東京大学の姜尚中教授が著した「悩む力」という本を読みました。

姜さんは私と同じ苗字で、名刺交換する際に、「東大の姜先生と親戚ですか?」とよく尋ねられます。


実際のところ、血のつながりは全くありません。


しかし、韓国の本貫(姓氏や氏族集団の発祥の地)が、韓国の慶尚南道にある晋州というところであれば、同じ“晋州姜氏”という意味では、はるか遠くの親戚だと言えるのかもしれません。


“姜”という姓は、中国から来たものです。出自は羊飼いですね。


有名なのは、古代中国の三皇五帝のひとりである「神農」、この人は医薬と農業を司る神として、現在も祭られています。

釣り人の代名詞となっている「太公望呂尚」、この人の本名は姜子牙というのです。殷(商)王朝から周王朝に政権が変わっていく時代に、周の文王・武王に仕えた軍師で、六韜三略の兵法書を著した人物です。

魏・呉・蜀の三国志時代にでてくるのが、「姜維」、蜀の宰相諸葛孔明が死んだ後の軍師として、蜀の国を大いに盛り立てました。孔明があまりにも偉大であったため、あまり目立ちませんが、軍師としての能力はたいへん高いものがあったようですね。


次に朝鮮半島ですが、

現在の韓国では、“晋州姜氏”の始祖は、三国時代の雄、高句麗時代の将軍、「姜以式(カンイシク)」となっています。7世紀、中国隋の国の兵力113万人が高句麗に攻めてきたとき、乙支文徳(ウルチムンドク)元帥の片腕として大いに活躍し、高句麗に勝利をもたらした人です。

高麗時代に北方民族である契丹と戦って名を馳せたのが、大将軍「姜邯賛(カン・ガムチャン)」ですね。今でもたいへん人気のある英雄です。

豊臣秀吉が朝鮮を攻めた時に、日本軍の捕虜として連れて帰ったのが、儒学者「姜沆(カンハン)」です。江戸初期の儒学者藤原窩惺などと交流し、彼が日本で見聞したこと、日本の内情や国土の特徴、諸大名の情勢などを細かく記した 「看羊録」を残しています。


姜氏は、韓国や北朝鮮では、10番目ぐらいに多い姓と言われていますね。


2000年の人口統計では、金さんで、韓国全体の21.6%、李さんは、14.8%、朴さんは8.5%となり、上位10位の姓だけで全体の64%、20位では78%を占めるそうです。

韓国の姓の数は、実に286しかなく、本貫は4179だということです。


普通、金さんがいれば、銀さんや銅さん、鉄さんなんかもいてもいいと思うし、黄さんや白さんがいるのに、何故、赤さんや青さん、黒さんがいないのでしょうね。


朝鮮半島の姓が、中国風に変わったのは、7世紀の中頃、新羅が唐と組んで、高句麗と百済を滅ぼし統一する時代でしたね。


中国の文化や風習、そして姓名まで中国風にしてしまったようですね。それまで日本と同じように二文字の朝鮮独自の姓があったにも拘わらず。 

中国風に変える時、できるだけ高貴なものにしようとして、どんどん集約されていったのでしょうね。


姓が少ないと問題になってくるのは、同姓同名が増えることです。漢字の使用も廃れてきた現在の南北朝鮮では、なおさらです。


歴史の必然だったかも知れませんが、苗字に少なさについて、もう少し何とかならなかったものでしょうか?


「虎は死して皮を残し、人は死んで名を残す。」と言われます。先祖から受け継いできた姓を大事にして、次の時代に伝えていくことが私たちの使命のひとつです。

その意味で、戦前日本の行った朝鮮名を日本名風に変える「創氏改名」政策は全く愚かなことだったと思いますよ。

しかし、私たちはそれを今まで引きずって生きてきたのも事実です。

でも、もうそろそろ、「創氏改名」の亡霊から解き放たれるべきではないでしょうか?


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