ACIMは本当に本当に、surrenderの道だなぁと思う今日この頃。
携帯に付属の辞書を引いてみたら、こう書いてあった。
(ジーニアス英和辞典第3版)
surrender
上に(sur)与える(render)
昨日はlesson 64
わたしの役割を忘れさせないでください。
Let me not forget my function.
その説明には、こんなことが書いてあった。
神によってあなたに与えられた役割を果たすことによってのみ、あなたは幸福でいられます。
(『奇跡のコース』のワークを学ぶ ガイドブック3 聖なる関係1 香咲弥須子)
これを歓び、とぱっと素直に感じられないところが、いわゆる「自我の抵抗」でしょうか。
ACIMのいう「役割」とは、ただ「赦す」ことで。
「赦す」とは、ただ間違いを正すこと。
何も起きていない、最初から既に全て赦されているということ、つまり、分離なんかおきていないってことを受け入れること。
自我を捨てて、全てを聖霊におまかせする。
「私」が消えることが、幸福。
まさに、surrender。
今まで知っていた、使っていた「幸福」という言葉とは、まったく違う「幸福」。
それだけが、realだということを受け入れる。
本当のわたし、はそれを知っているけれど、自我をまとった私はおびえて抵抗している。
1年後か、何年先かわからないけれど、ワークの2周目(3周目かもっと先か?)にこれを読んだら、きっと笑っちゃうんだろうな。
こんなふうに思っていたんだね。
こんなふうに怖かったんだね。
こんなふうに頑張ってたんだね。
そんな自分からの声に励まされています。