさんのものを欲しいとは思わない。

ミリオネアになりたいとも思わない。



経験したことが無いから
わからないから、欲しがれないんだよ。

この世界は自分が創っているんだから
なんでも可能なんだから

欲しがればいいんだよ。
なんでも手に入れればいいんだよ。

豊かさを受け取ろうとしていないあんたは、ダメなやつさ!


そんな無言のプレッシャー?
言外のメッセージ?
を、感じつづけていた。

いろいろな人の中に。
(つまりそれは自分の投影だけど。)



経験したことが無いから。

経験してみれば、わかる。

経験してみないで、
いらないってなんで言えるの?
なんで言うの?

経験したこともないくせ。





ずっと、

「それ、何かが違う」

と思っていた。






わかった。


経験する必要がない。



「経験しなくてはいけない」
「経験すべきだ」
「経験しようとしないあんたはダメなやつだぜ」

隠されたメッセージ。
もしくは、自分の中に残る未消化物(笑)。



一見、正しそう、素晴らしそう、納得してしまう言葉の中にも
エゴの自分に引き戻すメッセージは、潜んでいるのだ。




もうなんにも経験する必要はないんだよねぇ。



だから、あえて欲しがらないだけ。


「経験しない」のではなく、

「経験しようとがんばらない」。



来るなら、受け取る。

来ないなら、わざわざ取りにはいかない。

どっちでもいい。

どっちでも幸せでいられる。

あろうがなかろうが。



だから、欲しがる必要が無い。

経験する必要がない。




私が経験しなくても、誰か他の人が経験している。
ならば、同じこと。

だから、経験する必要が無い。



自分の力を「試す」必要などない。

世界を「試す」必要などない。

だから、何も望む必要がない。



このままで完全なんだから、

何も経験する必要はない。



なにもしない、ではない。

なにもしようとはしない。


それが、あるがまま。