先週金曜日は、本来なら大阪で「Land-Eco土壌第三者評価シンポジウム」が開催され、私もパネラーのひとりとして参加する予定でした。しかし、新型インフルエンザのために延期となり、同日、京都で「一般社団法人移民政策研究所」の代表理事である坂中所長が、「社団法人京都経営・技術研究会」の総会時の記念講演の講師として招かれ、日本型移民政策の話をすることになっていたので、私も理事としてお供もしたのです。


同研究会は、1955年に創立したたいへん歴史ある民間団体で、技術力が高く、経営力に優れた京都の中小企業で構成されているとのことでした。


京都といえば、島津製作所をはじめ京セラ、村田製作所、オムロン、ローム、日本電産、堀場製作所といった製造業を中心にグローバルな企業が数多くありますね。また、任天堂のように、世界中の子供たちに夢を与えている超優良企業や、太陽電池など、今後たいへん有望な環境関連ビジネスを展開しているGSユアサのような会社も多いのです。


講演まで、しばらく時間があったので、同会の関係者や会員の方々と名詞交換し、少し京都のお話をしていました。今から4年前に、同会の50周年記念総会時に、「何故、京都に異色で先進的な企業が多いのか」といった講演があったらしく、その際、こんなことを演者が言っていたらしいのです。


「古代、京都には秦氏(はたうじ)や漢氏(あやうじ)など、朝鮮半島から日本海を渡り山陰を経て、京都に移住した渡来人たちがたくさんいた。かれらによって多様な技術やシステムがもたらされた。京都には、そのDNAが受け継がれている。」


京都といえば、極めて保守的な街ですね。よそ者はなかなかその懐に入ることができないと言われますね。しかし、実際は、本物であれば、それが例え他国の人間であろうが、異質なものであろうが、しっかり受け入れる広い心を持つ街であるのだというようなお話しでしたね。

そんな話を聴いて、妙に納得し、何かサイダーを飲んだ後のように、すーとしたいい気持ちになりましたね。


坂中所長と私は、『今の話題を講演の冒頭に取り入れよう』と相談し、いつもの坂中節で聴衆を魅了していきました。皆さん、たいへん熱心に聴き入って頂き、私たちの持論である「日本を移民立国にし、今後50年間に1000万人を多彩な国から受け入れる」ことにうなずいておられた方も多かったですね。


しかし、懇親会では、経済不況云々という挨拶や話題が多く、将来の人口減少社会について、頭ではわかっているものの、じゃ、現実問題としてどうすれば良いのかといった戸惑いを感じている人たちが大半だったように思いますね。


移民を受け入れ、需要をつくり、本を元気にしていくためには、時間がかかってもいろいろな人たちと出会い粘り強く啓蒙していくしかないなぁ」と翌日朝、坂中所長が京都のホテルから私の自宅に来て、私と家内と3人で、「宇治茶」を飲み、「とらやの羊かん」をほおばりながら、夢多く語っていたのです。


京都は、これまで多種多様な人材によって活力ある街を作り上げてきました。いろいろな価値観や個性的な発想が交わることによって、新しくおもしろい経済社会が生み出されていくのは京都の歴史がまさに証明しています。
幕末から明治維新にかけて京都がその舞台の中心だったように、人材開国維新(第二の明治維新)もまた、京都が中心になって展開していくのかも知れませんね。


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