秋という鬱の季節での心情 | 大凪 揺のブログ

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元々 鬱な自分に今の季節は同調してきて 

ある意味 逆に心はその調和という糸を辿り

生命の意を嚙みしめることになる。

 

けれどそれは決して生きている意味を

見出したということではなく ただ漠然と

己の生命の息吹をいつもよりも感じられるという

ことに留まるというだけのものだ。

 

どうにもならないことは常に自分の中にあり

他人によっては既にその位置で生きがいを感じ

悲しみの涙でさえ幸せの延長線であると思えたり

することもあるだろう。

 

ならば妥協が幸せへの近道なのだろうか?

その妥協により幸せというラインを下げることが

遠回りを回避することになるのだろうか?

 

確かに妥協は必要だ。けれどそれは決して

最善の策とも言えない。

時にはそれが自責の念に駆られるという

未来を自分の中で生み出してしまうかも

知れないからだ。

 

正解も不正解も自分の中の信念に絡み

結局 他人の真似事ではない自分を感じる

ことが未来での後悔を最小限に抑えることに

繋がると僕は思う。・・・いや 思いたい。