心が荒んでいる
うーん、いかん、いかん。
最近のブログで、荒んだ発言が多い。
こういう、怒りや恨みが犯罪をひきおこすのだろう。
やっぱ、金と地位と承認がないと、人は崩れていく。
日本的経営は、そのへんの各人の自尊心を巧みにくすぐっていたのかもしれない。
すごい仕事をしなくても、たいていの人は何らかの形で報われる。
生きていて良かったと思える。
そんな、古き良き時代があったのでしょうか。
競争主義になったから、人心が荒れているというよりも、なぜわたしを認めないのかという恨みが、世の中を暗くしている。
みんな、すごい自己愛競争だ。
自分は、ほんとうはできるのだと幻想している。この、わたしも。
だから、あきらめきれない。
一発逆転を狙う。
そのうちに、ワーキング・プアかホームレスが待ち構えている。
お金がなくなってはじめて気づく。
そこで、生活保護だというのでは、誰も納得しない。
もっと、早くから手を打っておかないと。
ほっておいたのは、「自己責任」じゃないの、って。
あー、ここまで追い詰められても、「夢追い人」をやめないんだね、わたしも。
もういいかげん、あきらめなさい。
年を考えなさい。
でも、もはや打つ手がない。
このまま、どうなっていくのか。
ブログだけが頼りの生活になるのか。
それもできなくなるほど、困窮するかもしれない。
アメブロガーのどれくらいが、この境遇にいるのだろうか。
親の資産で食いつなぐ人もいるかもしれない。
うちは、それがなくなった。
では、どうするか。
やっぱ、金にならなきゃどうしようもない
どんなに、才能や芸術性や社会性や有用性があるとしても、貨幣換算されなければ意味がない。
わたし自身は、たかが二冊の本と雑文と講演会で、たしかにたいした商品価値はない。
だが、労働の対価でもなく、労働力の対価ではなく、労働生産物の対価が支払われるべきだ。
それにしても、ワーキングプアの賃金しかないのは、それだけの生産物しかないということか。
なさけなや、なさけなや。
何のための学歴、何のための学力、何のための学問・・・・
あー、アホくさ!!
なんぼ勉強しても、貨幣を獲得できない人間は、価値がないのだ。
これからは、ひたすら、自分の労働生産物の市場価値を高めるように努力しなくては。
やはりお金と将来の不安が
ぶり返してきた。
いまの仕事と原稿料では、そういつまでも家計がもたない。
そうするとどう対処すべきかという、グルグル思考にはいってしまう。
出口がなくなる。
奨学金の返済も大きい。
やはり、正社員(大学への就職)しかないのか。
それは、授業のできないわたしには、たいへんな苦痛だ。
もちろん、こんなややこしい人材をとってくれる大学もないだろうが。
大学に決まっても、当面の5年間の生活が確保されるくらいのものらしい。
そのあとは、教員リストラ、大学再編、などで激務か失職か。
アカデミック・ライターとして生きたいわたしにまともな収入の道はない。
ぜいたくなんだよ。
戦時中を考えてもみなさい。
そんな声も聞こえてくる。
みんな、生きるので必死なんだ。
物を書くというようなのん気な夢を追っている場合じゃあない。
それでも、それしか、いやそれすらまともにやる気がしない。
何かに、生活と時間に追い立てられるように、毎朝起きて仕事に行って、寝てるだけ。
なのに、自己実現なんて夢を追う。
それは、お金が保障されている人の言うことだ。
ワーキング・マシーンにならないと、生きていけないよ。
いずれ、大変なクラッシュがやってきますよ。
年収600万円は欲しい
っていうのは、ぜいたくだろうか。
親子3人、借金を返しながら、子どもに教育もつけて、老後も考えると、これでも足りないが。
いったい、どれくらいの年収が「普通」なのか。
平均値とかではなくて、そもそも、なにを世間相場というのか。
サラリーマンを一般水準にするのか。
派遣や非正規は、何を基準に要求すればいいのか。
職務給だなんて、バカなことをいって、それじゃあ、生活もできない。
特殊な才能(があるとして)を認めてほしい。
まあ、まだまだ、私の書くものには市場価値はないが。
もういいかげん、ある組織に定年まで勤めて、退職金と年金で暮らすという生活設計はやめなくちゃ。
死ぬまで、創作活動続けるから、それにふさわしい報酬下さいよ。
誰か、認めてくれ!!
もう、限界だ!
そんなに、わたしの業績は価値がないのか。
と、絶叫するのは、またしても「思い上がり」か。
もうそろそろ、許してもらってもいいんじゃないの。
何も罪を犯したわけじゃなし、ちょっと偉い学者に楯ついたか らって、ここまでシカトしなくても・・・
大学って何
またまた、恒例の大学病。
授業もゼミも何しにやっているのか、さっぱりわからない。
大学って何するところ。
まさか、学問や勉強じゃないでしょう、現状は。
就職予備校というほど、就職のための講義をしているわけでなし。
結果的な就職のための通過点。
それでも、大学に来る意味はあるようには思うが、それならいっそ、専門学校でいいのでは。
これから、どんどん大学がつぶれていくなかで、生き残りをかけて「理念」などではなく、実利的なことが幅を利かすでしょう。
何でも働く元気な若手と、実務的な社会人経験者が教員になっていくでしょう。
学問研究を目指すなんて、とんでもないアナクロです。
あーあ、またまわりで勘違い教員が社会主義の議論してるわ。
いつまで、そんな時代が続くと思っているのか。のん気だねぇ。
とんでもない左翼教員の粛清がこれから大学ではじまるでしょう。
そして、実利と就職と資格に強い「役に立つ」教員だけが残っていくでしょう。
わたしは、というと、 もう大学に用はないでしょうね。
役立たずです。
社会福祉産業
既存の産業は、市場飽和状態。
売れない、技術革新がない、新しいものがない、つまらない。
そこで、かどうかわからないが、今後は、ひとつは福祉の産業化。
まあ、どこかで言われたことだけど、福祉に市場原理をもちこむなとか。
コムスンの例もあることだし。
しかし、雇用と福祉と高齢化を考えると、これからはこの産業化が必要か。
でも、市場原理への反発は、それをなかなか許さない。
そもそも、なぜ市場原理を悪というのか。
競争だから、弱肉強食だから、非人間的だから、???
わたしは、市場万能論者ではないし、「市場の失敗」も知っている。
しかし、大学教員の労働市場は「競争」すらないので、腐敗している。
なぜ、左翼はそこまで市場を嫌うのか。
市場と資本主義とはイコールじゃないだろうに。
市場原理主義批判者は、ほんとうに、感情的でなく否定しているのかな。
小学校のトラブル
どうして(母)親というのは、ああもわが子を自分の分身のように可愛がるのか。
うちの亡くなった母も、わたしが有名校に合格したことが、自分の自慢の種だった。
それって、ほんとうの愛情というよりも、自分の自己愛の代理満足じゃないの?
もっと、自分自身の価値ってあるんじゃないのか。
そして、母親同士が、わが子の成績やなんかで見栄を張り合う。
まあ、「主人」の職業を自慢し合っている「奥さん」もいるが。
それが、地域のトラブルを生み出す。
○○さんの息子さんは、どこどこの学校にいってるのよ、とか。
もういいかげん、女性も自己の価値に目覚めるべきだ。
エヴァンゲリオンがわからない人
も、けっこういるのですね。
ゼミの 学生にも、「先生、あれ何の話ですか。全然わからない」という人もいます。
かと思うと、エヴァオタクもいます。
うーん、何が違うのか・・・・
エヴァのゼミで失敗
「エヴァンゲリオン限界心理分析」の一部をコピーして大学のゼミで使った。
シンジの攻撃性の深層を解説したのだが・・・
ゼミの終わりに、学生が、「先生、今日のはエヴァ・マニアにしかわかりませんよ」
「エヴァ見たことないし、授業で上映したやつみても、何の話かさっぱりわからん・・・」
うーむ、かなり個人的な思い入れのゼミ展開になってしまっていた。
一部の、熱烈なエヴァリストには、求めているものは提供しているのだろうが。
やっぱり、大衆的な授業は難しい。
そもそも、誰がどんな興味をもっているか、こちらもさっぱりわからないし、もしわかったとしてもそれに個別に応えることはできないし。
無難な、まじめな、定型化された授業とゼミをやっとれば、学生も安心するし、大学側からもお咎めをうけない。
きょうは、授業アンケートの日だが、これが苦痛。
100人ほどの登録者のうち、一割ほどしか出席していない。
しかも、評価はいつもかなり平均点を下回る。
いろいろ悩んで、工夫はするのだが、カラカラ空回り。
やっぱり、ものを書いて文章にして、公刊する方がいいね。
読みたい人しか、買わないわけだから。
大衆的な授業には不適応です、わたしは。
感情労働、管理される心
うーん、サービス業のプロでないといけない、福祉現場は、だという。
笑顔とあいさつ、プロだから・・・
つらい時でも元気にふるまっていると、ほんとうに元気が出てくる、だそうな。
しかし、本音も聞かせてくれる。
それは、競争社会のサービス化に対する「自己防衛」なのだと。
つまり、クレームを受けないために、防御策として「お客様本位」をつらぬく。
マナーの心でおもてなしするのは、いまの「うるさい」顧客に対応するため!!
でも、そのためには、うわべでなくほんとうに「こころ」をもたなくてはならない。
経営コンサルタントのいうことは、面白いですね。