わたしのピアノワーク Part2 ③ ~ ここにいる意志、隠れる vs 顕れる ~ | カウンセリングルーム樹喜(きき)                   @奈良・大和郡山         

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わたし自身のピアノワーク...

と言いますか、ピアノに限らず「表現」する、

ということについて、わたし自身のワークメモ。


ここ数回、このワークの中で、声を出すようになった。

ピアノ、という楽器を使う場合、

わたしとピアノ(の音)との対話、わたしがピアノに寄り添い、

ピアノがわたしに寄り添う...みたいな感覚を養ってきた。


自分の身体が楽器になる、声、歌の場合、

さらに自分の在りようが、自分の身体の体感覚として捉えやすい。


腹の底から声を出す...とか、

腹筋、背筋で支えて声を出す...とか、

身体の使い方として、言われることがよくある。


今日は
ここにいるわたしが、声を出すという「意志」を持って声を出す...

このことが、どういうことなのか。

ほんのまだ入口かもしれないけど、腑に落ちた部分があって、嬉しい。


わたしの歌を聞かせてやろう...とか、

こんなふうに歌わなければ...とか、

意識が外へ向いていると、のどの辺りに意識が上がってきて、

声が響かないのである。

身体が響かないのである。

これは「隠れた」声となる。


わたしはここに居ると決めた、「意志」を持った声は、響く。

ここに居ることへの「感謝」があり、響きがあり、調和が生まれる。

これは「顕れた」声。

声が響く。

身体に響く。


だからこそ
わたしと共に居る、あなたにわたしが届く。

わたしはあなたの前に顕(あらわ)に居て、隠れない。


「表現」は、「感謝」がベースとなって、

響き合い、調和すること、と言えるのかなぁ。


わたしの拙い表現かもしれないが、

言葉にしてみると、こんな感じだろうか。


「表現」する、とはどういうことなのか。

音を通して、声を通して、その学びは深い。



今日は2時間のワーク時間が、ほんとうにあっという間でした。