幕末の史跡について全然まとめられません。

どこから手をつけてよいのやらという状態で・・・


きちんとまとめたら、史跡を一緒にまわった

せれん&くうにこのブログをみてもらおうと思っているのに・・・(x_x;)


そうそう、昨日から二夜連続で「白虎隊」をTVでやっているのよね。

公式サイトはこちら→http://www.tv-asahi.co.jp/byakkotai/

じゃ、白虎隊にちなんだ「会津」の史跡について書こうかな

と思ったのだけど、「会津」は史跡がありすぎて、「会津紀行」のような

長い文章になるので、書くのも読むのも辛いので

分けてまとめてみる事にします。

白虎隊は昨日のドラマでも、ちらっと触れていましたが

会津藩の作った軍制の中の16歳、17歳の青年たちの「隊」です。

白虎隊だけで約300名ほどいたそうです。

ほぼ「警備隊」のような役割だったそうですが、戦火が激しくなった

のと、「戦線に出たい」という隊士の希望などもあり、

白虎隊の中で「士中2番隊」と名づけられた面々42名が出陣しました。

16歳、17歳の青年達ですから、もちろん少々大人の「隊長」がついて

指揮をとっていたのですが、食料がない事に気がつき、

食料を調達しに行ってたのですが、ちょうど天候が悪いせいもあり

白虎隊の元に戻れなくなりました。

(って書いていてマヌケだなーと思ったのは私だけ?

もし隊長の日向内記氏が白虎隊の元に戻れたらこんな悲劇も

起こらなかったのでは?と思ってしまう・・・)

残された白虎隊士は相談して、飯盛山を抜けて鶴ヶ城へ戻る事

にするのですが、途中ではぐれてしまった篠田儀三郎

(TVではKat-tunの田中聖君が演じています)を中心とする20名が

飯盛山にたどり着いた時、鶴ヶ城が燃えているのです!

が、燃えているのは城下だったみたいなんですが、

気が動転した面々はお城が燃えていると思い込んでしまい

次々と自刃してしまうのです。


と、↑この場面は有名ですよね。

飯盛山には小学生の頃に遠足で行った事があります。

鶴ヶ城から約3キロぐらい離れています。

そこで、この悲しい話を聞き、上の絵葉書を購入

したのですが、小学生の私にはピンとこなかった。

大人になって、2004年に会津に久しぶりに行ってみて

「白虎隊記念館」に行ってみたり、

飯盛山に行ってそこから鶴ヶ城を眺めたりして、

自刃した「白虎隊士」がとても気の毒に思えてきた。

戊辰戦争という大人の争いに巻き込まれたんじゃなかろうかと。

「武士道」を貫いたのかもしれない。立派かもしれない。

でも、まだ成人していない若い青年なのよね。

現代なら、

これからいろいろと楽しい事が待ち受けている年頃なのに。