自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~ -19ページ目

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

パソコンを切ったけど、「言葉が足りない」と...(-_-;)

もう1回立ち上げて読み返して。
いつになく乱暴な記事の書き方をしたとちょっと反省。
追記しようと思ったけど、すでに長いので、もうひとつ書くことにしました。


今までの価値観って、「無い」「足りない」から出発しているんだと思う。
それを補わなくちゃいけない。
足りないものを埋めなくちゃいけない、と。

私が「女性性の時代」として思うのは、「ある」から始まるということ。
もう既に、じゅうぶんある、が立脚点。

「無い」から始まるのと、「ある」から始まるのは、全く違う。

表層に現れて来るものが同じように見えたとしても、それは全く違うものだ。



「無い」ということは、実はこの世界が有限であるということ。

「ある」ということは、この世界は無限だということ。



「無い」と思うから、奪い合う。競争になる。

「ある」と思うから、わかちあう。共に生きていくことが出来る。


共に生きるということは、実はそれぞれの「違い」を認めるということ。
(「うに」から連想が広がったのは、そういう意味です(^_^;))

よくスピリチュアルな世界では、ワンネスって言うけれど、
それはみんながまったく同じになることではありません。

それぞれの「個性」があり、それを十二分に発揮して、そしてなおかつ全部つながっているのです。
個々の違いを尊重し、尊敬した世界です。

昔、私はそこのところがわからなくて、SFちっくな、全部みな同じのコピー人間みたいな気持ち悪さを感じていたのですが、それはまったくのまちがいでした(~_~;)


一元性の世界なのに、なんで個性があるの?
という疑問も出てくるかもしれないけれど、本当の意味での一元性はこの世界にいる私たちは絶対に体験できないのです。
一元性の世界とは、自我も消え、つまりはこの世界が消えるということ。
それはあくまでも、想像しか出来ない。
かすかにベールの向こうを垣間見る程度しか、経験することも出来ないのです。

本当の本当は全部つながっている、すべては「わたし」でしかないのだけれど、でもそれをこの世界で表現するとしたら、根っこはつながっているけれど、それぞれの「個性」は尊敬する、そんな世界なのです。
そうでなかったら、肉体を持って、「個」という概念の元に生まれてきた意味が無いわけです。

ものすごく逆説的になるけれど、「個性」を発揮することこそが、源へ還る道であり、この世界を生きる意味なのだと私は思います。


みんなちがって、みんないい。


金子みすゞのこの言葉、すごいなぁと思います。






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あなたの「個性」に気がつくことが、この世界への貢献です。

対話セッションでお待ちしています。





私、うに、苦手なんです。
嫌いで食べられないんですけど、お寿司屋さんに行くとなんだか残念な気分になっちゃうんです。


このあいだ美容院に行ったら、隣の席の女の子が美容師さんとこんな会話をしていた。


そうなんだよね。
私はうには苦手ではないけれど、なんかわかる~、と思った。


うに、嫌いでいいんだよね。
嫌いなものを食べないですむその状況は幸せなはずなのに、
なんで残念って思っちゃうんだろうか。


ヘタすると、
うにが食べられない可愛そうなワタシ、になっちゃったり
うにが食べられないダメなワタシ、になっちゃったり。

単に好きじゃないだけなのに。
好みなんてひとそれぞれ。





もっと幸せになれます!
もっと成功を手に入れましょう!
もっと豊かになれます!

的なことが、私はどーも苦手で。

あなたはまだ豊かさにブロックがあります。
小さな世界しか知らないから、もっと素敵な世界があるのを知らないからです!
自分の器を小さく制限しているからです!

とかとか言われると、
「そうなんですか、そうなんですね、まだまだダメなワタシです。もっと頑張ります。」
と言わなくちゃいけないような気分になる。

ということを、今までずっと繰り返してきました。

でもさ、それは、「うに」でしかないよなー、と思った。
高いからって好きとは限らない。
高級と好きは、まったく違うことだ。
それを好きな人がたくさんいたって、単に、私はそれが好きじゃないだけ。
体質に合わないだけ。


これからは女性が輝く時代です!

とか言ってる割に、「もっと輝きましょう」「もっと成功しましょう」「もっと豊かになりましょう」って、「もっともっと」と急き立てられているみたいで、どうにもこうにも自分には合わなかった。

それって、結局、この「男社会での成功」を求めているんじゃないのだろうか。
今までの、男性性優位の価値観を引きずっているように見える。
勝ち負け、勝ち取るみたいな。パイの取り合い。

成功や名誉や大金は目的じゃない。
綺麗事で言っているわけじゃなくて、それはそれで来るものは受け取るけど(笑)
あってもなくてもいい。どうでもいい。本当に。
信じてくれないかもしれないけど、でも「うには苦手」と同じこと。
っていうか、「たかが、うに」です。
そんなにそこに魅力も感じないし、少なくとも私にとっては、幸せの必須条件ではない。


だって本当にもう、私は自分が豊かで美しいってことを知っている。
私がそうだってことは、誰も彼もそうだってことで、
それもまたキレイ事で言っているわけじゃなくて、だって事実そうだから。

何をしなくても、これ以上頑張らなくても無理しなくても、もう充分みんな持っている。

もうすでに輝いているし、豊かなんだもん。
これ以上、何を「もっともっと」と欲しがるのだろう。

もう充分足りている。
誰かのものを奪う必要は無い。

これからは女性性の時代です、って、そういうことなんだよ~。

もう充分豊かで輝いている存在なんだよ、誰も彼も。
それを認めちゃいなよ!ってことです。
そしたらいくらでも入ってくるから。
もう「もっと」なんて、欲しがる必要が無くなる。



「でも現に今、私は幸せではありません!」
って言いたい人もいるかもしれない。

でもそれも、錯覚なんだよ~。
そう言い張りたいだけ。

気持ちはわかる。
でも、足りてるんだよね。

この世界は有限だって教わってきたけれど、有限じゃない。
頭の中で考えている「有限」「無限」の定義をちょっとだけずらしてみたら、新しい「無限」がわかる。

私はそれを伝えたくて伝えたくてしょうがない。

「伝えたい」っていうのも間違っているわけだけど、そういうことを言いだすとキリが無いので、あえて「伝えたい」と言ってみる。

それに関しては、「もっと」と思う自分がいる。
言葉で説明できないことを、言葉で説明する限界ともどかしさを感じながらも、「もっと」うまく伝える方法はないものかと思う。


なんかそんなことを考えました。
なんか今日は熱いなあ、自分(^^ゞ






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まあだまされたと思って、1回来てみたら。
「うに、苦手でいいじゃん!」って笑いだしたくなるかもしれません。

対話って面白いんだよ~


夢は見始めると、続く。

ひとつ前の記事で「へんてこりんな夢」のことを書いたけれど、あれ以来、オカシナ日々が続いている。

異様に眠くて、一日中眠っている日もあった。
起きていても、夢を見ているようなこともあったり。

今朝は、アメリカのドラマシリーズのシーズン5くらいの超大作ストーリー的な夢を見ていた。
エンディングは、私一人が生き残りというか勝者というのか、他の人たちは溶けて消えていき、自分もからだの感覚は消え、空に舞って、世界に溶けて、自分が世界になって...
そんな夢だった。

自分のカラダに少し意識が戻って、「あ、夢?」と初めて気が付き、ここからやっと明晰夢状態になった。
カラダがとてもラクで、世界と一体になっている感覚もそのままで、でもそれは以前のような「感動~ウルウル」という状態でもなく、ひたすら「快!」というような当たり前の感覚。

そしてその夢というかドラマから覚めていくと、また別の夢の中で、まっ白い空間になぜかAKB風の女の子たちがきゃぴきゃぴとローリングコインタワーみたいなゲームをしている。
ゲームのデモンストレーションをしているらしい。
別のひとりがMC風に前に出てきて、カメラ目線(?)で、
「はい、クイズの賞品です!」「勝者に与えられるご褒美ですっ!」と。

さっきの超大作ドラマは、ご褒美の賞品だったらしい。
なんとなく納得。

そしてさらにその夢から覚めかけて、意識が戻る寸前に、

今度はホントに目が覚めるよ~
だ・か・ら~
これ全部忘れるから。
そういうふうに出来ているからね。
記憶は消すよ~。
そういうシステム(^^)v

と言われたけれど、「それは残念だな~。」「これ忘れるの~。」「これも?あれも?」と考えつつ目が覚めた。

夢って、起きた瞬間からどんどん忘れていくでしょ~
そういうこと(^_-)-☆
だから、記憶は薄れていくよ.....

と。

ベットから起きあがった時点で、その通り、超大作ドラマのストーリーが記憶から消えた。
エンディングしか思い出せない。

「くっ!ホントだぁ」と思ったので、それ以外は忘れないことにしよう、と設定(?)してみた(ような気がする)。

結果、まだ覚えている。
部分かもしれないが。(いや、かなり「部分」だ。)

記憶を消さなくてもいい時代になったんじゃないかなヽ(^o^)丿






以前は、こういうことを全部、自分の「妄想」だと切り捨てていた。
勝手に自分で話を作ってるんじゃないかと。
バッカみたいと。

今もバッカみたい!と思う。
自分で作ってるんじゃないの?とも思いますよ。

でも。

どうでもいいじゃん。
それも楽しんじゃおう!

とも、思う。
無理に捨てなくても、「へ~」って楽しんでもいいんじゃない、って思う。


夢でも体感はある。
夢の中で感じたことも、自分の感覚には残っている。

『胡蝶の夢』ではないけれど、どっちが幻でどっちが現実なのか。



借りてきたけれどまだ読んでいなかった、ウパニシャッド関連の本をぱらぱらしてみた。

アートマン(我)とブラフマン(梵)
その一体性

その概念を言葉で理解してみるってことかな、と思った。
「これを学べ」ということではなく、『それ』をこの世的に理解するのにこの概念が役に立つ、ということだと思う。
左脳的にも納得して落ち着いておきなさい、みたいな?
いろいろな説明方法がある、そのひとつ。

考えすぎる、「研究」になってしまう悪いくせはもう捨てました。


感じたことを、体験したことを、楽しむ。

もうこの世界を楽しみますよ!



あのアヤシイインド人風の人は、「いい仕事」をしたみたい(^^ゞ







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この世界を楽しむために。
いい仕事します(^_-)-☆

対話セッションのご案内

ひさしぶりに、どっかに行っちゃった?系の夢をみた。


褐色の肌の人(男性)に、なんかされていた。
「イメージとしてのインド人」みたいな感じの人だったような。
そういえば、顔は見えなかった。

「誰?」と聞いてみたけど、まったく無視された。



「こういう中途半端な仕事をされるとね...。」
「こんな状態でほったらかしちゃダメなんですよね、まったく...。」

などと、ぶつぶつ文句をいいながら、何かをやっている。
文句は私に向けられているのではなく、その人の前になにかの「仕事」をやった人に向けられている。

こんなんでほったらかされて、まあ大変だよね。
ちゃんとやり通してあげるからね。
でもまあ、あんたも頑張りなさいよ。
今日は行くところまで行くよ!

という感じ...。


で、内蔵をかき回される、みたいな。

中から何かが出ていくというか、湧いて出てくる、みたいな。

ぐわぁーーーんと、からだの表と裏がひっくり返る、みたいな。



オモテ

ウラ








とひっくり返されて、ほーら!

みたいな(-_-;)


ホント、わけわかんない夢。

なんじゃこりゃ?と思ったら、二重らせんのイメージが出てきた。

余計にわけがわかんない。

と、思いつつ、目がさめかけた。

でも、その「仕事」は続いていて、

「覚めてもまだ出来るよ、そこでも続くから。」

ということで、半分目覚めながら、からだがあちこち動いて調整(?)された。

掌がひっくり返って、「オモテ!ウラ!」とか???

なんだかずっと話しかけられていたけれど、今はすっかり忘れてる。
目覚めてたはずなのに!

「はい、終わり~」と言われて、ぱっちり目が覚めた。
でも、ハードであんまりにも疲れていたので、そのまままた眠ってしまった。


まったくわけわかんない夢。
忘れないうちにとりあえずメモしておく。




そういえば、ずっとキーワードで『ウパニシャッド』って言ってた!

うーん。
ググってみたけどよくわからない。

まったく意味不明だけれど、いつかわかる日がくるかもしれない。
このまま忘却の彼方に沈むかもしれない。

とりあえず、図書館に行ってこよう。




朝起きると、まず水を沸かす。

パジャマのまま1杯の白湯をゆっくりと飲みながら、今日のインナーメッセンジャーを読む。
その言葉をじっくりと感じながら、私の一日が始まる。



今年の3月。
「崖から飛び降りる」という決断をした。

ACIMを捨てた。
やすらぎの部屋も辞めた。

決断は瞬時だった。
でもそのことをどうやって関わる人に告げるのか、ということには悩んだ。

でも。

ACIMを生きるコオさんは、全部赦してくれている、という信頼があった。

勝手な甘えではなく、それは確かな信頼だった。
私のどんなわがままも、はたからみたら無茶苦茶に見えるかもしれない選択も。

そもそも、私たちは最初からすべて赦されている

ということを知っている、その世界を生きている

ということに対する信頼。





you can say goodbye
maybe sometimes adieu!

because we never separate
from each other

「さよなら」
ときには「もう二度と会わない」

と言えるのは
私たちが決して離れることがない
と知っているから




今日のインナーメッセンジャーの言葉。

私は、コオさんに、セラピストとして開業したので力を貸してください、とお願いしました。
その告知を掲載していただいた日のメッセージ。

それがどういうしくみなのか、私にはわかりません。
偶然なのか、意図してのことなのか。
はたまた、聖霊のはからい、なのか。



goodbyeでもなく、adieuでもなく、
see you again!

今までご縁を結ばせていただき、そしていつかまた離れていくことになったすべての人に対して、
私は、そう思っている。
もしかしたら、この肉体を離れたあとのことかもしれない。
でも、いつかまた出会い、笑いあえる時が来るということを知っている。



あるとき交点を結び、そしてまた離れ

そしてまたいつか、交点を結ぶ時が来る。


いつかまた、交点の先で出会いたい。


"we never separate"



わたしにつながるすべてのもの

ありがとう。