今日、この方のこんなブログの記事を読んで、朝から(って、結構昼近くだけど(^^ゞ)、
なんだかもうすごく嬉しくなった。
誰かが自分の本当の気持ちに気がついて幸せになっていく。
それに触れさせてもらうと、こんなに嬉しいんだなぁ。
私の幸せの形とはまったく違うけれど、その人にとっての一番。
それがいちばん。
時々、スーパーで買い物をして家に帰る途中、
特に夕ぐれどきなんかに、泣きそうになるときがある。
ああ、私はなんて自由で幸せなんだろう。
好きなときに、好きなものを食べて、好きなように生きて。
何ものにも縛られない。
今はこんなに自由で自由で。
本当に幸せすぎて、泣きそうになる。
自由で幸せ。
そんなことを考えていたら、とつぜん、気がついた。
ワタシ、もっと幸せになれる!
幸せになってもいいんだ~。
自由でいるためには、ひとりでいなければならない、って思ってた。
パートナーがいると自由が阻まれる。
私にとって、パートナーは「オプション」だった。
パートナーがいなければ幸せになれない、とは思っていない。
現に今、十分、幸せ。
でも、パートナーがいると幸せのじゃまになる、って思ってた(爆)
私の自由が阻まれる、
私は自由でいられなくなる、と。
確かにプラスアルファの幸せはやってくる。
でも、そのために本体の幸せがちょっと減るんじゃないかと。
こんなに完璧な幸せに影が射すんじゃないかと。
だとしたら、トータルで考えて、そのオプションは特に要りません。
そう思っていました。
ははは...(-_-;)
これ、結婚生活のダメージですね。
こんなふうに残ってた。
パートナーの有無で私の幸せは左右されない、と思ってた。
でも、うそだった。
パートナーがいると、私の幸せに影響が出る。
いる方が幸せじゃなくなるって、盲点だった(@_@;)
パートナーの有無で私の幸せは左右されないっていうのは、
いてもいなくても、そもそも私は幸せ。
いなくても幸せ、だけじゃなくて、
いても幸せ、ってことだよね。当たり前(^_^;)
ならば、そのオプション、もうつけてもいいかも。
オプションであることには変わりないけれど、かたくなに拒まなくても、付けときましょうかって言われたら、つけといてもいい(笑)
積極的に「つけてちょうだい!」という感じではないけれど。
幸せになることに、どこかで制限をかけていた。
これだけ幸せだから、もう大丈夫もう充分、って。
貪欲になることってカッコ悪いっていう、私の根強い思い込み。
こんなところに、こんなふうに、まだまだあるんだなぁ。
これ以上、望んじゃいけない。
そんなに欲しがったら、バチが当たります、みたいな。
これって、貪欲、なんだろうか。
「貪欲」なんて名付けるから、イケナイ気持ちになってしまうのかも。
いずれにせよ、これ、もういらない。
もっと幸せになること、自分に許可します。
ああ、もうそんな、おりこうさんに頑張らなくても、
多分もう、もっと幸せになっても大丈夫な私になったんだろう。
本当に終わった。
私の「女性性の癒し」、別名、結婚生活振り返りシリーズ(~_~;)
ゴミ出し手伝ってるよね?ってにやりとされたのは、こんなところにたどり着くためだったのか。
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人生の片づけ祭り、人手は足りていますか?
こんまりさんって、あれ、ある意味エネルギーワークでしょー(^^ゞ
ゴミ出し、お手伝いします。