ー あの「待つ」感じをどう表現すればよいだろう。
「そのとき大事なのは言葉でいうことではなくて
自分の態度がどんなに開かれているか、どうれだけ待つほうに傾いているか、
ということです。これは、私はよく言いますがやっぱり修練です」と、河合隼雄は言う。
「待つ」ことに内在する独特の感覚は、即席で身につくものではないらしい。
少なくとも、単純な、受け身的なものではない。
(『カウンセリングで何がおこっているのか ~動詞でひもとく心理臨床~』2010年
日本評論社 桑原知子 著、’第4章 まつ’ p.50 より )
この本の帯には「カウンセラーはただ黙って聴いているだけなのか」とあります。
この帯の文句に惹かれて、わたしは本書を購入しました。
カウンセリングを学び、自分の働きとして修練を積むなかで、
’今ここでなにが起こっているのか'
その目を養うことが大事だと思うようになってきました。
「待つ」という行為の中に、
そのような目が養われていくとも思います。
クライエントに向き合い、話を聴くときも、
自分と向き合うときも、そのような視点が大切だと思います。
自分の身に何事か起こったとき、
もちろん冷静でいられないこともあります。
それはカウンセラーであるわたしも同じ。
それはそれとして、目の前(自分の中)で起こっていることは、
’今ここでなにが起こっているのか'
という視点で観てみると、少し見え方が違ってきて
落ち着くことができる、ということも、わたしは実感しています。
ー 各回の面接が終わって、別れを言うとき、私は「またお待ちしています」
と言う。カウンセリングは「待つ」ことからはじまり、「待つ」ことで終わるのだ。
…「待つ」ことは、カウンセラーにとって、最後の祈りなのだと思う。
(同書 ’第4章 まつ’ p.62 より)
’「待つ」ことは、祈り’という
著者、桑原知子さんの言葉に共感しています。
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