前回に続いて、旅客船「歳月」の事故について書き綴ります。

私の母校、高麗大学哲学科のイ・スンファン教授は、今回の事故から見えてくる、韓国社会の病巣について厳しく述べています。


『たとえば船員が万死を冒して乗客を救おうとすれば責任意識と勇気、共同体への尊重と他人への配慮などそれこそ人間の基本的な徳目が作用するべきだった。

東洋思想で徳性あるいは良心という人間の本来の心が発揮されなかった。道徳教育が正しく行われなかった結果であり、韓国社会全体の問題でもある。

高度成長の過程で私たちは社会構成員に徳性の発現を深刻に要求しなかった。人格的な徳の発現を通した名誉ある人間の道は後回しにしていたのではないのか。誰も彼もが一発主義、縁故主義、情実主義、日和見主義に陥って、成金にもなろうとした。

韓国の近代化過程は、人間性を育てるのには、あまりに浅はかな土壌だった。


すべき事があまりに多くて、1度ですべての問題を解決できないだろう。国民各自が民主的な“心の習慣(habit of heart)”を体得するのが何より重要だと見られる。

選挙の時に1票を投じるからといって民主主義なのではない。各自が自身の領域で責任を明確に遂行しながら、共同体に有益な尊敬できるほどの人を公職者として選ばなければならない。それでこそ対話と疎通が可能になり、配慮と寛容があふれて今回の事故を招いた不公正で偏向的な慣行、独善や不通、成果至上主義をなくすことができる。

先進国になろうとするなら直さなければならない。今回しっかりできなければ先進国にはなれない。

率直に言って、最も心配なのは原子力発電所だ。運営会社と公職者が1つの腐敗の輪に絡まっているのではないか。消えた火ももう一度見るという姿勢で振り返ってみよう。今と同じように行けば原子力発電所の事故も起きると思う。

もう一度言うが、妙案はない。未来の世代のことを考えて、黙々と自分の本分を尽くさなければならない。効果はゆっくりと現れるだろう。小さな実質が、蓄積されなければならない。


また、ソウル大学社会学科のキムホンジュン教授は、


『社会の信頼度は一種の社会資本だ。人々が幸せで人間らしく生きるのに必要な能力や情緒的な可能性全体をいう。人との出会いがどれほど楽しいか、相手をどれほど信じるか、こういうものを考えると、韓国は社会資本が非常に虚弱な国だ。

お互い信じることができず、各自図生(各自が生きる方法を探る)式で生きるという点が今回、あまりにも克明に表れた。船から出るなという言葉を聞いた子どもたち、すなわちシステムを信頼した人は死んでしまい、システムを運営する責任者はあたふたと逃げた。子どもたちにはシステムを信じて従うよう教育しておきながら、大人は信頼を裏切った。

社会的なもの、社会というものが根本的に破壊し、その破壊の場面をすべての国民がメディアで学習したのだ

19世紀末から今日まで私たちが経験した歴史の体験に答えがある。過去100年間、私たちが国家や民族を立て直そうとする“ネーションビルディング”過程を振り返ってほしい。

王朝と国が滅び、植民支配に続き、韓国戦争(朝鮮戦争)が起きた。1960~70年代に近代化が始まったが、社会的に抑圧された。あまりにも激しい生活をたどったところ、大きな困難があれば信頼よりも、まず自分が生きようという考えが生活の知恵になってしまった。

今後どのように暮らしやすい社会をつくるべきかという大きな問題が、私たちみんなに投げかけられたが、今はこうした考え自体がぜいたくに感じられる』


韓国史上、最悪の事故のひとつとして位置付けられた今回の出来事を、自戒をこめて、私たちは冷静にしっかり考えなければなりません。