読んだ本
これからの環境エネルギー 未来は地域で完結する小規模分散型社会
鮎川ゆりか
三和書籍
2015.04
ひとこと感想
原発や石油に依存せずに自然エネルギーや省エネ、コージェネなどを活かした地域社会づくりの重要性を訴え「環境エネルギー」というキーワードでまとめている。ソースが省かれていたり論が乱暴なところもあるが、今後の社会のあり方に野心的に取り組んでいる。
***
鮎川ゆりか(AYUKAWA Yurika)は、千葉商科大学政策情報学部教授。原子力資料情報室で国際担当をされていた。
目次
はじめに 岩手県紫波中央駅に降り立って未来を感じた
1 3・11から見えてきた日本のエネルギー問題
2 エネルギーの基礎
3 化石燃料と電気
4 原子力発電
5 フクシマ原発事故はなぜ起きたのか
6 原発を支えてきたのは、我々の払う電気料金
7 「節電の夏」賢く――省エネルギー革命
8 「省エネ」「創エネ」のカギは熱利用
9 再生可能な自然エネルギー
10 必要なのは電力改革とスマートグリッドによる需給管理
11 進む地域の自然エネルギー
12 岩手県紫波町にみる環境エネルギー社会の未来
13 結論――これからの環境エネルギー社会
***
本書は、「エネルギー論」という授業がもととなっている。そのため章立ては13章ある。
言わば「教科書」としてまとめようとしたものだ。
「教科書に使えればと思って書き始め、それぞれの項目を少しずつ深堀りし、専門的見地を追加した。それは膨大な作業であったが、あまりに範囲が広範なため、どれも専門性にはやや不十分なものとなってしまった。」(257ページ)
著者自ら弱点については自覚的である。しかしそれでも本書に意味があるのは、以下の点であろう。
「「エネルギー」という分野を限りなく「環境」という切り口で解説している」(257ページ)
そうなのだ。
一般的にはエネルギー」といえば、過去ならば、化石燃料から原子力へ、といった論調か、もしくはそれには批判的な、原子力から「自然エネルギー」もしくは「再生可能エネルギー」へ、といった言い方になると思う。
ここで言う「環境エネルギー」とは、「自然エネルギー」もしくは「再生可能エネルギー」とはたして、どう違うのだろうか。
上記の目次にもあるように、章立てとしては、「再生可能な自然エネルギー」といったように、必ずしも「環境エネルギー」という言葉を使い続けているわけではない。
というか、両者はまったく同じ意味を持つわけではない。
しっかりとした定義が本書にはないが、13章の最初の節のタイトルがもっともそれらしいものと思われる。
「環境と共存し、地域で完結する小規模分散型エネルギー社会への道」(247ページ)
つまり、「環境エネルギー」とは、いわゆる「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」という言葉と同義なのではない。
「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」をもとにした地域づくりを進めてゆこうとするそのパワーのことを「地域エネルギー」と呼んでいる。
「地域の人々が「オーナーシップ」(所有権)をもって進める自然エネルギーの取り組みのことを「コミュニティパワー」(地域エネルギー」という」(205-206ページ)
この「地域エネルギー」と「環境エネルギー」はどう違うのであろう。
概念整理ならびに吟味、そして諸概念の整合性などについては、著者はやや無頓着のようである。
いくつか興味深い(眉つばものも含めて)指摘を、以下、列挙しておく。
***
「アメリカでは、2001年に起きた同時多発テロが、当初は原発をターゲットにしていた」(91ページ)
これははじめて聞いた。残念ながら本書にはこの論拠となるソースが何も示されていないので、本書を読んでもこれ以上検証できない。今後どこかで調べておきたい。
***
「「事故が発生した場合に周辺地域の住民の安全を守るための避難等の対策」は原子力規制委員会の任務ではないとし、各自治体に任せることになっている」(94ページ)
これも、今一つしっくりこない。どういうことであろうか。「対策」について、規制委員会では関与しないということであろうか。これもやはりもう少し説明かソースがほしいものである。
***
「震災前の自由化されている大口顧客への販売電力量は全体の62%を占めるにも関わらず、東京電力の営業利益に占める割合はわずか9%で、残りの91%は家庭部門からなのだ。」(103ページ)
この部分には注がついており、URLもついているため、跡を追うことができる。要するにこれは論拠が分かる。
***
「(産業界は)これ以上省エネの余地はないと主張し続けてきた。…しかし実際は、1970年代の2度のオイルショック時はかなりの省エネを行い、大幅に効率的な国になったが、その後、石油が安くなり足りてくると、バブル経済になり、石油が枯渇するかもしれないとの意識は人々の心から薄らぎ、ひたすらエネルギーを大量に使うようになっていったのである。」(124ページ)
これについてはIEA(2012)の「世界のGDP(購買力平価)当たりCO2排出量」資料をもとにしており、話はわかる。かつて日本は世界一だったが、今や6位に転落している。
***
ネガワットももちろんとりあげられているが、それ以上に、熱利用を行うコージェネが、非常に興味深かった。
コージェネは政策として進められてこなかったこともあり、扱いがぞんざいである。きちんとした項目として分類されず、「省エネルギーや「化石燃料のクリーン化」のなかで語られている。
「日本の「エネルギー」のとらえ方に「熱供給」という「エネルギーサービス」の概念が存在しなかったからであり、また電力会社の力が強すぎ、ガス会社の主張が認められてこなかったことも、エネルギーの全体像をいびつにしている一つの要因である。」(134ページ)
個人的にはまだ10代の頃(つまり1970年代)札幌市がごみ焼却熱を暖房その他に利用していたのを知っていたから、どの地域でも当たり前に行っていたのかと思っていたが、実はそうでななかった。
まだまだ「地域熱供給」は進められる余地が十分にあるようだ。
***
なお本書は、シンプルな対立構図で書かれている。
悪玉 = 原発、東電、電力会社
善玉 = 環境エネルギー
これはあまりにも図式化しすぎているように思う。次世代のエネルギー利用の在り方を考えてゆくのであれば、そのあたりは、もうすこし工夫してもよいように思う。
***
なお、依拠する文献は、きわめて古典的なものから近年のものまで幅広くフォローされている。
たとえば、エイモリー・ロビンス他「ファクター4」、ゴフマン「人間と放射線」、シューマッハ―「スモールイズビューティフル」、メドウズ他「成長の限界」などが並ぶ。
そして他方では、大島堅一「原発のコスト」、田坂広志「官邸から見た原発事故の真実」、槌屋治紀「これからのエネルギー」、藻谷浩介「里山資本主義」など、近年の著作がとりあげられている。
これからの環境エネルギー 未来は地域で完結する小規模分散型社会
鮎川ゆりか
三和書籍
2015.04
ひとこと感想
原発や石油に依存せずに自然エネルギーや省エネ、コージェネなどを活かした地域社会づくりの重要性を訴え「環境エネルギー」というキーワードでまとめている。ソースが省かれていたり論が乱暴なところもあるが、今後の社会のあり方に野心的に取り組んでいる。
***
鮎川ゆりか(AYUKAWA Yurika)は、千葉商科大学政策情報学部教授。原子力資料情報室で国際担当をされていた。
目次
はじめに 岩手県紫波中央駅に降り立って未来を感じた
1 3・11から見えてきた日本のエネルギー問題
2 エネルギーの基礎
3 化石燃料と電気
4 原子力発電
5 フクシマ原発事故はなぜ起きたのか
6 原発を支えてきたのは、我々の払う電気料金
7 「節電の夏」賢く――省エネルギー革命
8 「省エネ」「創エネ」のカギは熱利用
9 再生可能な自然エネルギー
10 必要なのは電力改革とスマートグリッドによる需給管理
11 進む地域の自然エネルギー
12 岩手県紫波町にみる環境エネルギー社会の未来
13 結論――これからの環境エネルギー社会
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本書は、「エネルギー論」という授業がもととなっている。そのため章立ては13章ある。
言わば「教科書」としてまとめようとしたものだ。
「教科書に使えればと思って書き始め、それぞれの項目を少しずつ深堀りし、専門的見地を追加した。それは膨大な作業であったが、あまりに範囲が広範なため、どれも専門性にはやや不十分なものとなってしまった。」(257ページ)
著者自ら弱点については自覚的である。しかしそれでも本書に意味があるのは、以下の点であろう。
「「エネルギー」という分野を限りなく「環境」という切り口で解説している」(257ページ)
そうなのだ。
一般的にはエネルギー」といえば、過去ならば、化石燃料から原子力へ、といった論調か、もしくはそれには批判的な、原子力から「自然エネルギー」もしくは「再生可能エネルギー」へ、といった言い方になると思う。
ここで言う「環境エネルギー」とは、「自然エネルギー」もしくは「再生可能エネルギー」とはたして、どう違うのだろうか。
上記の目次にもあるように、章立てとしては、「再生可能な自然エネルギー」といったように、必ずしも「環境エネルギー」という言葉を使い続けているわけではない。
というか、両者はまったく同じ意味を持つわけではない。
しっかりとした定義が本書にはないが、13章の最初の節のタイトルがもっともそれらしいものと思われる。
「環境と共存し、地域で完結する小規模分散型エネルギー社会への道」(247ページ)
つまり、「環境エネルギー」とは、いわゆる「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」という言葉と同義なのではない。
「再生可能エネルギー」や「自然エネルギー」をもとにした地域づくりを進めてゆこうとするそのパワーのことを「地域エネルギー」と呼んでいる。
「地域の人々が「オーナーシップ」(所有権)をもって進める自然エネルギーの取り組みのことを「コミュニティパワー」(地域エネルギー」という」(205-206ページ)
この「地域エネルギー」と「環境エネルギー」はどう違うのであろう。
概念整理ならびに吟味、そして諸概念の整合性などについては、著者はやや無頓着のようである。
いくつか興味深い(眉つばものも含めて)指摘を、以下、列挙しておく。
***
「アメリカでは、2001年に起きた同時多発テロが、当初は原発をターゲットにしていた」(91ページ)
これははじめて聞いた。残念ながら本書にはこの論拠となるソースが何も示されていないので、本書を読んでもこれ以上検証できない。今後どこかで調べておきたい。
***
「「事故が発生した場合に周辺地域の住民の安全を守るための避難等の対策」は原子力規制委員会の任務ではないとし、各自治体に任せることになっている」(94ページ)
これも、今一つしっくりこない。どういうことであろうか。「対策」について、規制委員会では関与しないということであろうか。これもやはりもう少し説明かソースがほしいものである。
***
「震災前の自由化されている大口顧客への販売電力量は全体の62%を占めるにも関わらず、東京電力の営業利益に占める割合はわずか9%で、残りの91%は家庭部門からなのだ。」(103ページ)
この部分には注がついており、URLもついているため、跡を追うことができる。要するにこれは論拠が分かる。
***
「(産業界は)これ以上省エネの余地はないと主張し続けてきた。…しかし実際は、1970年代の2度のオイルショック時はかなりの省エネを行い、大幅に効率的な国になったが、その後、石油が安くなり足りてくると、バブル経済になり、石油が枯渇するかもしれないとの意識は人々の心から薄らぎ、ひたすらエネルギーを大量に使うようになっていったのである。」(124ページ)
これについてはIEA(2012)の「世界のGDP(購買力平価)当たりCO2排出量」資料をもとにしており、話はわかる。かつて日本は世界一だったが、今や6位に転落している。
***
ネガワットももちろんとりあげられているが、それ以上に、熱利用を行うコージェネが、非常に興味深かった。
コージェネは政策として進められてこなかったこともあり、扱いがぞんざいである。きちんとした項目として分類されず、「省エネルギーや「化石燃料のクリーン化」のなかで語られている。
「日本の「エネルギー」のとらえ方に「熱供給」という「エネルギーサービス」の概念が存在しなかったからであり、また電力会社の力が強すぎ、ガス会社の主張が認められてこなかったことも、エネルギーの全体像をいびつにしている一つの要因である。」(134ページ)
個人的にはまだ10代の頃(つまり1970年代)札幌市がごみ焼却熱を暖房その他に利用していたのを知っていたから、どの地域でも当たり前に行っていたのかと思っていたが、実はそうでななかった。
まだまだ「地域熱供給」は進められる余地が十分にあるようだ。
***
なお本書は、シンプルな対立構図で書かれている。
悪玉 = 原発、東電、電力会社
善玉 = 環境エネルギー
これはあまりにも図式化しすぎているように思う。次世代のエネルギー利用の在り方を考えてゆくのであれば、そのあたりは、もうすこし工夫してもよいように思う。
***
なお、依拠する文献は、きわめて古典的なものから近年のものまで幅広くフォローされている。
たとえば、エイモリー・ロビンス他「ファクター4」、ゴフマン「人間と放射線」、シューマッハ―「スモールイズビューティフル」、メドウズ他「成長の限界」などが並ぶ。
そして他方では、大島堅一「原発のコスト」、田坂広志「官邸から見た原発事故の真実」、槌屋治紀「これからのエネルギー」、藻谷浩介「里山資本主義」など、近年の著作がとりあげられている。
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