英国の歴史上最大の政治家と言えば、ウィストン・チャーチルしかいないですね。


私は学生時代に彼を伝記に接し、また最近読んだビジョナリ―カンパニーの中に触れられているけれど、選挙に堕ちた時、植民地経営のごたごたした時、交通事故に遭遇した時、世界恐慌で大きな借金を抱えた時など、苦しい時代にチャーチルがどんな思いであったのか、それを乗り越えたチャーチルにとても勇気づけられたので、アマゾンで中古本を買って再び読み始めました。


第二次世界大戦でドイツのナチス、ヒトラ―との戦いで英国に勝利をもたらしたのは紛れもなくチャーチルの力ですね。そしてそんなチャーチルに英国民は当時全幅の信頼を置いていました。それでも戦後選挙で敗れてしまう。

彼の波乱万丈の人生は我々に強く深い感動を与えます。

このブログのテーマ、偉大な人物の陰にはその人物に影響を及ぼした親、その中でも父親の存在があったこと。


では、チャーチルの父親とは。


貴族の出であるチャーチル家は、代々政治家を輩出する名門でもありました。チャーチルもエリート教育を受けて育った人ですが、お父さんもお母さんもとても忙しく小さいころのチャーチルと接する時間はあまりにも少なかったようです。

チャーチルは乳母によって育てられ、親の愛情をさほど受けてこなかったことが伺いしれます。


お父さんは貴族社会の名士でありましたが、いわゆる「うつ病」の持病を抱えていました。結局45歳くらいで若くして亡くなるのですが、その死因というのが当時不治の病であった「梅毒」でした。周りの人は誰も知っていて、チャーチルもどこか後ろめたい気持ちがあったようです。


「うつ病」もチャーチルに遺伝していました。「うつ病」のことを「黒い犬」と呼び、人生で何度かその「黒い犬」が脳の中を歩き回っていたようです。“また黒い犬がやってきた”と。もっともチャーチルの場合は、「うつ病」というよりは「躁病」も併せ持つ「躁うつ病」でしたね。

だからこそ、躁病であったからこそ、あの戦いで国民を鼓舞し、疲れを知らず、あの強力なナチス・ヒトラーとの激しい戦いをすることができたのですね。そう考えると納得できるところがありますね。


貴族で政治家のお父さんの影響はいろいろあったでしょう。しかしもっとも大きな影響を与えたのは、躁うつ病という病で、それをチャーチルに受け継がせたことが、結果的に第二次世界大戦で英国の勝利に結びついたのだとすれば、何と皮肉なことでしょうか。


それもまた、歴史の一面でもあるのですね。