『ちゃんと天は私を転ばせてくれる。』
自分の中からそんな言葉が出てきた。
最初は自覚がなかったのだけれど、しばらくしてから、「あれ?!」と驚いた。
今までずっと、「傲慢」ということについて考え続けてきた。
「ひとりでやろうとしない。」ということも。
ゆだねるということ。
受け入れるということ。
頭の理解でしかないと、どこか自分でも感じていた。
「どうしたらいいんだろう?」「どうやったらいいんだろう?」と考え続けていた。
自分に自信がなくなることもあった。
一止さんのように、「毎日迷っているよ、これでいいのか。」と思わずつぶやきたくなることもあった。
それでも、自分の中にある確かなもの、自分自身がつながる場所を信じていた。
立ち止まればいつでも、それを感じることは出来る。
その繰り返しだった。
今もその繰り返しだ。
私の思考が、私の行動が、私の生き方が、それがまちがいであるならば、天はしかるべき時にちゃんと私を転ばせてくれる。
愛なのか怖れなのか、自我の声じゃないのかとか。
その選択をあれこれ思い悩んでも、結局のところ私には本当のところはわからない。
それは誰にもわからない。
ならばただ淡々と、今、自分の信じる道を進んでいけばいい。
どっちにしろ、今の自分に出来ることしか出来ないのだ。
それが誤りであるならば、その誤りは必ず正される。
きちんと私は転ばされるだろう。
それは怖れや不安では無く、転ばされることは深く大きな愛情ゆえのことだという信頼。
天に対する信頼。
この世界に対する信頼。
自分自身に対する信頼。
それはすべて同じこと。
どんな誤りも必ず正される。
正してくれる存在がいる。
つまりそもそも、誤りなんかない。
全てが必要な経験だから、起きているだけ。
どれだけ私たちは受け入れられ、愛されている存在であるのか。
いつのまにか、呼吸をするように当然のこととして受け入れていたんだ。
こんなふうに、誤りは正されていくんだね...。
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この世界を信頼する。
そんなことをいっしょに話してみませんか。
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