タブーとは、『その社会における聖なるものや俗なるもの』を指します。一般的に、死、出産、生理、食物、被差別民、魔物、個人の名前はタブーとされることが多いらしいのですが。


この中の“被差別民”。朝鮮半島出身者たちはこの範疇に入りますね。


1910年から1945年までの36年間、日本は朝鮮半島を植民地として統治してきました。日本が戦争に敗れ、朝鮮半島は南北に分かれ朝鮮戦争を経て、今の秩序になってきましたが、戦後、日本が民主化される中で、表面上、過去の植民地に対する贖罪の気持ちを表してきたのですが、心の中では、朝鮮半島や在日の問題は、「できれば関わりたくない」、「避けて通りたい」という気持ちを持っている人がけっこう多かったようですね。


私がこれまで関わった政治家、経済人、一般市民、ありとあらゆるところでこのことを強く感じてきました。


つまり、日本人のこの心情が、「朝鮮問題のタブー化」につながっていったのだと思っています。特に、戦後から“ある時期”まで、北朝鮮やそれを支持してきた在日の組織「朝鮮総連」については、その最たるものでした。


タブー化した朝鮮半島問題で噴出してきた最悪の事件が、「拉致問題」なのですね。前述した“ある時期”とはこの拉致問題が明らかになった時期のことなのです。


その後、韓国や在日韓国人に対するタブー化は、歴史のうねりの中で様々な体験を通じて、かなり解消されてきましたね。本当にとても進んできたと思います。


方や、北朝鮮や朝鮮総連に対するタブー視も、皮肉なことに「拉致問題」を契機に、随分なくなってきたように感じます。


そして、今、最大のタブーとして横たわっているのが、まさに「歴史認識」の問題で、これに踏み込んでこそ、紐帯関係がより強固になっていくのは間違いありませんね。


例えば、読者の皆さんが、仮に、一般市民として、現在の北朝鮮で生活しているとしたら、どうしますか。政治が硬直化し、経済が停滞し食べるものもままならず、社会に何ら自由もなく、将来の夢も希望もほとんど見出せないそんな国の政府高官や労働党の幹部ではない、普通の庶民として生きているとしたらという設問です。


私なら、『ごはんを食べさせてくれるなら、このギスギスの状態を逃れることができるなら、どこの誰でも良い、愛国心なんか全く関係ない。自由になれるなら、少しでも希望を持てるなら、敵国でもなんでもかまわない。』と思うでしょうね。


100年前の朝鮮半島の状態は、今の北朝鮮とほぼ同じ状態でした。日本は、決して軍隊を出動させ、人々を蹂躙して、半島を戦火にして植民地にしたわけでは決してありません。


つまり、当時の朝鮮人の中に、日本の統治を願う人たちがかなりたくさんいたことを先ず知るべきなのです。


“タブー化した社会をなくすこと”、これが閉塞した日本を活き活きさせる方策のひとつです。
その意味で、“単一民族”や“外国人移民”なども、これまでタブー化してきたキーワードですが、私たちが主張をしている「海外移民1000万人受け入れ構想」は、そのタブーを打破するきっかけになると信じています。


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