残念ながら、韓国には「ノブレス・オブリージュ」の精神が根付いていません。


今回の韓国の旅客船事故を見てつくづくそう思います。


「ノブレス・オブリージュ」とは、「特権的な地位には相応の義務が伴う」という倫理の一つです。つまり貴族など特権的な地位にあるものは、それ相応の義務を課し、経済的な支出や役割を果たすというものです。戦争への志願などは端的な事例ですね。これらを自発的にやることが慣習的にめられるのです。


その基本となるのは、西洋なら騎士道、日本なら武士道。武士道はかつて新渡戸稲造さんが広く世界に広めましたが、江戸時代の中期から武士と言う特権階級の倫理の定めです。日本では現在に息づいていますね。


韓国は、高句麗・百済・新羅の三国時代を経て、統一した新羅においての「花郎道」というのが有名ですが、いろいろ調べてみると騎士道や武士道とはずいぶん内容が違います。


武人の高麗王朝を経た後の李氏朝鮮時代においては、貴族たち、特に両班(ヤンバン)階級の文官に「ノブレス・オブリージュ」の精神があったようには思えません。


ただ、私が尊敬するイスンシン将軍は、文禄慶長の役で戦った武官ですが、まさに「ノブレス・オブリージュ」の権化のような人でした。イ将軍のような人もいましたが、根本的な哲学がないため「ノブレス・オブリージュ」の教育がなされてこなかったのですね。


国の形がまったく違っていたのです。


自分自身を戒める意味においてもそうですが、韓国は今後真摯に日本の武士道を学び、韓国型「ノブレス・オブリージュ」を根付くようにしなければなりませんね