わたし自身のピアノワーク...
と言いますか、ピアノに限らず「表現」する、
ということについて、わたし自身のワークメモ。
ここ数回、このワークの中で、声を出すようになった。
ピアノ、という楽器を使う場合、
わたしとピアノ(の音)との対話、わたしがピアノに寄り添い、
ピアノがわたしに寄り添う...みたいな感覚を養ってきた。
自分の身体が楽器になる、声、歌の場合、
さらに自分の在りようが、自分の身体の体感覚として捉えやすい。
腹の底から声を出す...とか、
腹筋、背筋で支えて声を出す...とか、
身体の使い方として、言われることがよくある。
今日は
ここにいるわたしが、声を出すという「意志」を持って声を出す...
このことが、どういうことなのか。
ほんのまだ入口かもしれないけど、腑に落ちた部分があって、嬉しい。
わたしの歌を聞かせてやろう...とか、
こんなふうに歌わなければ...とか、
意識が外へ向いていると、のどの辺りに意識が上がってきて、
声が響かないのである。
身体が響かないのである。
これは「隠れた」声となる。
わたしはここに居ると決めた、「意志」を持った声は、響く。
ここに居ることへの「感謝」があり、響きがあり、調和が生まれる。
これは「顕れた」声。
声が響く。
身体に響く。
だからこそ
わたしと共に居る、あなたにわたしが届く。
わたしはあなたの前に顕(あらわ)に居て、隠れない。
「表現」は、「感謝」がベースとなって、
響き合い、調和すること、と言えるのかなぁ。
わたしの拙い表現かもしれないが、
言葉にしてみると、こんな感じだろうか。
「表現」する、とはどういうことなのか。
音を通して、声を通して、その学びは深い。
今日は2時間のワーク時間が、ほんとうにあっという間でした。