intention | 自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分ブランドで生きる ~世界一シンプルな私の創り方~

自分で決めて、自分で生きる。
自分を愛して、自分を生きる。

今日は定時と同時にダッシュで会社を出て、アレクサンダーのグループレッスンへ。
権之助坂を駆け下り、ぎりぎりセーフ。
スタジオの暖房がよく効いているとはいえ、大汗がおさまらず、そんなお年頃かしら...と前半は気が散りながらのレッスンになってしまった(-_-;)

今日はレッスンの最後に、intention(意図)ということの実験(?)をやった。
いろいろなintentionで、握手をしてみるとどうなるか、というのをみんなでやったのだが、これが、おもしろかった~。
何もしゃべらなくても、お互いの意図はかなり伝わるものです!

「絶対許すもんか」と思いながら握手すると、笑顔を浮かべていても、相手は「なんとなくやな感じ」と。
うわべだけの握手と、仲良くなりたい、という意図を持ってする握手は、同じようにぎゅっと握っていても、まったく全然違う。
笑ってしまうほど違う!

アレクサンダー的には、首肩を縮めて(力を入れて)握手するとどうなるのか、ということもやったが、これまたまったく意図が伝わらないというのか、意図を発することが出来ない。
それどころじゃない、って感じかなぁ。

あなたの存在も私の存在も認めて受け入れるという意図を持って握手する、というのを最後に全員が全員に対してやったのだが、その表現というのか、握手から発せられるメッセージが人によってまったく違う。
ああこの人はこんな感じで人を受け入れる人なんだ~、この人のイメージする受け入れると言うこと、愛と言うことはこういう感じなのか~、と、人それぞれまったく違う。
まさに、『みんなちがって、みんないい』の世界。



クラニオの勉強を始めたものの、やればやるほど人の体に触れるのが怖くなっていった。
初めの頃はなんにも思わず、ただ楽しんで出来ていたことが、勉強すればするほど怖くなり、苦痛になっていった。

圧をかけてはいけない。
圧迫感の無いようにそっとそっとアプローチしなければいけない。
ニュートラルでいなければならない。
介入してはいけない。

こんなふうな、「ねばならない」ばかりに意識過剰になってしまっていた。
「介入してはいけない」から、何か考えることさえ止めないといけないような、それこそ「愛情をもって」さえいけないような思いにとらわれていた。
笑う人もいるかもしれないが、そんなふうに苦しくなっていったのは、私にとっては事実でどうしようもなかった。

手の位置が、姿勢が、圧が、の前に、それよりまず、自分がどんな意図を持って触れていくのか。
その方が相手には確かに伝わるもので、大事なものなんだろう。
ある意味、その方が怖いことなのかもしれないのだが。
私がクラニオセイクラル・バイオダイナミクスに出会って惹かれたのは、本当はそういうところだったんだ。
「私にとってのクラニオは、二人でする瞑想、かしら~♪」と尊敬する大先輩の方が言っていた。
そういうところが好きだったんだ。
そういうことがやりたかったんだ。
もっともっと自由になれる予感がして、クラニオに惹かれたんだ。
こんな窮屈で息詰まるようなワークでは、本来なかったのに。
私はなんでこんなに窮屈になっていたんだろうか。
この窮屈さは不要なもの。
これをすっかり忘れて手放したら。
そしたら、もっと楽しくクラニオとまたお付き合いが出来るような気がする...