オランダのハーグで、今日日米韓首脳会議が開催され、安倍さんと朴さんがオバマさんと共に両国のトップとして初めて話し合いました。

朴クネさんのお父さんは、戦前日本が統治した満州国の陸軍士官学校を首席で卒業した人で、たいへん日本のことをよく知るいわゆる“親日家”でした。征韓論を唱えた西郷隆盛さんをたいへん尊敬し、在職中に明治維新に学んだ体制を作り上げたひとでした。


一方、安倍総理のお祖父さんは元総理の岸さんで、この方も戦前満州国の発展に尽くしたエリート官僚で、戦後はGHQからA級戦犯にされたものの釈放され、日本のトップに登りつめたひとでした。


その意味で、満州、今の中国東北地方は、日中韓の3国にとってたいへん歴史的因縁が深い地域です。

昨日、朴さんと中国の習さんとが会って、朴さんが黒竜江省のハルビンに建てた「安重根記念館」建設について謝意を示したそうですが、日本の明治の元勲で初代総理の伊藤博文さんを暗殺した安さんの評価も当然のことながら、両国で全く分かれますね。

私の知るところでは、伊藤さんは日韓の併合には反対していました。それなのに何故安さんは伊藤さんを撃ったのでしょう。これがずっと疑問でした。

伊藤さんは倒れながら「私を撃ったのは誰だ」と側近に聞きました。「朝鮮の若い者のようです」と側近は答え、「バカな奴だ」と伊藤さんはつぶやきその場で息を引き取ったといいます。


この「バカな奴だ」というのは、いったいどういう意味が含まれているのでしょう。伊藤さんが亡くなったのは1909年で、その翌年1910年に日本は韓国を併合しました。私は、伊藤さんが“私が死ねば、それを口実に我が国は直ちに韓国を植民地にするだろう。それなのになぜ撃ったのか”と安さんに問いただしたかったに違いありません。


私は、きっと歴史の歯車を大きく動かす「何か」、それはよくわかりませんが、が働いたのだろうと思っています。もちろんこれは私の推測でしかすぎません。そこには伊藤さんが亡くなったという事実だけが残り、真実は暗い闇の中に葬りさられたような気がします。

満州国の因縁は、今も尚、日韓の歴史を引きずり、今日、その一端を少し覗かせましたが、短い時間では腹を割った話し合いはあまり出来なかったでしょうね。かつて、ふたりのお父さんとお祖父さんが膝を詰め、杯を交わし、真摯に向かい合った時代はもう過去の遺物になってしまいました。


再び強い紐帯関係が築ける日は、次の世代、或いはその次の世代にまで待たなければならないのでしょうか。成熟するにはそれなりの試練が必要なのかもしれません。