読んだ本
水俣から福島へ 公害の経験を共有する
山田真
岩波書店 シリーズここで生きる
2014年10月

ひとこと感想
低線量被曝の問題は当面白黒つけることは困難であるから、それよりも、原発事故の影響を受けた人たちの救済に焦点をあてるべきだとし、かつての森永ヒ素ミルク事件や水俣、そして福島での体験を実直に語る姿には、敬意を表したい。ただし、多くの部分は他書からの引用で構成されている点はあまり好ましくなく、残念であった。

山田真(YAMADA Makoto, 1941-  )は、小児科医。

***

「この本では、日本が敗戦の中から立ち上がり、高度経済成長を遂げていく過程で作り出されていった棄民の歴史をたどる」(viiページ)

「棄民」とは、「国家」によって切り捨てられた民のことである。

「わたしには、空襲被害者も、水俣病患者も、福島をはじめとする原発被災地の住民も、同じように見える。「国の政策のために国民は一定の犠牲は耐え忍ばなければならない」とする論理によって切り捨てられていく姿である。」(ixページ)

山田はこうした過程をふりかえることが、「一部の市民に痛苦を負わせ、切り捨てることで生き延びるという、この国の歴史を断ち切るための一助」(ixページ)となると考えている。

具体的には、以下の出来事を本書ではとりあげている。

・森永ヒ素ミルク中毒事件 1955年~
・水俣病 (1956年~)
・広島・長崎の原爆 1945年~
・ビキニ海域水爆実験 1954年~
・東京電力福島第一原子力発電所事故 2011年~

*水俣病については、発覚した年を入れた。実際には1940年代から発生している。

山田は1971年に、当時高校生だった被害者の一人である石川雅男が
小児科学会にて告発したのをきっかけに、森永ヒ素ミルク中毒事件にかかわった。

事件当初は、多くの人が死亡もしくは神経障害、中毒症状などを起こし、その後もさまざまな病気の発症が心配されたが、40年間経過を追うことによってはじめて、晩発性については特に有意な差は認められなかったという。

その後、水俣病患者とも寄り添い、そして、今、福島の子どもたちとその親と向かいあう山田は、「これまで私が見てきたことの反復」(4ページ)をそこに認める。

「反復」とは、「加害企業が被害を隠蔽し、被害者を切り捨てることのくり返し」(4ページ)ということである。

副題には「公害」とあるが、山田は、むしろ「企業災害」とみなす。

企業災害の特徴は、起こったあとの事後処理において犯罪的な行為が繰り返されることである。

森永ヒ素ミルク事件の場合は、医者と企業との癒着が問題の根底にある。

異変が起こりはじめて、医療側は森永のミルクが疑っていたにもかかわらず、森永に気兼ねして
「予防原則」に基づいた措置さえ行われず、被害が拡大した。

また、事が大きくなってからの対応の仕方にも、さまざなま問題があったが、被害状況を調査するなかで、「ヒ素中毒の影響と確認される病状」(24ページ)というのが、非常に判定しにくいにもかかわらず、たとえ「異常」があっても、「被害」に含まれない、ということが行われた。

結果、事件は「収束」したかのように装われたが、実際は、長年にわたって後遺症その他で苦しむ人たちがおり、さまざまな運動が続けられ、ようやく1974年になって裁判により、被害者への「生涯保障」を含む、和解が成立する。

この「傷害保障」の特徴は、対象が、量の大小にかかわらず、発症の有無にかかわらず、当時、森永ドライミルクを購入したことが証明される人すべてに及ぶ、ということである。

山田は、この考えは、「フクシマ」においても適用すべきだと考える。

***

また、山田は、1971年に患者によるハンストに対するサポートをきっかけとして、
水俣闘争とその後深いかかわりをもっている。

水俣病が難しいのは、「期間」の確定ができないことである。

ここでは、1941年頃より所発し、1960年以降も続いている、ととらえている。

水俣病の場合、チッソという会社が化学企業として国に守られ、かつ、御用学者がそれを支援し、被害を隠したり、排水を止めるが遅れたりした、という点において、東電との類似性を山田は語る。

ここでの教訓は、こうである。

・早い時期に広汎な健康調査を行っておかないと、被害の全貌が見えなくなってしまう
・認定基準をせまい枠の中にはめこんで、それに合致するものだけを認定すると多くの被害者を切り捨ててしまう
 (86ページ)

これはおそらく、一部の公害や放射能汚染への対応にかぎらず、遍く「行政」の手法、「官僚」の話法の問題でもあるように、私には思われる。

すなわち、近代社会における「統治」テクノロジーは、常に、全体性を配慮しているように見せかけながら、結局は、そのうちの一部を個別化し、異常なものとして排除し、普通や正常と区別することから、すべてがはじまるのである。

***

「放射能に関する隠蔽は、けっして福島に始まったものではなく、広島・長崎への原爆投下以来、ずっと続いてきたものなのだ。」(87ページ)

これは単なる「隠蔽」や「偽装」「虚偽」ということではなく、本当のところは誰も分からない、ということであろう。

そして、そうした「曖昧さ」を排除し、「とりあえず」基準や枠組みをつくって、選別を行う。

チェルノブイリ事故が起こったあと、「日本の原発は絶対安全」キャンペーンが張られたときのことを山田は、水戸巌の著作をたどりながら、ふりかえっている。

この内容は、あらためて水戸巌の本を読むことでフォローする。

山田はここで、その後の原発推進と原爆との関係性について、自分があまりにも無知であったことを告白している。

「世界的に原発をなんとしても稼働させねばならないとする強い推進勢力があるのはなぜかということを理解するためには、広島・長崎での原爆投下の意味を知っておく必要があるだろう。」(92ページ)

また、このあと鷺沢萌の「さいはての二人」という作品に言及しているが、この内容もあらためてとりあげる・・・本書は、大半がこうした「引用」となっていることに、今気づいた。

続いてとりあげられているのは、奥田博子「原爆の記憶」、直野章子「被ばくと補償」であるがこのあたりも省略。

「2011年の福島原発事故でわかったことの一つは、日本に放射線医学の専門家といわれる人はたくさんいるけれど、低線量被曝に詳しい人はほとんどいないということだった。」(109ページ)

***

第五福竜丸平和協会「
第五福竜丸は航海中 ビキニ水爆被災事件と被ばく漁船60年の記録」における聞間元(ききま・はじめ)医師の説明を参照している。

ここでは、久保山愛吉の死亡原因を「肝臓死」とし、被曝が原因ではなく輸血に問題があったとみなす見解への疑義を述べているので、少し内容を追いかけたい。

聞間元は、「骨髄やリンパ節の変化、精巣細胞の傷害は輸血や肝炎ウイルスだけでは起こらない」(115ページ)として、米原子力委員会などの「肝臓死」の判定を否定する。

都築正男が医師団の最高顧問であり、彼が解剖の結果「放射線障害」が見出されたと述べているというが、この点について、正確なことが本書では分からない。

放射線が死因であることを確実に示す証拠がある、と聞間元が主張している。

「久保山や乗組員はジルコニウム95とニオブ95のβ線照射を身体の内外から受けることになるが、これが久保山の肝、腎、肺、筋、骨から実際に検出されている。久保山の肝臓からは、このほかセリウム144、プラセオジム144などの希土類とストロンチウム89,90、イットリウム90が検出されている」(116ページ)

このあと、少々あいまいな言い方であるが、まとめると、「劇症肝炎」が死因とは考えられない理由として、1954年当時はこの肝炎がB型かC型かは分からず、C型は劇症肝炎を引き起こさない一方でB型は1パーセント程度起こる可能性があり、もしB型に感染したとしても、それが劇症肝炎になるきっかけは免疫系の損傷によるものであるから、結果として、放射線障害が死因となるべきだ、という。

つまり、世間で言われている、輸血が原因で肝炎に感染したことは、ほぼ確実であるという見解を示しつつ、しかしそれが死因とはならない、と述べているのである。

これはこれで言いたいことは分かるが、他の乗組員の大半も肝臓を中心にやられていることを考えれば、当時の輸血にも、大きな問題があったことは、強調すべきところであろう。

そのうえで、どれほどの被曝量であったのか、が数値として示され、そのうえで、その数値によって、どのような影響がもたらされるのかを推計しなければならない。

さまざまな放射線が確認されたかた、というい理由だけでは、それを「死因」と認めるのは、読者には困難である。

しかし本書はそこにはふみこまずに、次に進む。

再び別の本がとりあげられる。山下正寿「核の海の証言」であり、放医研に関する批判が述べられる。

さらに節として、東海村で起こった、JCO臨界事故についてもふれているが、ここも他の本を参照して書かれている。日本原子力学会JCO事故調査委員会「JCO臨界事故 
その全貌の解明事実・要因・対応」である。

さらに、高橋博子「封印された広島・ナガサキ」である。これは、読んだ。

 封印されたヒロシマ・ナガサキ(高橋博子)、を読む
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11578469307.html

このあと、マーシャル諸島の人たちのことにふれる。

ここも、中原聖乃、竹峰誠一郎「核時代のマーシャル諸島」をもとにしている。

・・・別に、本書をきっかけにして、はじめてこれらのことを知る場合には、入門書的でよいのかもしれないが、それぞれのことについては、各書にまかせて、本書では、山田自身の経験や調査、研究の内容を中心に展開すべきだったのではないだろうか。

***

山田は、自分のポリシーを「反放射能」と述べ、医療被曝も含めて批判的である。

他方で、これまでの公害闘争において、専門家である弁護士や医者が議論の中心となることで、どうしても当事者である被害者が蚊帳の外に置かれるということを何度もみてきたので、自分が闘争の中心に立つのはよくないと考えている。

とはいえ、「3.11」以降、いろいろな要請を受け、結果的には「子どもたちを放射能から守る全国小児科医ネットワーク」という組織を立ち上げ、かつての「同志」である黒田信一にも声をかける。

それから山田は、何度も福島を訪れ、健康相談会などを開く。

「福島では森永や水俣病などとは比べものにならない巨大な力で、計画的に「被害の抹消」が行われている。しかもそれは、世界規模で展開されているのである。そうした動きの中で、わずか三年間という短い時間の間に福島は忘れられ、そこに住む人々は棄民扱いされようとしている。」(145-146ページ)

山田が現地に行って驚いたのは、福島の人たちのあいだでは「放射能への健康への影響が心配だ」ということを口にだしてはならないという風潮が、2011年5月の時点であったという。

「自発的隷従」(146ページ)という言葉を山田は使っている。

確かにこうした「風潮」は、現地に行ってみないと分からない。

それでも6月の相談会には多くの人が訪れ、避難すべきかどうか率直に語っていたのだが、7月には、人も減り、相談しにくい空気が漂ったという。

「当時、福島では多くの市民の間に「風評被害を拡大させてはならない」という意志が強く存在していように思われる。」(148ページ)

この後も相談における葛藤は続くが、山田のスタンス自体は変わることはない。

子どものためには、基本的には、避難をした方が良い、ということと、内部被曝から身を守るためには福島産の飲食物を避ける、ということである。

これは、「正論」ではありえるが、現地では、すんなりと通るものではない。

福島産のものを福島の人たちが食べないと、県外の人は、もっと受け入れることができないため、内部においては、無言の圧力が被曝を怖がる人たちにやってきて、精神的に参ってしまう。

山田も、「許容量」を前にして、曖昧なことしか言えず、そうした曖昧さは、現地の人たちの不安をさらに増やすことになり、結局、「大丈夫」「危険だ」とはっきりという、むしろ「似非専門家」の発言に人は依存してゆくことになる。

それは、被災地だけの問題ではなく、今なお、私たちの間でも同様のことが起こっている。

さらに怖ろしいのは、対立する側に対して、完全に「敵意」を抱き、自分たちを絶対善と思ってしまい、対話が成立しなくなっていることである。

議員立法として成立した所謂「子ども被災者支援法」もまた、空文化してしまっている例として挙げられている。

それでも山田は健康相談を福島出続ける、という。

多くの人は、表面的には気楽に生きているように見えても、心の奥に不安をかかえ、その部分を軽くひと突きされたら怒りや悲しみといった激情があふれ出しそうな、そんな状態にいるようにわたしには見える。」(161ページ)

こうした非常に困難な状況となった原因の根本は、「被曝」に対する認識論的「障壁」が二つあるからである。

1)許容量
2)閾値

この二つについては、中川保雄「放射線被曝の歴史」を、閾値についてはさらにジョセフ・ロートブラット「核戦争と放射線」を参照しているので内容は省略するが、要するに二つとも今のところ人為的なものにすぎず、いくら科学的な検証を行っても明確な「答え」が出ない、ということである。

 放射線被曝の歴史(中川保雄)、を読む
 http://ameblo.jp/ohjing/entry-11604709459.html

「2011年3月11日以前の自然放射能よりも少しでも線量が上がった場所はすべて被災地であり、健康被害については低線量であっても、固形ガン、白血病をはじめとしてすべての臓器の傷害が起こりうることを想定して、調査、健康診断、ひょ某措置などを行わねばならないとわたしは考える。」(165-166ページ)

最後に、山田は、もう一冊、畑明郎、向井嘉之「イタイイタイ病とフクシマ」を「あとがき」で紹介している。

最後まで、他の本に依拠している点が、本書のもっとも残念なところである。

そういう部分をなくして、ただ、山田がこれまで見てきた患者たちのことを中心にまとめた方が、書籍としては、よかったのではないだろうか。



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