だからこそ | 自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

自分の中に、

哀しさ

が、あるのを知っている。

寂しさ

なのかもしれない。


それに対して、
様々な「解釈」をされ、
様々な「原因」を指摘され
様々な「解決法」を提示され、
まじめに一生懸命、取り組んできた(笑)
自分でもいろいろと考えたし、感じてみた。

そのたびに、なんらかの「気付き」のようなものはあったかもしれない。

でも、根本は何一つ変わらなかった。

心の奥にある「それ」は、何も変わらなかった。


それに対してもまた

ブロックがある
心を開いていない
頑固
依怙地
傲慢...

と、様々な「解釈」をされ、まじめに「反省」してきた(笑)



やっと、

なんにもわかっていなかった

ということが、わかりかけてきた。


私の「哀しさ」は、なんにも伝わっていなかった、ということ。
本当の意味を理解していた人はいなかった、ということ。

相手もわかっていなかったし、
私もわかっていなかった。


こんなふうに言いかければ、
それは「傲慢」だと言われ、
何も言えなくなっていた。



この哀しさ、寂しさがあるからこそ、私は

生きることは素晴らしい

と、思いたいし、それを伝えたい。


この世界にいることのどうしようもない寂しさ。

だからこそ、繋がりたいと思う。

分離したこの夢の中にいるからこそ。



本当の意味の愛を

本当の意味での「ひとつ」を

多分、知っている。


「多分」というのは、この「わたし」である限り、
この分離した世界にいる限り、
「それ」を完全に感じることは出来ないから。

そもそも、「わたし」が「感じる」ことの出来ないことだから。


だから、さびしい。

だからこそ、さびしいのだ。



完全な愛から、離れている。


この「わたし」でいる限り、「それ」は想像でしかない。

分離した「わたし」が感じることが出来るのは、
完全に「それ」であることは出来ない。



どれだけこの世界が美しくても

どれだけこの世界に愛を見ても

完全からは離れている。



だからこそ、愛おしく思う。

だからこそ、美しいと思う。



この絶対的な矛盾の中にいる、愛おしい「わたし」

このどうしようもない寂しさ。



だから私はずっと、「かみさま」と呼ばれるようなものが嫌いだった。

恨んでもいた。


どうして、そんな「完全」の記憶を、垣間見せるのか。

知らない方がしあわせだったのに。

決して、ここにいる限り戻れないそこ。

「わたし」では、たどりつけない場所。

感じられるけど、自分の中にあるけれど、

それでも、完全に「それ」にはなれない。


それならば、なぜ見せるのか。

なぜ、教えるのか。



なぜ、救わない?

なぜ、創った...?



それは、わたし。

わたしでもあるという、絶対的な矛盾。




「荷が重い」

この言葉も、ずっと自分の中にあり、
これもまた、きちんと理解してはもらえなかった。


私は、何も知らないただの人間でいたかった。
こんなことで、悩みたくはなかった。
こんなふうに、考え込みたくはなかった。

何も知らずに、夢を見続けていたかった。






もう、「解決」を望むことはやめようと思う。


私の中にある「寂しさ」も、

「荷が重い」という気持ちも、

この世界にいる限り、消えないものなのだろう。



それを抱いて生きていく。

だからこそ伝えられる。


生きることは素晴らしい。


この世界は美しい。



わたしも

あなたも

この世界ぜんぶ。


こんなにも

こんなにも

愛おしい。