去年会社を退職してから、今後の自分として想定していたことや目論んだことは、自分の中で違和感が出てきてやりたくなくなったり、あるいは途中でダメになったり、なにひとつ実現しませんでした。
そしてとうとう、
『本当の本当になんにもない自分になっちゃった。』
そんなぽつんとした気持ちになりました。
そしたら、不思議なことに。
なんだか、とても自由で、とても楽しくなって、生きる歓びがふつふつと湧いてきました。
ずっとなんだかよくわからないと思っていた「わくわく」が、自分の中にあることを感じるようになりました。
なんにもない自分で始めてみようか。
私が一番私らしく自由で出来ること。
私が一番得意なこと。
私が一番好きなこと。
それは、言葉。
書くことや話すこと。
そして、きちんと自分のことを話してくれる人の話を聞くこと。
私自身が今までいろんな人と会って話をする中で、たくさんの気付きを得てきました。
なんらかのセッションという場でも。
日常生活の中でも。
自分以外の「観察者」がいること。
それがとても重要なことだと、理解するようになりました。
自分との対話もまた重要だけれど、他者がいることでダイナミックな変化が起きることもある。
話をしているうちに、自分の中の考えがまとまり、はっと気がつく。
ときに思いがけない「言葉」が自分の中から出てきてびっくりしたり。
とりとめもなく自分だけがしゃべっているようにみえて、実はそこには、そばに寄り添い見守ってくれている「観察者」がいた。
そのことが、自分一人ではたどりつけないところに、たどりつかせてくれました。
そして、そんなふうに一緒に過ごす時間と空間では、ヒーラー(癒す人)とヒーリー(癒される人)の境目がなくなります。
受け取ることが与えることになり、与えることが受け取ることになる。
そんな経験をたくさんしてきました。
そんな「場」が、私は大好きです。
そんな「場」を、私は創っていきたい。
一緒に経験していきたい。
肩書も資格もなんにもありません。
今まで学んだ『ツール』は全部忘れて、なんにもない私で始めてみます。
こんな私と話をしたい人、会いにきてください。
とりあえす、自分の中ではこれはβバージョン(笑)という気がするので、ワンコインで始めてみようと思います。
今までの私だったら、こんなぬるっとした形(爆)で、告知したりしなかったと思います。
いろいろ考えて考え抜いて、私が提供出来るものはこれです!あなたが得られるものはこれです!なんていう立派で素敵な募集の文章を書いて、しっかり「形」を整えてから始めていただろうと思うのだけれど、今の自分にはなんだかそれは似合わない。
こんなふうに肩の力を抜いて、ぼちぼちやってみるのがいいような気がしたのです。
でも、私と話すのは楽しいっていうか、面白いと思います。いろんな意味で(^_^;)
その点は自信あります!
で、少しだけおりこうさん的に説明を付け加えると、私は左脳的にお話しすることも右脳的にお話しすることも、得意です。どちらも出来ます。どちらもやってます。(やってるらしいと最近、気がついた。)
言葉では表現できないことを、言葉で、そこにエネルギーを乗せて、伝えたい、わかちあいたいと思っています。
肉体を持つことの制限を楽しんで、チャレンジし続けます!
なんだかこんなやつに会ってみようかなあと思った方、メールください。
右側にある『メッセージを送る』をぽちっとすると、メールが送れます。
もしくはこちらまで: mamimumemoo★mail.goo.ne.jp (★を@に変えてください。)
時間:60分~120分くらい
料金:ワンコイン(500円)
(ワンコインセッションは、2012年5月末で終了しました。)
予約可能時間:13時~20時くらい
場所:千葉県市川市
今日、「お金」について考えた。
考えようと思って考えたわけではなく、あることについて、
『それは、お金のことが原因。』と、ふと頭に浮かんだので。
私は今まで、それこそ、真剣勝負でお金を稼いできた。
だから、お金の価値、を知っている。わかっている。
たとえば、その『1万円』を稼ぐのに、自分がどれだけのことをしなくちゃいけないのか、ということを、実感としてわかっている。
だからこそ、自分がもらうお金に対してプライドを持っている。
だからこそ、自分が払うお金に対してプライドを持っている。
私はお金をたくさんもっているから使う、使えるのではなくて、ちゃんと自分で稼いだお金だから、ちゃんとその価値を認めている、わかっているからこそ、正々堂々とためらわずに使える。
自分のために、ちゃんと使うべきところに、自覚を持って使っている。
なんとなく使っているわけではない。
自分が欲しいもの、自分が必要と思うもののために、きちんと使っている。
自分にとって価値があるものだと思うから、お金を払う。
つまりそれは、「生きているお金」だ。
死に金じゃない、生きたお金の使い方をしているんだ。
だからこそ、それに対して得られるもの、得たいと思うものに対して貪欲だ。
だって、私の大事な大切なお金だもの。
それを大切に扱ってほしい。
いい加減に思って欲しくない。
私の払うお金の価値を認める、大切に扱うということは、私自身を大切に扱う・大切に思ってくれるということ。
私は自分を大切に扱いたいと思うし、自分が払うお金も大切に扱いたい。
お金を払うということは、私にとってそれが価値があると、それは素晴らしいものだと私が思っているということ。
大事だと、大切だと思っているということ。
でも、受け取る方がそれはつまらないものだと思っていたら。
それだけの価値が無いと思っていたら。
エネルギーのバランスが悪い。
エネルギーは流れない。滞る。
偶然(というものはないんだけど(笑))、そのお金=エネルギーの別の流れていく先が現れた。
双方の認識が一致している場だったんだろう。
すんなりと流れた。
そしたら、急にすっきりした。
そして、たくさんの理解が訪れた、怒涛のごとく(^_^;)
会社を辞めてから、余生だと感じるようになってしまって、「もう、あんまりお金はいらない。」って思ってた。
会社員のときと同じだけの収入なんていらない、と。
それはつまり、もうそんなに価値のない自分だから、そこそこのお金があればいいって思ってたってことだ。
それに気がついた。
私が今、そこそこでいい、と思うのは、自分の器がそこそこだって思ってるってことだ。
お金はエネルギーだから、それに見合った器じゃないと、扱えない、身を滅ぼすってよく言うじゃないですか。
宝くじ当たるみたいに、急に大金が入ると不幸になる人がいる、とか。
つまり、いつのまにか自分で自分の器を小さくしちゃってたんだなって気がついた。
お金はいくらあっても困らない。
お金があることで得られる自由はたくさんある。
私は、「お金が無い」ということを言い訳に生きる人生は嫌だ。
「もうそんなにお金はいらない。」って思ってたのをやめる。
私はちゃんとお金の価値もわかっているし、お金を大事にしているし、大切にしている。
自分がもらうお金、払うお金にプライドを持って、ちゃんとお金に向き合っている。
敬意を持って接してるって言ってもいいくらい(笑)。
だからこれからも、生きたお金を使って、生きたお金と仲良くしていく。
そう決めた。決め直した。
それはつまり、自分の価値をしっかり認めて、プライドを持って生きるということだ。
生きたお金、生きた自分自身になる。
「そこそこ」で嫌なのは、自分の人生だった。
私はもっと自由に大胆に大きく自分の人生を生きたい。
無自覚なお金の使い方はしない。
自分が本当に欲しいものにお金を使う。
今までもそうだったけれど、今まで以上に、本当に欲しいものだけに意識してお金を使おう。
本当に欲しいものは何か。
本当にしたいことは何か。
それをちゃんと考えよう。
考えないとわかんないのかい、自分!と突っ込みを入れたくなるが、わからないのだ、今はまだ。
ただ、自分の誇りを取り戻すこと、尊厳。
まずはそこから。
今日はそこまで気付けた。
本当に、いろいろな意味でありがとうな一日だった。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
私が尊敬して愛しているのは嘘じゃない。
私は自分を信じて愛している。
考えようと思って考えたわけではなく、あることについて、
『それは、お金のことが原因。』と、ふと頭に浮かんだので。
私は今まで、それこそ、真剣勝負でお金を稼いできた。
だから、お金の価値、を知っている。わかっている。
たとえば、その『1万円』を稼ぐのに、自分がどれだけのことをしなくちゃいけないのか、ということを、実感としてわかっている。
だからこそ、自分がもらうお金に対してプライドを持っている。
だからこそ、自分が払うお金に対してプライドを持っている。
私はお金をたくさんもっているから使う、使えるのではなくて、ちゃんと自分で稼いだお金だから、ちゃんとその価値を認めている、わかっているからこそ、正々堂々とためらわずに使える。
自分のために、ちゃんと使うべきところに、自覚を持って使っている。
なんとなく使っているわけではない。
自分が欲しいもの、自分が必要と思うもののために、きちんと使っている。
自分にとって価値があるものだと思うから、お金を払う。
つまりそれは、「生きているお金」だ。
死に金じゃない、生きたお金の使い方をしているんだ。
だからこそ、それに対して得られるもの、得たいと思うものに対して貪欲だ。
だって、私の大事な大切なお金だもの。
それを大切に扱ってほしい。
いい加減に思って欲しくない。
私の払うお金の価値を認める、大切に扱うということは、私自身を大切に扱う・大切に思ってくれるということ。
私は自分を大切に扱いたいと思うし、自分が払うお金も大切に扱いたい。
お金を払うということは、私にとってそれが価値があると、それは素晴らしいものだと私が思っているということ。
大事だと、大切だと思っているということ。
でも、受け取る方がそれはつまらないものだと思っていたら。
それだけの価値が無いと思っていたら。
エネルギーのバランスが悪い。
エネルギーは流れない。滞る。
偶然(というものはないんだけど(笑))、そのお金=エネルギーの別の流れていく先が現れた。
双方の認識が一致している場だったんだろう。
すんなりと流れた。
そしたら、急にすっきりした。
そして、たくさんの理解が訪れた、怒涛のごとく(^_^;)
会社を辞めてから、余生だと感じるようになってしまって、「もう、あんまりお金はいらない。」って思ってた。
会社員のときと同じだけの収入なんていらない、と。
それはつまり、もうそんなに価値のない自分だから、そこそこのお金があればいいって思ってたってことだ。
それに気がついた。
私が今、そこそこでいい、と思うのは、自分の器がそこそこだって思ってるってことだ。
お金はエネルギーだから、それに見合った器じゃないと、扱えない、身を滅ぼすってよく言うじゃないですか。
宝くじ当たるみたいに、急に大金が入ると不幸になる人がいる、とか。
つまり、いつのまにか自分で自分の器を小さくしちゃってたんだなって気がついた。
お金はいくらあっても困らない。
お金があることで得られる自由はたくさんある。
私は、「お金が無い」ということを言い訳に生きる人生は嫌だ。
「もうそんなにお金はいらない。」って思ってたのをやめる。
私はちゃんとお金の価値もわかっているし、お金を大事にしているし、大切にしている。
自分がもらうお金、払うお金にプライドを持って、ちゃんとお金に向き合っている。
敬意を持って接してるって言ってもいいくらい(笑)。
だからこれからも、生きたお金を使って、生きたお金と仲良くしていく。
そう決めた。決め直した。
それはつまり、自分の価値をしっかり認めて、プライドを持って生きるということだ。
生きたお金、生きた自分自身になる。
「そこそこ」で嫌なのは、自分の人生だった。
私はもっと自由に大胆に大きく自分の人生を生きたい。
無自覚なお金の使い方はしない。
自分が本当に欲しいものにお金を使う。
今までもそうだったけれど、今まで以上に、本当に欲しいものだけに意識してお金を使おう。
本当に欲しいものは何か。
本当にしたいことは何か。
それをちゃんと考えよう。
考えないとわかんないのかい、自分!と突っ込みを入れたくなるが、わからないのだ、今はまだ。
ただ、自分の誇りを取り戻すこと、尊厳。
まずはそこから。
今日はそこまで気付けた。
本当に、いろいろな意味でありがとうな一日だった。
ありがとう。ありがとう。ありがとう。
私が尊敬して愛しているのは嘘じゃない。
私は自分を信じて愛している。
先の見えない暗い道路も
それがたとえ迂回路でも
いまは少し二人とも
つらい表情 しまっておこう
これは別れではない
出逢いたちとのまた新たな始まり
ただ
僕はなおあなたに逢いたい
また
いつか笑ってまた再会
そう絶対
(Still... Rap詞 櫻井翔)
不思議なことに。
私は今までどれだけこの曲に励まされたことだろう。
この曲をきっかけとして、どれだけたくさんのものを受け取ってきたのだろう。
シングル曲でもない、アルバムにも入っていない、シングルのカップリング曲(昔で言うB面)なのに、ファンからの絶大な支持を受けている曲。
ライブで歌われたことが大きいのだろうけれど。
私は新参のファンだから、そのあたりのことはよくわかんないんだけれど。
それでも。
この曲を初めて聞いた時、鳥肌がたった。
たかがアイドル、って、どこかで思っていたところがあったのかもしれない。
それでも、それなのに、この曲を初めて聞いたときには、もうびっくりして硬直した。
さくらっぷでも覚醒みたいな体験もした(笑)。
「抱えたものの多さに潰れそうなその時」、
この曲と一緒に何回泣いたかわからない。
今また、人生の岐路とでもいうような場所に立って、またこの曲とともにある。
今はもう、どんなに回り道のように見えても、それが自分の辿る道でしかなくて。
結局のところ、それが最短の道だということも知っている。
かつては、先の見えない暗い道路だと思っていたことも、
今はそれこそが光に照らされた道でしかないということも知っている。
今はもう光しか見えない道を、自分が辿っていくのだという予感もある。
そして
いつか笑ってまた再会そう絶対
今はその言葉に励まされ、その言葉を信じて、先へ進もう。
それがたとえ迂回路でも
いまは少し二人とも
つらい表情 しまっておこう
これは別れではない
出逢いたちとのまた新たな始まり
ただ
僕はなおあなたに逢いたい
また
いつか笑ってまた再会
そう絶対
(Still... Rap詞 櫻井翔)
不思議なことに。
私は今までどれだけこの曲に励まされたことだろう。
この曲をきっかけとして、どれだけたくさんのものを受け取ってきたのだろう。
シングル曲でもない、アルバムにも入っていない、シングルのカップリング曲(昔で言うB面)なのに、ファンからの絶大な支持を受けている曲。
ライブで歌われたことが大きいのだろうけれど。
私は新参のファンだから、そのあたりのことはよくわかんないんだけれど。
それでも。
この曲を初めて聞いた時、鳥肌がたった。
たかがアイドル、って、どこかで思っていたところがあったのかもしれない。
それでも、それなのに、この曲を初めて聞いたときには、もうびっくりして硬直した。
さくらっぷでも覚醒みたいな体験もした(笑)。
「抱えたものの多さに潰れそうなその時」、
この曲と一緒に何回泣いたかわからない。
今また、人生の岐路とでもいうような場所に立って、またこの曲とともにある。
今はもう、どんなに回り道のように見えても、それが自分の辿る道でしかなくて。
結局のところ、それが最短の道だということも知っている。
かつては、先の見えない暗い道路だと思っていたことも、
今はそれこそが光に照らされた道でしかないということも知っている。
今はもう光しか見えない道を、自分が辿っていくのだという予感もある。
そして
いつか笑ってまた再会そう絶対
今はその言葉に励まされ、その言葉を信じて、先へ進もう。
大地のぬくもりさんから、コメント欄に素晴らしいメッセージをいただいて。
しばらくoutputすること、言葉を使うことは控えようと思っていたけれど、我慢できなくなりました。
突然、「崖から突き落とします。」という展開になりました。
まったく考えもしなかった選択で、まったく「そうしたくない」と思う選択で、でもそれでも自分はその可能性に賭けてみたいと思うワクワクも感じられて。
バシャールが、「ワクワクの波動と怖れの波動はよく似ている(同じ?だっけ?)」と言っていることの意味が、今ようやく、体感としてわかりました。
会社員を辞めた後、『今までの全部を捨てる』というようなメッセージを受け取り、実際、ああこういうことか、と思うことを体験し続けています。
それにしても、「捨てる」ということはまさかここまで、と思うところまでなんだと、愕然としています。
自分が忘れていた過去の出来事を、あらためて思い出し、あらためてその意味を理解し、そして終わらせるというような流れが続いています。
どんどん昔にさかのぼり、とうとう自分が「崖っぷちまで逃げる」、と決意した日があったことまで記憶によみがえりました。
「逃げる」と決めたときに、
いつか逃げ切れなくなるときが来る。
その時私は、きっと崖っぷちに立っているんだろう。
そうなったら、その時は私はもう崖から飛び降りる。
と、同時に思いました。
それまで、どんな手段を使ってでも、逃げる。
つらいこと、いやなこと、苦しいこと、大変なこと。
全部逃げて逃げて逃げまくってやる!
それは、私の「それでも生きたい!」という強い思いだったのだと、今、わかります。
そう思った割に、私の今までは苦しくなかったのだろうか、とも思うけれど(笑)。
そうやって、とことんひとりで頑張って頑張って、ここまで生き抜いてきたのだと思います。
そうやって頑張ってきた自分がいるからこそ、今の自分がいる、という誇りでもあります。
それをやりきって初めて。
「もう、自分一人ではどうにもならない。」
ということに気付かされました。
『他力』
いただいたコメントに、この言葉を見て、理解しました。
本当に私は崖っぷちに来ちゃったんだな。
飛び降りると決めた日には、それは「絶望」で全ての終わりと思っていたけれど、あの日から長い年月がたって、今やっとそれは「絶望」ではないということが理解出来るところまで来たから、だからこそ手を離すということが目の前に現れたのでしょう。
そして初めて、やっと、全部を手放してゆだねるということの安心感と幸福を見ることが出来たのだと思います。
そしてそして、これは難しいことではなくて、深刻なことではなくて、ただただ自然であるがままの流れであるということが、わかりました。
ひとりでいると、不安で押しつぶされそうになったりもするのですが、そういうときに、ちゃんといろいろな形で「大丈夫だよ。」と励ましてくれる存在に出会える。
今までも、その都度都度、最適な人が目の前に現れて私を支えてくれたということにも、あらためて気付きました。
今までちゃんと気がつかず、ちゃんと感謝することも出来ていなかったんだなぁということにも、同時に気がつきます。
自分ひとりで頑張ってきたと思っていたけれど、でも誰かに何かに支えられていたのだということ。
そのことを、言葉だけでなく、きちんと深く深く感じることがやっと出来るようになりました。
そして。
あらためて、本当の意味で言えます。
どうか、私を使ってください。
この私を、生かしきらせてください。
しばらくoutputすること、言葉を使うことは控えようと思っていたけれど、我慢できなくなりました。
突然、「崖から突き落とします。」という展開になりました。
まったく考えもしなかった選択で、まったく「そうしたくない」と思う選択で、でもそれでも自分はその可能性に賭けてみたいと思うワクワクも感じられて。
バシャールが、「ワクワクの波動と怖れの波動はよく似ている(同じ?だっけ?)」と言っていることの意味が、今ようやく、体感としてわかりました。
会社員を辞めた後、『今までの全部を捨てる』というようなメッセージを受け取り、実際、ああこういうことか、と思うことを体験し続けています。
それにしても、「捨てる」ということはまさかここまで、と思うところまでなんだと、愕然としています。
自分が忘れていた過去の出来事を、あらためて思い出し、あらためてその意味を理解し、そして終わらせるというような流れが続いています。
どんどん昔にさかのぼり、とうとう自分が「崖っぷちまで逃げる」、と決意した日があったことまで記憶によみがえりました。
「逃げる」と決めたときに、
いつか逃げ切れなくなるときが来る。
その時私は、きっと崖っぷちに立っているんだろう。
そうなったら、その時は私はもう崖から飛び降りる。
と、同時に思いました。
それまで、どんな手段を使ってでも、逃げる。
つらいこと、いやなこと、苦しいこと、大変なこと。
全部逃げて逃げて逃げまくってやる!
それは、私の「それでも生きたい!」という強い思いだったのだと、今、わかります。
そう思った割に、私の今までは苦しくなかったのだろうか、とも思うけれど(笑)。
そうやって、とことんひとりで頑張って頑張って、ここまで生き抜いてきたのだと思います。
そうやって頑張ってきた自分がいるからこそ、今の自分がいる、という誇りでもあります。
それをやりきって初めて。
「もう、自分一人ではどうにもならない。」
ということに気付かされました。
『他力』
いただいたコメントに、この言葉を見て、理解しました。
本当に私は崖っぷちに来ちゃったんだな。
飛び降りると決めた日には、それは「絶望」で全ての終わりと思っていたけれど、あの日から長い年月がたって、今やっとそれは「絶望」ではないということが理解出来るところまで来たから、だからこそ手を離すということが目の前に現れたのでしょう。
そして初めて、やっと、全部を手放してゆだねるということの安心感と幸福を見ることが出来たのだと思います。
そしてそして、これは難しいことではなくて、深刻なことではなくて、ただただ自然であるがままの流れであるということが、わかりました。
ひとりでいると、不安で押しつぶされそうになったりもするのですが、そういうときに、ちゃんといろいろな形で「大丈夫だよ。」と励ましてくれる存在に出会える。
今までも、その都度都度、最適な人が目の前に現れて私を支えてくれたということにも、あらためて気付きました。
今までちゃんと気がつかず、ちゃんと感謝することも出来ていなかったんだなぁということにも、同時に気がつきます。
自分ひとりで頑張ってきたと思っていたけれど、でも誰かに何かに支えられていたのだということ。
そのことを、言葉だけでなく、きちんと深く深く感じることがやっと出来るようになりました。
そして。
あらためて、本当の意味で言えます。
どうか、私を使ってください。
この私を、生かしきらせてください。
人生最難関、崖っぷち。
そんな流れに直面し、OSHOに聞いてみたら。
どうやら、OSHOも賛成らしい(-_-メ)
というわけで、しばらく地に潜るかもしれません...。
-----------------------------------------------
59. 精神分裂症

人間は分裂している。精神分裂症は人間の普通の状態だ——少なくとも今は。原始的な世界ではそうではなかったのだろうが、何世紀にもわたる条件付け、文明、文化が人間を群衆にしてしまったのだ——わかれた、分裂した、相反する群衆……。だが、この分裂は人間の本性に反しているのだから、どこか奥深いところに隠された統一が依然として生き延びている。人間の魂(ソウル)はひとつであり、条件付けはすべて、せいぜい人間の表層を破壊するだけだからだ。だが、中心は触れられずに残っている―人間が生きつづけていられるのはそのためだ。だが、その生は地獄になってしまった。禅の全努力は、この精神分裂症を落とすにはどうすればいいのか、この分裂した人格を落とすにはどうすればいいのか、人間のこの分割された心(マインド)を落とすにはどうすればいいのか、どうすれば分割されず、統合され、中心に定まり、結晶化するようになるのかということにある。今のままのあなたでは、自分は在るとは言えない。あなたには実存がない。あなたはさながら市場だ——多くの声。たとえ「イエス」と言いたくても、そこにはもう「ノー」がある。あなたは「イエス」という単純な言葉ですら全一性をもって口にすることができない……。こんなことでは、幸福はありえない。不幸こそ、分裂した人格の自然の成り行きだ。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3
解説:
このカードの人物は、「前門の虎、後門の狼」という古い考え方に新しいひねりをもたらしています! しかし、私たちは心(マインド)の優柔不断で二元的な面に引っかかって身動きできなくなったとき、まさにこの手の状況にはまっているのです。手を放して頭から落ちるべきか、それとも、足を放して足から先に落ちた方がいいのか? こっちに、それともあっちに、どっちに行くべきなのか? 「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか? しかし、どう決心しても、もうひとつの方の決断を下すべきではなかったのかと、私たちにつねに考え込んでしまいます。このジレンマから脱け出す唯一の方法は、残念ながら、両方を同時に手放すことでしかありません。解決しようとしたり、是か非の一覧表を作ったり、心(マインド)でなんとか結論を出そうとしたのでは、出口は見つかりません。もしハートを見つけることができたら、自分のハートに従った方がよいのです。見つけられなかったら、ちょっとジャンプしてみましょう―。ハートはたちまちどきどきしはじめますから、ハートがどこにあるのか、つかみそこねることはないでしょう!
そんな流れに直面し、OSHOに聞いてみたら。
どうやら、OSHOも賛成らしい(-_-メ)
というわけで、しばらく地に潜るかもしれません...。
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59. 精神分裂症

人間は分裂している。精神分裂症は人間の普通の状態だ——少なくとも今は。原始的な世界ではそうではなかったのだろうが、何世紀にもわたる条件付け、文明、文化が人間を群衆にしてしまったのだ——わかれた、分裂した、相反する群衆……。だが、この分裂は人間の本性に反しているのだから、どこか奥深いところに隠された統一が依然として生き延びている。人間の魂(ソウル)はひとつであり、条件付けはすべて、せいぜい人間の表層を破壊するだけだからだ。だが、中心は触れられずに残っている―人間が生きつづけていられるのはそのためだ。だが、その生は地獄になってしまった。禅の全努力は、この精神分裂症を落とすにはどうすればいいのか、この分裂した人格を落とすにはどうすればいいのか、人間のこの分割された心(マインド)を落とすにはどうすればいいのか、どうすれば分割されず、統合され、中心に定まり、結晶化するようになるのかということにある。今のままのあなたでは、自分は在るとは言えない。あなたには実存がない。あなたはさながら市場だ——多くの声。たとえ「イエス」と言いたくても、そこにはもう「ノー」がある。あなたは「イエス」という単純な言葉ですら全一性をもって口にすることができない……。こんなことでは、幸福はありえない。不幸こそ、分裂した人格の自然の成り行きだ。
Osho Dang Dang Doko Dang Chapter 3
解説:
このカードの人物は、「前門の虎、後門の狼」という古い考え方に新しいひねりをもたらしています! しかし、私たちは心(マインド)の優柔不断で二元的な面に引っかかって身動きできなくなったとき、まさにこの手の状況にはまっているのです。手を放して頭から落ちるべきか、それとも、足を放して足から先に落ちた方がいいのか? こっちに、それともあっちに、どっちに行くべきなのか? 「イエス」と言うべきか「ノー」と言うべきか? しかし、どう決心しても、もうひとつの方の決断を下すべきではなかったのかと、私たちにつねに考え込んでしまいます。このジレンマから脱け出す唯一の方法は、残念ながら、両方を同時に手放すことでしかありません。解決しようとしたり、是か非の一覧表を作ったり、心(マインド)でなんとか結論を出そうとしたのでは、出口は見つかりません。もしハートを見つけることができたら、自分のハートに従った方がよいのです。見つけられなかったら、ちょっとジャンプしてみましょう―。ハートはたちまちどきどきしはじめますから、ハートがどこにあるのか、つかみそこねることはないでしょう!