読んだ作品
死の灰は天を覆う ビキニ被曝漁夫の手記
橋爪健

所収
コレクション 戦争と文学 19 閃 ヒロシマ・ナガサキ
浅田次郎他編
集英社
2011年6月

初出
小説新潮
1956年9月号

橋爪健(HASHIDUME Ken, 1900-1964)は、長野生まれの作家。東大法学部に入学、文学部中退、戦後は実験的な小説を手がける。

***

第五福竜丸の船員を主人公にし、彼が友人(そして友人の妹で許嫁の女性)に宛てた手紙文という形をとった作品である。

1956年に米原子力委員会が水爆実験を再開したことに憤り、手紙が書かれた。

洋上で「被曝」(本作では「被爆」と書いている)するに至る経緯と、その後の煩悶が描かれているが、特に、放射線障害によって精子の数が減ってしまい、子どもを産ませることができないか、生まれても健常ではないおそれがあり、結婚に躊躇する、という内容。

船のなかでの毎日など、海の男たちの暮らしを描いている、という意味では、貴重な書き方なのかもしれない。

こういう言い方は作者に申し訳ないが、第五福竜丸を扱った作品が少ないこともあり、選ばれたように思われる。

表記として気になるのは、上述の「被爆」だけではない。

「無警告の水爆実験」(633ページ)というのは正確ではないのは、本作の後半でも、立ち入り禁止区域が設定されていると記されていることからも分かる話で、「無警告」と書いてはならない。

もう一点、やや混乱しているところがある。

火の玉を見たときの声

「原爆じゃないか!?」(648ページ)

このあと16行後には、こう書かれている。

「じゃあ、やっぱし水爆か」(649ページ)

この648ページは「原爆」ではなく、「水爆じゃないか!?」でよかったのではないだろうか。

また、何よりも気になるのは、「宿命」「神秘的な力」「天の啓示」といった言葉で、この被害を語ることにも、違和感を覚える。

もちろん作者は悪気があってこういう表現を選んだわけではないかもしれないが、私はこうした出来事に対して、「神」や「天」を持ち出すのは、よくないと考える。

なぜならば、映画「大魔神」の第一弾と同じく、「自然」災害に対する「人間」の無力さを訴えるときの「心性」であって、人間の「作為」によって起こった「事件」に適応すべきものではないからである。

なお、この作品は、以下のことを訴えているような書き方をしている。

「一被爆者として、何もかも洗いざらいぶちまけて、世人に、世界中に、訴えねばならぬ。まだ一度もくわしくは公表されないおれたちの「真相」を、はっきり知ってもらわねばならぬ。」(636ページ)

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