自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -26ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

今日、初めての「セッション」をさせていただきました。

今まで、ボディワーク関連で交換セッションをしたり、友達に練習としてやらせてもらったことはあったけれど、お金をいただく「セッション」は生まれて初めて。
そうやっていただくお金がこんなに清々しく嬉しいものだとは!
すっきりとした笑顔で帰っていかれるのを見送ると、じわーっとした嬉しさに満たされました。
「やったー!」という嬉しさではなく、「ああよかったなぁ。」と本当に本当に感謝でいっぱい。

更に。
セッションを受けてくださった方がご感想を送ってくださいました。
ご自分の気持ちをこんなにすぐに言葉にして送っていただいて、ただただありがたいです。
本当に幸せです。
とっても素敵な言葉たちだったので、ご本人の了解を得て、全文をそのままシェアさせていただきます。


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いますごくいい感じです。
どんな自分も許せる状態。
やってもやらなくても、どんな思いが浮かんでも
いっぱい食べることも、遊びにいくことも
行かなくても、なんでもOK。

本質を見て、それが自分だとわかっただけで
なんですべてが許せてしまうのか
よくわからないけど(考えなくてもいいですよね)
何をやっても許せなかったのが嘘みたい。

動かない、静止画のままだったそれを
見る時間をくれてありがとう。
目をそらすことをとがめてくれて
ありがとう。
それがちゃんと見えて感じるまで
じっと待っていてくれてありがとう。

色々なセッションとかワークショップに行ったけど
自分で気づく機会を与えてもらったのは
初めての経験でした。
時間かかっちゃったけどね。ほんと、待っててくれて嬉しかった。

家に帰って睦子さんのことを思っていたら
神の教師っていう言葉が浮かびました。
うん。先生だった。私にとって。

もしまた自分が何者かを忘れて、迷子になったら
まっさきに行きます!(もう忘れないと思うけど)

今日はありがとうございました。
心をこめて。


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『目をそらすことをとがめてくれて』とありますが、これはこの方が自分の本質に触れてそれを感じた時に、話をそらそうとしたんです。
他の話題に逃げようとしたので、
「ごまかさないで。それをちゃんと感じてみて。」とお願いしました。


本当に怖いのは、実は自分の中の闇ではなくて光。
自分の中にそんな素晴らしいものがある、ということに気がついたとき、人はなぜか怖くなって思わずそこから目を逸らそうとしてしまう。
あまりに大きくて素晴らしい自分の中の光。
それが認められずに、怖くて逃げてしまう。見なかったことにしてしまう。
私自身がそんな経験を何度も何度も繰り返してきました。
だから、よーーーくわかりました。

でも、それは隠しようがないんです。
それはどんなに押さえようとしても、外に出さずにはいられないものなんです。
だってそれが、私たちの本質だから。

それを怖れずに表現すること。

それこそが私たちがこの世界に生まれてきた意味。
それこそが私たちがこの世界に貢献できること。

そんなふうに私は思います。


人から言われたことではなく、自分で気づいたこと・感じたことは、もう自分の中から消えることはありません。
外から与えられたものではなく、自分の内側から出てきたものだから。
自分の内側に「それ」があれば、迷子になりかけてもいつでもそこに還っていけます。
もう外に何かを探しにいく必要もなくなります。

怖さから逃げないで、自分でちゃんと見つめることを選択してくれた勇気に感謝しています。
そばにいさせていただいて、私もたくさんのものを受け取らせていただきました。
本当に素晴らしいギフトをどうもありがとうございました。






ワンコインセッション始めました。
βバージョン公開中。
上に(sur)与える(render)

surrenderということは、
この私を全部上に与えておまかせする、という意味だけではなくて、
この私からも上に何かを与える、という意味もあるのではないかと、最近、思う。



ずっと考え続けてきた『傲慢』ということ。
「私が私が」ということをやめるなんてことは、実は結構ちっちゃいことで、自分はダメだとか価値が無いとか思うこと、この自分を生かしきらないことの方がどれだけ傲慢なのか、ということがやっとじわじわとわかってきた。

「あなたはそのままでいい。罪なんかない。」ということは、
「あなたの本質は、そのままでまったく間違っていない。」という意味で。
その本質を真に表現していない状態は、とても不自然なことで、何かに逆らっているということで、間違った状態。
それこそが傲慢だということ。

何かを我慢したり押さえたり。
本当の自分が外に出ることを止めている状態は、そのまま、ではない。

「あなたはそのままでいいんだよ。」というのは、
「あなたの本質そのままを表していいんだよ。」ということなんだと思う。
いまこの状態が心地よくないのだとしたら、苦しいのなら、幸せを感じられないのなら、
その状態のままでいることは「そのままのわたし」ではない。
そもそも素晴らしく幸せなものとして創られているのに、その本質に逆らって不幸でいるということ、不幸でいられると思っていることって、どれだけ傲慢なんだい?ってこと。
その現状維持を続けてもいいんだと言っているわけではないんだよね。本当の意味では。
どうしてもこの状態から動けないとき、っていうのは確かにある。
でもそれはあくまでも過程であって、いつかそこから動いて、そのままの私、に戻っていかなくてはいけない。

今までの私は、やりたくなかったらやらなくてもいい、いまこの状態にいたいのならばここにいる、ここにいてもいい、それも私の選択って思っていた。

それが私の『傲慢さ』だった。

今は、あえて、「戻っていかなければならない。」という言葉を使う。
それこそが、この世に生まれてきた意味だと思うから。
それを実現しないでどうする?!と思うから。

自分の本質を表現すること。
そうやって、この私も何かを上に与える、のだと思う。
こんなちっぽけな私が上に何かを与えるなんて、大それたことを!と思うのが傲慢。
こんな素晴らしい私だから、上に与えることが出来る。

そもそも「こんな素晴らしい私」にあちらさんは創ったんだから(笑)。
でもあちらも、助けが必要なんだよね。
肉体の無いあちらさんは、肉体のある私たちが必要なんだね。


今までどれだけこういう話を聞かされても、ちゃんとはわかってなかった。
自分で体験してみて、やっと初めてその意味がわかった。
スパルタに思える仕打ちにブチ切れたこともあったけど、それは大きな大きな愛からだと、受け入れる。

もう降参。
surrenderします。



しっかし、目を覚まさせるためには手段を選んだりはしないんだなぁと。
そこはちょっともにょりたい(爆)。





まだまだ抵抗したい人も、そろそろ抵抗をやめようかなという人も。
話すことで見えてくることもある。
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ずっと忘れていたこと、ずっと記憶の奥底に沈んでいたことが、
ふっと浮かびあがってくるということが続いている。



多分、中学生か高校生のころ。
「恋愛」ということにようやく具体的な実感が伴ってくる、そんなころだったと思う。


私は、100%の愛しかいらない。


そう思った。
ただ強く静かにそう思った。

それは、完璧な人が欲しいということではなく。
欠点も弱点も、全部ひっくるめて好きになれる。
汚いところも嫌なところもそれも含めて全部愛する。
どんな悪もどんな闇も、それも愛する。
そんな愛でなければいらない。
そんなふうに私は誰かを愛したい。
そんなふうに私を愛さない人なら、いらない。


思春期の少女の夢見る夢子さんな想い。
そんなふうに思って、いつのまにかすっかり忘れていた。

実はこんな子供のころのまっすぐな想いが、ずっと自分の中にあり、
それが今の自分を創っていたのだと、今ならわかる。


どんな悪もどんな闇も
それよりもっともっと大きな光があるから
誰の中にもあるから
だから愛せる。

そんなふうに私はこの世界を愛する。



昨日、「セッション始めます。」ということを宣言してみたのだけれど、実はすんなり宣言出来たことに驚いている。

今までいろいろと考えたことはあった。
でも、どれもどうしても公開できなかった。
そのうち文章さえまとまらなくなった。
本当に不思議なんだけれど、どれだけちゃんと書いた文章でも最後の最後に投稿(公開)出来ないということがたまにある。
そういうのは結局のところ、どこかに自分にとってのうそが混じっているのだ。
そのときの自分では気がつかなくても、時間がたって読みなおすと「あちゃー!」と思う。

それが、「なんにもない。」っていうところにたどりついたら、急にやる気になってすらすらと言葉が出てきて、そのまま公開出来た。
でもまあその内容は、一日たって読み返してみたら、自分でもびっくりな内容ではある(笑)。

営業的なセオリーは一切無視してるし。
やってはいけない悪い告知の見本みたい(~_~;)

逆に言うと、今までどんだけ頭でっかちだったんだ、と思った。
どこかで見たこと、どこかで聞いたこと、誰かに言われたこと。
そんな型どおりにやらなくちゃいけないって、思いこんでた。
そんなんじゃ、誰も来ないよって。

ただ私はやりたい、と思う。
ということは、きっと誰かが会いたいと思ってくれるはず。
それだけを信じる。

そういう「場」を創りたい。
その思いだけを世界に投げる。





そもそも会社員を辞めたら、ボディワーカーになるのだと思っていた。
もう1回、アレクサンダーテクニークの学校に入りなおそう。
クラニオも勉強しなおそう。
そう思っていた。

でも、実際はそういうふうに行動しなかった。
行動しかけたのだけれど、びっくりするくらい流れがまったくそちらに向かわなかった。

よくよく振り返ってみれば、たとえアレクサンダーの先生になったとしても、「きっとアレクサンダーっていいながら違うことやると思う。」って自分で言っていた。ほぼ無意識的に。
何かわかりやすい、これやってます、って掲げられる説明できるものがないとお金を稼げないって思ってた。
『看板』がなかったら、お客さんをどうやって集めるの?
だからその『看板』が欲しい・必要と思ってたんだって気がついた。

『看板』にするには、アレクサンダーの先生になるってハードルが高すぎるし。
そこまで困難な道をなんで選ぶんだろうか?
アレクサンダーは大好きだし、その先生たちも素敵な人ばかりで。
でも、私がやりたいこと・私がやることは、「それ」ではないということを心のどこかでわかっていたんだろう。

だとしたら、私は何をやりたいんだろうか?
「違うこと」って言ってるそれは何?


私は伝えたい。わかちあいたい。
この世界が素敵だということを。
いまこの瞬間が、どんなに豊かで美しいのかということを。
それは私自身があなた自身が豊かで美しいということ。
それを感じたい。
それを伝えたい。
誰かがそれに気がつくその瞬間の目撃者になれたら、どんなに幸せだろう。
私がその「場」に寄り添うことが出来たら、どんなに幸せだろう。


そのための「ツール」を探していた。
何かの「ツール」が必要だと思っていた。
いつしか、その「ツール」が目的にすり替わっていた。
何かの看板を手に入れることに努力していた。

そして、自分が自分であることを、いつか忘れていた。

何かになるための努力。
それは何かが足りない自分、を創っていただけだった。

自分が本来望んでいたところから、逆の方へ逆の方へ頑張って行こうとしていた。
だから苦しかった。
だから幸せじゃなかった。


全部を捨てたら、自分が戻ってきた。


私の「ツール」は、私自身しかなかった。
私の今まで全部、それが私の「ツール」だ。

私は今までの自分を全部ひっくるめてさらけ出すしかない。
ただただ正直に自分の全部を見せるしかない。
ダメなところも残念なところもある自分。
それを全部見せること。
それが私に出来ることだと思う。
そして、それしか私が求めるものを得る方法なんかないのだと思う。
結局のところ、それしか私には出来ないのだと思う。


そのまんまの私で、お待ちしています。
いつもの日常から少しだけ離れて、ゆっくりとあなた自身に向き合う時間をとってみませんか。

あなたの話を聴かせてください。
もやもやすること、ぼんやりと感じていること。
はっきりとした「形」になる前の想いを、話してください。

私は「観察者」として、あなたとともにいます。

あなたの本質は豊かで美しい。

私はそれを知っています。
私はそれだけを見ています。
そんな「観察者」がいることで起こるダイナミックな変化を楽しんでください。

誰かから、外から与えられるのではなく、自分の中から湧いてくるもの。
あなた自身の力で、あなた自身の言葉で、あなた自身に出会う。
あなたが自分自身を外に表現する、そんなoutputのお手伝いをします。


あなたが主役です。




< 対話セッションのご案内 >

所要時間:90分〜120分くらい
 時間がオーバーしても、延長料金はいただきません。
 時間を気にせず、お話しください。

料金:15,000円

ご予約時間(1日2枠のみ)
 1.13:00~
 2.17:00~
 開始時間の調整は可能です。
 また、お勤め帰りにもいらしていただけるよう、2は20:00まで時間変更を承ります。
 ご予約時にご遠慮なくご相談ください。

場所:千葉県市川市
 JR総武線本八幡もしくは都営新宿線本八幡から徒歩8分。
 詳細はご予約後にご連絡します。

女性専用サロンとさせていただいております。



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