読んだ本

社会資本論 改訂版

宮本憲一

有斐閣ブックス

1976.01

(1967.10初版)

 

「本書の初版の構想をさいしょにつくったのは、1961年であるが、出版することができたのは67年のことだった」(349ページ)

 

初版と改訂版の違いについては、初版の第4章「日本の社会的費用」が全面的に削除されている。この点については宮本の他著「日本の都市問題」「日本の環境問題」を参照するよう勧められている。

 

初版の第5章は改訂版では4章となるとともに、「社会資本充実政策批判」の部分が削除され、新たに第5章として「転換期の戦後日本資本主義と福祉・環境政策」が加えられた。

 

大きな変更は上記の2点で、他、細かな修正がある。

 

***

 

 

本書で言われている「社会資本」とは「生産資本」と対置される「社会的間接資本」のことである。

 

「その結果としておこる損失を社会的費用としてとらえている」(2ページ)

 

戦後日本の経済政策、特に1950年代後半以降は、「所得倍増計画」が掲げられたが、その目的は「社会資本」の充実だった。

 

特にどのような分野に必要とされたのか。

 

・都市更新

・道路、航空機の改善

・自然資源の発展と保全

・保健・教育および社会福祉などの社会サービスの水準の向上

 

興味深いのは、1970年前後における社会科学言説が、現在とかなり異なっているという点である。

 

都市の「更新」、道路と航空機の「改善」という言い回しは、今なら違和感を覚える。「保健・教育」という言葉の並びもそうだ。

 

他方で、関心の中心がそれほど異なっていないと感じさせるのは、「社会資本の充実」よりも「人類の共通の事業は環境保全である」(4ページ)とする点である。

 

その起点は、1972年6月のストックホルム人間環境会議(第1回)とされている。そう、今からもう、40年以上前のことであり、現在でもなお、この問題が解決されたわけでも、改善されたわけでもないのは周知のことである。

 

しかもこの人間環境会議は、欧米諸国や日本などを中心にしたものであり、言わば、加害者による自己批判といえるもので、この主張を簡単には中国やインドなどの「後進国」は聞くことはできない。

 

「日本が原発をやめても中国など他国はそうではない」というレトリックは、これとまったく同じ構造をもっている。

 

社会資本概念は、こうした「環境問題」と地続きであることが強調される。

 

***

 

「ここでは、研究の対象を、主として資本主義社会の社会的一般労働手段と社会的共同消費手段に限定することにする。ここでいう社会的ということばは、所有が社会化(株式会社あるいは国家の所有のように社会化されたもの)されているという所有形態を意味する。一般的労働手段あるいは共同消費手段というのは、それぞれの労働過程と消費過程における質料的な形態を特徴づけた概念である。」 (10ページ)

 

「社会資本」については、すでに古典とされる著書がある。A・O・ハーシュマン「経済発展の戦略」(原著は1958年刊行)である。

 

ここでは「社会的間接資本」(Social Overhead Capital)という言葉が用いられている。

 

運輸、動力、灌漑、治水組織、法、教育、衛生、通信、水道などなど。今ならば一言で「社会インフラ」と言えるものに近い。

 

が、漠然ととらえるうえで、大きくは困らないが、学問的に検討すると、さまざまな問題点が発生している。つまり「社会資本」にはさまざまなものが含まれ、経済理論においては、以下のような矛盾のなかにある。

 

1)私的所有か公有か

2)循環か非循環か

3)生産手段か消費手段か

4)軍事的、政治的か、非軍事的、非政治的か

5)国際的性格をもつか、持たないか

 

そのうえで、本書では、以下のように限定を行っている。

 

「主として資本主義社会の社会的一般労働手段と社会的共同消費手段に限定する」(10ページ)

 

なお「社会的」というのは、「所有が社会化されているという所有形態をいみする」(10ページ)。

 

以上でよくわかるように、ブルデューやパットナムが言うような「社会(関係)資本)」とはまったく異なるのが「社会(的間接)資本」である。

 

歴史的な流れから言えば、1950年代後半から1960年代にかけて「社会(的間接)資本」論が先に展開され、その後1970年代から80年代にかけて「社会(関係)資本」論が議論されたと言える。

 

本書のような「社会(的間接)資本」論を問う意味というのは、前述したように「社会的費用」言い換えれば「外部不経済」の問題化にある。

 

経済学の外側にいる場合、たとえばイリイチは以下の3つの環境の問題の2番目と「社会資本」は関連していると思われる。

 

1)自然環境 

2)社会環境 

3)文化環境

 

きわめてわかりやすく言えば、社会資本論は、これまでのような、自然物の加工による生産物に基づいた経済活動だけでは、私たちの「暮らし」の「エコノミー」はとらえられないとして、第一に、社会インフラの重要性を強調するとともに、第二に、その負の側面である公害や労働条件の悪化などを改善もしくは優越性を訴えるのである。

 

もう一点、社会資本論が目指しているのは、「国家」もしくは「国民」という枠組みを前提とした「経済」に対して、「地域」をむしろ主体としている点である。

 

結局のところ、歴史的にみて、資本主義を標榜しようと社会主義を標榜しようと、近代国家は「地域」よりも「国家」を優先してきた。

 

「わが国の地域開発の目的は、おそるべき経済主義である」(286ページ)