昨日の世界卓球の女子決勝戦で日本代表が中国と対戦し、負けたものの銀メダルを獲得しました。すごいですよ。


それにしても卓球も進化が著しいですね。

私たちが高校の部活でやった卓球と今とでは、スピード、テクニック、パワー、どれをみても次元が違います。特に中国はとてつもない変化を遂げています。


ところで、今年4月の初め、我が母校膳所高校卓球部OB会「膳所高卓球同友会」で、恒例の現役学生たちとの交流試合に久しぶりに参加したけれど、リーグ戦で全敗でしました。

長い間ほとんどラケットを握っておらず、玉とラケットが当らない。
昔のイメージだけで試合に臨んでも身体がついてこない。


それでもスマッシュが何本か決まって、練習を積めば「昔取った杵柄」で少しはものになると感触は掴めましたね。卓球は生涯スポーツなので、80歳超えても現役で大会に出ることができます。高齢者の運動としては最適なスポーツのひとつです。機会があればまたチャレンジしたいですね。


終わってからOBらと食事をしながら昔話に花をさかせました。


その話をします。

私が高校2年の時ですから今からもう40年前になりますが、県大会団体戦に優勝してインターハイに出場しました。
県大の準決勝で、優勝候補の高校と対戦した時の話です。どちらが勝っても県大は制覇できるとして、両校とも必死で臨みました。


当時は、1ダブルス・6シングルで、4つ取ったチームが勝ちになります。ダブルスを落とし、次に我が校のエースが勝ち、1年生のホープが負け、カットマンの先輩が勝ち、2勝2敗となりました。


ここで我が校のキャプテンと、当時近畿でも最強のサウスポーといわれた選手が対戦となりました。キャプテンは今までこのサウスポーに勝った経験がなく、力の差は歴然としていましたが、まさに執念と気迫で見事勝利をものにしたのです。この時ほどこの人のキャプテンシーの凄さを感じたことはありませんでしたね。


今回の世界卓球でもそうですが、団体戦と個人戦ではモチベーションが違い、実力的に劣る選手でもとてつもない力を発揮することがあります。使命感、そして周りの声援で選手は変わります。


3勝2敗となり次は私です。


体育館はこの試合だけでしたので、他校の選手らもけっこう残っており、たいへんな熱気に包まれていました。とにかく声援が凄かったのを覚えています。


カットマンであった私は、はやる気持ちがあったようです。その時、観客席からひとりの先輩から呼ばれ、「お前、拾って拾って拾いまくれ。かんたんに打つな。我慢しろ」と厳しく言われました。その言葉通りに同じ2年の強烈なドライブを徹底して拾って拾って拾いまくり、相手をミスを誘い、そして勝利をものにしたのです。


涙が出たのを覚えています。


これは私の高校時代のベストゲームのひとつです。


個人戦ならこんな力は出せなかったでしょう。でも、使命感と仲間やOBたちの声援で勝たせてもらいました。


決勝戦はあっさり勝ち、団体としては戦後2度目の県大会を制し全国大会に出場したのです。


OB会でこの話が出た時、この40年の間、高校の部活のこと、この試合のことなどすっかり忘れていた自分を見て、改めて問い質しました。


「今まで何をしていたのだ。こんな成功体験があったではないか。これがお前の強みではないのか?」


「そうだ。俺は強みは、安易に攻撃を仕掛けるのではなく、辛抱して相手の攻撃した玉を拾って拾って拾いまくることだったのだ。」


「そうすれば、必ず相手はあせる、ミスをする、打ちやすい高い球が返ってくる。それを待て!」


「そうだったのか!」


卓球だけではなく、スポーツにはいろいろな型があります。自分がもっとも得意とする型にどう相手を持ち込むか。これこそが勝利への一番近道になります。弱みで勝負すると自ずとマイナスの結果は出てきます。


人生でも事業でも結局は同じことですね。まずは自分の強みの型を知ること、それを徹底的に伸ばす、我慢しそしてチャンスを見つけ出ししっかり勝負する。何よりもこれが成功への道なのですね。


このことが本当にこれまで頭の片隅にも残っていませんでした。忘れていました。そして世界卓球を見て強く想い出しました。


改めて、胸に刻もうと思います。


「私はカットマン。辛抱して玉を拾って拾って拾いまくること。そうすれば必ずチャンスがやってきて、勝負に勝てる。」