自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -6ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。


やっとわかった。

「傲慢」がどこからやってくるのか。



それは、

自分より凄いものがある、

という錯覚から生まれるのだ。




自分より凄いものがあると思うから、

それになんとかしてもらいたいと、あがく。

それになろうと、何かをしようとする。

それが、「傲慢」。



そして、

自分より凄いものがある、ということは、

自分より凄くないものがある、ということ。

これが、一般的な意味での「傲慢」も生む。




なにもない。


この意味が、

これのこの世界での活かし方が、

やっとわかった気がする。


なにもない。

すべては同じ。

すべては同質。

すべては同等。




創造主もいない。

ただわたしがいるだけ。



わたししかいない。

わたしがいない。

どちらも同じことになる。


なにもない。

だから

すべてある。



すべてが顕われ。



この世界はマボロシだと言うのは、

まったくのナンセンス。




すべて顕現として

ここにすべてある。



いまここがリアル。


どこか別の世界にあるリアルではなく、

ここがリアル。


unreal などない

すべてが real





なんのことはない。

自分も「知識」に踊らされていただけ。

だということに気付いた朝。




もともと自分の中にあった感覚に

言葉を与えたくて

言葉で理解したくて



「知識」に、

「情報」に

踊らされてしまった。

ふりまわされてしまった。




それで良かったのに。


余計な「知識」を

フィルターをくっつけてしまっていたんだ。




それもまたよろし


だけどね(笑)




わたしは消えない


その感覚で良かったんだ。





わたしは消えない。

それもあれも全部わたしで、

わたしは消えない。





結局また

物語を手放す、

という物語を生きている。


エゴが消滅した

という物語を生きている。



だけ?(笑)



だから、

生きるしかないんだよねぇ。


つべこべいわず。


死ぬまで生きろ!





今朝、地球が崩壊する夢を見て目覚めました(-.-)



わかった。

私がACIMを放棄した理由(笑)。


ワークブックをやっていると、常に反省しないとならないからだ(爆)


私はマダマダだ。

まだ、私は完璧に出来ていない。


必ず、そう反省する。

そう考える思考が出てくる。


ACIMは、徹底的だ。

なにもかも徹底的に徹底的(笑)。



だから、「完璧」を求めてしまう。


その迷路に私は嵌り込んでしまったのだ。



私は世界を美しいと見ている。

世界は完全に調和がとれて美しい。


それはわかってたんだよ、最初からずっと。


でも、

オマエはマダマダだ。まだダメだ。完璧じゃない。

って言われ続けているみたいで、

苦しくなった。



世界は美しい。

その美しさの中に、マダマダで欠けている私がいる。


でも、

その「欠け」も含めて、全てが完璧で美しい。

その「欠け」も愛している。美しい。


それを既に知っていた。

それは最初から、わかっていた。



だからもう、「形」はいらない。



それでも愛している。


イエスが言いたかったことは、これだよね。

365の言葉を並べて、本当に言いたかったことは、


それでも愛している。

あなたはすべて赦されている。

そのままでいい。



「形」はいらないよ。


人間イエスは、

「なぜ私を見捨てたのですか?」

と言ったときにも、思ってたんだよね。


それでも愛している。



もう「形」はいらないよ。

あなたの伝えた「形」じゃなくて、

あなたの伝えることそのものを、生きる。



なんにもこわくない。



だって、

もしも私が間違えたならば、

きっと世界は、私を転ばせてくれる。


そのくらい、私は愛されている。


何をおそれることがあろうか!







長いこと、「傲慢」という言葉に苦しめられてきた。

「おまかせする」ということが、わからなかった。


はるか彼方にある大きなものに、おまかせする?

大いなる流れに、身をゆだねる?


だからわからなかった。


大きなもの
大いなるもの

それは常に自分の中にあった。

自分の外にはない。

いや、自分の中にあると言うよりも、

”それ”を感じるとき、私は”それ”になっている。

だから、おまかせする、ということがわからなかった。


だってそれは私だから。


それも、私も、区別がない。


言ってみれば、

宇宙の意志は私の意思
私の意思は宇宙の意志。


傲慢?(笑)


おまかせするとは、考えることをやめることではない。

考えが出てくることを、止めない。

自分の中から出てくる本当の考えを、そのまま外に表現する。

それが私のおまかせ。

自分の意志を放棄することでは無い

自分の意思が宇宙の意志になり、
宇宙の意志が自分の意思になるのだ。


流れの中にいる自分

ならば、わざわざまかせるも、まかせないもない。

流れに身をまかせるのではない。

流れに入るのでもない。

流れになるのでもない。

元々、私が流れそのものなのだ。



エゴをエゴと呼ぶのも、

何だか、もうどうでもよくなってきた(笑)