以下、阿部清治「原子力のリスクと安全規制」のつづき

 原子力のリスクと安全規制 福島第一事故の"前と後"(阿部清治)を読む
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-12056467214.html

1号機の水素爆発が起こる前の、当時の分析を振り返っているところを今日はみておきたい。

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2011年3月12日14:54、吉田所長は淡水から海水に切り替えた。防火水槽にあった水がなくなったためであるが、記録されている圧力計の数値が正しければ、淡水も海水も、ほとんど炉内には入っていないであろう、と阿部は推測している。

一方15:00におけるプラント状況を伝える東電のプレスリリースでは、ベント作業をしていた作業員の被曝線量が100mSvを超えていた。また、15:29には敷地境界の線量が以上上昇している。

このとき阿部は、原子力安全基盤機構(JNES)に詰めたままである。

そこでの報告では、少し時間を遡るが、13:49に次のことが阿部のもとに情報として入ってきた。

・1号機の原子炉水位の低下
・ベントはできていない
・保安院が炉心露出について言及

しかし15:11には、以下の報告があったという。

・1号機では、14:30にベントが成功した
・海水注入の開始
・当面この状態が続く

これに対して阿部は水位計が壊れているという前提をもたずに、水位が安定していると想定し、当面は急変はないと推察して、一度帰宅し仮眠をとっている。

知ってのとおり、そのあと水素爆発が起こる。

炉心溶融の専門家であっても、このように、数値がうまく読みとれなければ、誤った「解」しか出せない。

15:36に原子炉建屋で水素爆発が起こり、屋根が吹き飛んだ。

その後水位計の数値がこの前後で終始変わっていないことから、ようやく、水位計が壊れていることを理解する。

「福島第一の事故では、私も推移指示値にだまされて、炉心の状況を誤って理解していたのである。」(234ページ)

実際後で調べてみると、推移計測プローブは、炉心内に設置されているのではなく、外側壁のジェットポンプについていたとすると、この計測した数値は「ダウンカマ」に溜まっていた水の高さだというkとで、阿部は納得した。

だが後日ダウンカマの内側であることが分かる。

くりかえすが、彼ほど、炉心溶融に詳しい専門家はそうそういない。しかし彼はひたすら水位計の変動を頼りに炉心の変化を追いかけ、それが故障しているという前提をもつことができなかった。自戒を込めて次のように述べる。

「個人の思い付きに頼るのではなくて、組織として知識を集めることができるか、誤りを正すことができるかだと思う」(235ページ)

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3月12日16:17、水素爆発後にモニタリング車で敷地境界の数値を測定、0.5ミリシーベルト毎時。17:02中央制御室の放射線モニタが振り切れ運転員は半面マスクを着用した。

このあと、17:55に管直人が東電に海水の注入を命令、19:04開始する。

このときの報告では19:25に中断、20:20に再開というものがあるが、2011年5月26日に東電はこの中断と再開はなかったと訂正している。

この頃の原子炉と格納容器との圧力差は高い数値で推移、一方、ドライウェルと圧力抑制室との差は上昇下降を繰り返しており、小康状態であった。

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なお、汚染水については、阿部は3月13日の時点で次の手として海への流出のくいとめ方を考えはじめていた。

アイデアとして、自衛隊出身の職員が、日露戦争時に旅順湊封鎖のため日本軍が考えた作戦を応用して、古い鉛を港湾入口に沈め、その上にビニールを張り、さらにその上にコンクリートを流す、という話が出た。

このことを官邸に話に行ったものの、ちょうど水素爆発が起こっていたときなので、このアイデアを検討する機会を逸してしまったという。



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