かつてカルタゴと言う国がありました。今の北アフリカにチュニジアにその遺跡が残されています。



カルタゴは紀元前250年頃、地中海に覇を唱えていた大国でしたね。第2次ポエニ戦争に負けて戦勝国から武装を解除させられ、戦争を放棄することになったカルタゴは、戦後の復興を貿易一筋で見事に成し遂げ、戦後賠償も全てきれいに払い終えました。

しかしながら、その経済を脅威だと捉えたローマ帝国によって、結局は滅ぼされてしまいました。

滅ぼされる直前、カルタゴの愛国者である将軍ハンニバルは、ローマの考えを悟り、祖国の危機をカルタゴ市民に訴えましたが、平和ぼけした市民は耳を貸そうとしませんでした。

それどころか「ハンニバルは戦争をしようとしている!」と中傷する者さえいました。しかも、最終的にハンニバルはローマに洗脳された者達によってローマに売られ、自殺にまで追い込まれてしまったのです。

平和ぼけした市民は、ローマから無理難題を次々に要求されてからはじめてハンニバルの警告が正しかったことに気が付きましたが、時すでに遅く、徹底抗戦に踏み切るもカルタゴの陥落を防ぐことはできませんでした。

この間、たった3年の出来事でした。

ちなみに、生き残ったカルタゴ市民は約5万人でしたが、その全てが奴隷にされてしまいました。城塞は更地になるまで徹底的に破壊され、再びこの地に人が住み、作物が実らぬように大量の塩が撒かれたと言われています。

これはただの負け方ではありません。まさに地上からの抹殺です。

この悲惨なカルタゴ滅亡の理由は2つあると言われています。

ひとつは、カルタゴ市民が軍事についてほとんど無関心だったことが挙げられます。もともと自国の防衛はおおむね傭兵に頼っていた上に、国内世論も「平和主義的」な論調が強く、有事に備えて軍事力を蓄えておくといったことはままなりませんでした。

ふたつめは、国内の思想や考え方が分裂状態であったことです。そもそも挙国一致して事に当たらなければ有事を乗り切ることはなかなか難しいのに、カルタゴにはそれがなく、戦時中にハンニバルが外地を転戦している間も市民は素知らぬ顔をしていました。そして、ハンニバルを売り渡したのは、ローマに洗脳されたカルタゴの売国奴達でした。

自らの手で愛国者を切り捨てる。かくしてカルタゴは「滅ぶべくして」滅んだのです。



肝に命ずべしです。










現在でも言えることですが、国のみならず企業などあらゆる組織において、価値観が分裂し目的があいまいな状態、また一致団結できない場合には、滅亡しか残されていないのですね。