しつこいようだが、李大統領の訪日の話題がどうも気になっている。なんで今更過去に起きた問題、それも法的にはほぼ解決を見ている問題をほじくり返すのかと思ってしまう。顔や体つきは似ていても、日本と韓国或いは北朝鮮との価値観や思考方式の違いがいろいろ出ている。


朝鮮半島の人々は長い間歴史に従属してきた。私たちの先祖は、早朝から祖先の霊を祀る祠堂と呼ばれるお堂で祈りを捧げ、祖先と霊を呼吸を共にすることで一日が始まった。命日と名節に祭祀を欠かさず、また国家の変事にも歴代君主の位牌が安置されている廟で祭祀を行った。つまり、前近代では『死者の亡霊が生者の生活を支配する』とされてきたのだ。もちろん近代に入ってからは、表向き死者が生者の足を引っ張ることなんぞはほとんどなくなったと見える。


だが、現代に入って尚韓国の政治社会が過度に「歴史化」しているように感じるのは私だけか。過去の歴史清算のための特別法が作られたり、メディアが大々的に論じたり、中身も百何十年も前の李朝時代の事件に関することも多い。本来的な意味で「死者からの解放」がなされていないのではないかと思っている。


日本に対しては、その象徴として靖国問題があり従軍慰安婦問題がある。また、中国とは、2千年以上前の高句麗時代に、満州平原の主人公が誰であるかをめぐって、歴史戦争を繰り広げている。


親日派と呼ばれる人は韓国では肩身が狭い。以前、「親日派の弁明」という本を書いたキム・ワンソブさんは、韓国内で徹底的に非難された。たいへんよく勉強し資料を調べ上げ、近代の日韓の歴史の真実をしっかりと伝えているにも拘わらずだ。内容は、日韓併合時前後の実態、土地調査事業、東洋拓殖会社の事業、親日派と呼ばれる人たちの名誉、韓国の近代資本主義の発展などいろいろ、上げればきりがない。


日本と韓国の未来のためには、もうこれ以上死者が生者の足を引っ張ることができないようにすべきだ。過去をあげつらう行為ほど愚かなものはない。相互に異なった記憶を持つ人がお互い微笑み、未来に向かって歩むことが何よりも大切ではないのか。現実の政治とは本来そういう約束をするものだと思うが。


リアリストの李大統領すらこれなら、これから何年、何十年こんなことが続いていくのだろうか?


(KARAちゃん)

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