読んだ本

元原発技術者が伝えたいほんとうの怖さ
小倉志郎
彩流社
2014.07

 

ひとこと感想

著者は福島第一のポンプ部の設計などもしたことがある技術者。彼をしても、一体何が起こったのか説明ができないのが原発事故、という言葉に説得力がある。本書は事故のことをふりかえりつつ、原発の危険性を心情的に問う内容。巻末の資料には、原発が武力攻撃を受けたらどうなるのかを検証した過去の論考がある。ここでは特に使用済み核燃料の危険性が強調されている。

 

著者は1941年東京生まれ。慶応義塾大学工学部卒、同大学院修士課程機械工学専攻修了。日本原子力事業(株)入社。2002年定年退職。2011年に東電福島第一原発大震災が発生して以後、原発の基本的な構造や本質的危険性についての講演会等を行っている。原子力市民委員会等メンバー。

 

***

 

著者は日本原子力事業株式会社に入社し、35年間原発の仕事に携わった。福島第一原発については、1,2,3,5,6号機の建設にかかわっており、「3.11」の事故については、さまざまな理由で、大きな衝撃を受けている。

 

もう少し細かく言えば、1,2,6号機は米GEの購入仕様書に基づき、各種ポンプの「購入技術」(単に購入するのではなく、内容をチェックしたり実際に使えるものとして確認するという意味か?)を担当している。また、3.5号機のポンプも2号機のコピーとなっているというから、少なくともポンプまわりについては、4号機以外は、彼が担当し、しかもほぼ同じ仕様だったことがわかる。

 

世間では「冷却用ポンプ」と呼ばれたが、これは正確には「非常用炉心冷却系ポンプ」だそうだが著者としてみれば自分が担当したこのポンプが動かなかったことにたいして、何らかのはっきりとした原因を解明したいところだが、原発(の事故)とはそれを許さないものだ、とみなす。

 

「原発のほんとうの怖さとは、原発の建設に携わった私自身にとっても複雑過ぎて全貌がわからないこと」(7ページ)

 

これは著者のみならず「世界中をさがしても」こうした技術者はいない、と著者は断言している。

ましてや、現場に携わっていない「研究者」に何がわかるのか、という気持ちが著者にはあるようだ。

 

原発にかぎらず、また、科学技術によって設計されたものだけでなく、現代の「メガマシン」というものは、「誰か」一人によってどうにかなるものではないことは自明である。はたしてこれは原発のみにかぎったことなのかどうか、著者はもう一歩その先を問うてもよいよかったのではないか。

 

もちろん、「原発の複雑さ」にかぎって言えば、著者の技術者の「限界」論は、十分に説得力がある。

 

ただしその一方で著者は、「放射能」についても本書のもう一つの主題としている。

 

正直言うと、原発の技術者だからといって、必ずしも「放射能」のことをよくわかっているわけではないということが痛感させられた。ただし、そもそも「放射能」のことを「よくわかる」ということが、現時点ではきわめて困難なことである以上、著者自身の問題ではないこともまた、強調しておかなければならないが。

 

実際、著者は次のように告白している。

 

「私がその放射性の高い物質(これを単に「放射能」と世間では呼んでいる)の存在こそが原発の危険性の源だと気がついたのは恥ずかしいことに、原子力産業に就職してから15-16年経って自らが放射能汚染管理区域内で日常業務に携わるようになってからだ」(32-33ページ)

 

さらに低線量被曝の健康被害については次の文献の影響を強く受けていると述べている。

 

死に至る虚構――国家による低線量放射線の隠蔽 Jay M. Gould & Benjamin A. Goldman、肥田舜太郎、齋藤紀訳、PKO法「雑則」を広める会、1994年

 

放射線の衝撃――低線量放射線の人間への影響 Donnell W. Boardman 肥田舜太郎訳、PKO法「雑則」を広める会、1994年

 

この二つの論文は、原爆症認定申請却下処分取消への訴訟において「証拠」として提出されたものである。

 

以下の二点について公に認められたために、上記の論文は画期的なものだと著者はみなしている。

 

1)内部被曝の健康への影響が認められた
2)低線量被曝の健康への影響が認められた

 

ほか、著者は崎山比早子の説明を直接受けている。

 

「1年間に自分の身体の約60兆個の細胞の核を平均的に1本ずつ放射線が通る」のが「1ミリシーベルト/1年」のイメージと考えている。そのうえで「無視できない量」ととらえている。

 

問題は「無視できる」かどうかではなく、「健康」への影響があるかどうかである。

 

残念ながら著者はこの考察をこれ以上先には進めない。

 

端的に(言うなれば「感覚的に」)「1ミリシーベルト/年」以下でも「怖い」と述べるにとどめている。

 

このあたり、著者が「元原発技術者」であるのであれば、もう一歩踏み込んだ検証と記述を期待してしまう。

 

なお著者は35年間働いたすえに「原発をやめる100の理由」という本を読むことも勧めている。そこから著者は以下の5点が「とくに重要」と考えピックアップしている。

 

ほか、著者は崎山比早子から直接説明を受けている。

 

「1年間に自分の身体の約60兆個の細胞の核を平均的に1本ずつ放射線が通る」のが「1ミリシーベルト/年」のイメージと考えている。そのうえで「無視できない」量ととらえている。

 

問題は「無視できる:かどうかではなく、「健康」への影響があるかどうかである。残念ながら著者はこの考察をこれ以上先に進めていない。

 

端的に(要するに感覚的に)「1ミリシーベルト/年」以下でも「怖い」と言っているにすぎなくなってしまう。

 

なお著者は35年間働いたその結果として、「原発をやめる100の理由」という本を読むことを勧めている。そこから著者は以下の5点が「とくに重要」と考えピックアップしている。

 

1)重大事故の可能性

2)運転中の低レベル放射線の放出

3)運転にかかわる作業員の被曝

4)使用済核燃料(高レベル放射性物質)の生成

5)原発から出た放射性物質の安全な保管、処分技術の不確定

 

もう一点。

 

著者は2007年に「山田太郎」のペンネームで同人誌「リプレーザ」No.3に「原発を並べて自衛戦争はできない」という論考を書いている。

 

この中で武力攻撃(戦争など)が起こったときのことをいろいろと想定している。たとえば「崩壊した炉心が原子炉内に残る水と反応して、水蒸気爆発をすれば、原子炉の破裂という事態にもなりかねない」(178ページ)といった具合にである。

 

そうでなくても冷却については大半の設備が建屋の外に(しかも剥き出しで)置かれている。

 

これに対して著者は「武力攻撃を受けたら、ほぼ確実に原発の原子炉の冷却ができなくなる」(179ページ)とみなし「どういう事態に発展するかは未知の世界」と述べる。

 

しかもまた、使用済核燃料がプールにあることも指摘している。こちらも深刻で最終処分の流れがつくれないまま、使用済核燃料が増えてゆくため、当初の設計から少しずつ間隔を縮めてゆき、収納量を増やすという苦肉の策をとったという。

 

こちらも攻撃を受けたら何が起こるかわからない。

 

なお、内部被曝について基礎的な参考分として挙げているのは、以下である(人物表記だけなのをお許しください)。

 

肥田&鎌仲(2005)

グロイブ&スターングラス(2011)

中川保雄(2011)

矢ケ崎&守田(2012)

市民と科学者の内部被曝問題研究会(2012)

西尾正道(2012)

核戦争防止国際医師会議ドイツ支部(2012)

チェルノブイリ被害の全貌(2013)

ゴフマン(2011)

名取春彦(2013)

ほか

 

 

 

 

目次      
1 元原発技術者が言える原発の危険性
 3・11事故発生時、なにを思ったか?
 自分の過去の仕事
 私の認識の変化 ほか


2 事故のあとだからこそ言えること
 科学・技術を超えた問題
 事故の原因―天災か人災か?
 同じ事故が柏崎で起きていたら? ほか


資料
 「原発を並べて自衛戦争はできない」
 紙芝居『ちいさなせかいのおはなし』
 内部被ばくについて基礎知識を得るための参考書の紹介)

 

原発は、ほんとうにとんでもない怪物だ。あの複雑怪奇な原発の構造を理解しているエンジニアは世界にひとりもいない…。複雑過ぎて危険すぎる「原発の仕組み」を元原発技術者が全告白。