読んだ本
原発と政治のリアリズム
馬淵澄夫
新潮新書
2013年1月
ひとこと感想
原発事故後の対応(特に燃料の冷却、放射性物質の放出の抑止)について、建築系の政治家であるがゆえに、非常に「現実」に即した議論がなされている。一般的に「ゼネコン」という言葉は好意的に使われないが、まさしくこうした大きなプロジェクトにおいては、馬渕のような人材や言動、そして過去の蓄積が重要であることを痛感する。
***
原発事故の調査委員会は、結局、4つできた。
1)政府
2)国会
3)民間
4)東電
本書は、これらの後の、事故現場のさまざまな収束に向けたプロジェクトにかかわった馬渕の回想録である。
***
現場の証言が、次々と本になった、数は不明、とりあえずわかるものだけでも並べてみる。
官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機
田坂広志
光文社新書
2012年1月
原発危機 官邸からの証言
福山哲郎
ちくま新書
2012年8月
木村英昭
検証 福島原発事故 官邸の100時間
岩波書店
2012年8月
証言 細野豪志 「原発危機500日」の真実に鳥越俊太郎が迫る
講談社
2012年8月
叩かれても言わねばならないこと。
枝野幸男
東洋経済新報社
2012年9月
東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと
菅直人
幻冬舎新書
2012年10月
『海江田ノート』原発との闘争176日の記録
海江田万里
講談社
2012年11月
証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?
班目春樹、岡本孝司
新潮社
2012年11月
エネルギー・原子力大転換
仙谷由人
講談社
2013年1月
こうして、当時「官邸」にかかわった一人ひとりが本を出すことになるのが、原発事故である。
***
これは、ある意味では悪貨乱造の世界のようにも見えるが、そうではない。
原発事故は、誰か一人の視点だけがあっても、まったくすっきりしないものなのである。
そして、これらすべてを読んだとしても、おそらくすっきりしないものなのである。
***
今回とりあげた馬渕は、途中から呼ばれ、統合本部に参加した人物である。
彼の役割は、「放射線遮蔽・放射性物質放出低減」チームの政府側代表であった。
しかしこの「統合」本部は、無理やり東電側と政府側をまとめたので、どうも双方に意識のずれがあり続けたようだ。
東電はとにかく、原子炉を再び使えるようにすることを前提に物事を考えていた。
それゆえ原子炉の状態ばかりが議論され、住民の被爆問題は軽視された。
そして、馬渕がなによりも驚いたのは、東電ら原発事業者たちの思いである。
彼らには「「原発の火を消してはいけない」「原子力こそ自分たちのレゾンデートル(存在理由)だ」という強固な信念」(49ページ)があるようだ。
そしてそういった彼らが「楽観論」に流れやすかったのは、「原子力の技術と歴史が敗北するのが怖かったからではないか」(50ページ)と推測する。
「外部から来た私からすれば、彼らが「修理」にこだわる姿に一種の狂気すら感じた。」(51ページ)
この言葉は、厳しい批判を抑制して表現しているものと思われる。
***
馬渕は、「外部」にこだわる。
自明と思われるようなことでも、「外部」から見れば、「?」となることが多々ある。
全体を通じて馬渕が感じたのは、誰もが原子炉の「内部」の状態にばかり目を奪われて、「外部」である市民のいる周辺区域や遠くても不安におののいている関東で暮らしている人々に意識が向かないことだった。
極論で言えば「外部」にいる人間にとっては、あの建屋から放射能が漏れたり、爆発しなければ、問題はないのである。
しかし「内部」はそうした「結果」を出すのがとても大変であり、あれこれいいわけもしたくなる。
実際、私たちはあまり、あの事故のあと、現場がどのように改善されたか、「内部」の問題については、十分には理解していない。
なんでも、62のパーツをただかみ合わせるだけでうまく接合できるような仕組みを用いて遮蔽カバーで覆ったという。
また、彼らのもとには、毎日、膨大な量の情報や企画がもたらされたが、それは本当に珠玉混交で、そのなかから「本物」を探すのに一苦労したことを明かす。
そのなかでは、大前研一の提言は、耳を傾けたと、さりげなく書いている。
日本復興計画
しかし、一方では内閣官房参与をしていた東京大学で原子力工学を学び後にコンサルタントとなった人物などは、まったく役に立たなかったと非難されている(名は伏せられているが、田坂広志と思われる)。
なかでも馬渕が信頼を寄せたのは、米国のNRC調査団だったという。
原発事故にかぎらず、私たちがわかるのは、ほとんど「結果」や「数値」であるが、彼ら政治家は、さまざまな選択肢やさまざまな意見、人物のなかから「本物」かつ「よいもの」を見つけ出さねばならない。
口で言うほど簡単なものでない。
***
また、興味深いのは、馬渕が、きわめて冷静に東電との距離をとっていたことだ。
次第に統合本部の会議さえも代理にまかせ(つまりあまり場の雰囲気になじまないようにし)、東電の出した弁当も食べず、チームの会議は東電の外で行うなど、非常に注意深く距離をとったという。
こうした関係性の維持はきわめて重要であろう。
***
東電、そして保安院が、地下水の汚染やメルトダウンをなかなか認めなかったこと、これこそ「原子力ムラ」独特の思考回路だ(115ページ)と馬渕は言う。
彼らの言動の特徴を馬渕がシンプルに語っている。以下の三点にまとめられると思う。
1)彼らは、常に数値を追いかけていた
2)数値と矛盾する仮説は受け付けなかった
3)素人が心配するような、本質的な危険性に彼らは対応する意欲がなかった
そして、これは卓見だと思うが、「工学」ではなく「理学」が仇になったと指摘する。
「いくら工学が緻密でも、理学の危うさや脆さまでは意識が向いていなかった。工学への自信が、全体としての問題を見えなくした。」(119ページ)
いずれにせよ「俯瞰的視点」(120ページ)がないのが、原子力ムラの性格のようだ。
***
また、政治家の資質として「マネジメント能力」の重要性を強調する。
「われわれ政治家はその能力が欠如していたのだ。」(141ページ)
***
原発問題については、もちろん、東電や政府や官僚などのこれまでのやり方に大きな問題があったことは否めない。
しかし、だからと言って、マスコミや市民がそれだけを非難していればよいのかというとそうではない。
「どうしても日本人は、国の支配下、庇護下に置かれた無力な社会的弱者を演じたがる。」「今もってなお、私たち日本人は、自らリスクを選び取り、向き合わなければいけないという意識が低い。」(199ページ)
他人事ではなく、一人ひとりが「原子力」と責任をもって向き合うと、どうなるだろうか。
当然、これからのことよりも、これまでのこと、つまり核燃料廃棄物の処理問題に行き着く。
自分たちが使ったものの後始末は、自分たちでする。
馬渕はたとえば県ごとに分担してはどうかと提起する。
これはもっと言えば、一人ひとりがどう対応するか、にまで行き着くと思う。
馬渕は奈良県の例を出している。
関西電力の供給量の5パーセントを奈良県で使っているため、これまでの使用済み核燃料の貯蔵された量は、約3000トンあるため、その5パーセントの150トンを引き受ける、というようにして考える必要がある、としている。
奈良県の人口は140万人であるが、大雑把に150万人としよう。
すると、一人あたり、100グラム分の使用済み核燃料をどうにかしなければならないのである。
100グラムは、決して少ない量ではない。
家族や親戚を含めればあっという間に1キログラムになる。
ああ、気が重い・・・
だが、私たちは、立ち向かわねばならないのだ。
原発と政治のリアリズム
馬淵澄夫
新潮新書
2013年1月
ひとこと感想
原発事故後の対応(特に燃料の冷却、放射性物質の放出の抑止)について、建築系の政治家であるがゆえに、非常に「現実」に即した議論がなされている。一般的に「ゼネコン」という言葉は好意的に使われないが、まさしくこうした大きなプロジェクトにおいては、馬渕のような人材や言動、そして過去の蓄積が重要であることを痛感する。
***
原発事故の調査委員会は、結局、4つできた。
1)政府
2)国会
3)民間
4)東電
本書は、これらの後の、事故現場のさまざまな収束に向けたプロジェクトにかかわった馬渕の回想録である。
***
現場の証言が、次々と本になった、数は不明、とりあえずわかるものだけでも並べてみる。
官邸から見た原発事故の真実 これから始まる真の危機
田坂広志
光文社新書
2012年1月
原発危機 官邸からの証言
福山哲郎
ちくま新書
2012年8月
木村英昭
検証 福島原発事故 官邸の100時間
岩波書店
2012年8月
証言 細野豪志 「原発危機500日」の真実に鳥越俊太郎が迫る
講談社
2012年8月
叩かれても言わねばならないこと。
枝野幸男
東洋経済新報社
2012年9月
東電福島原発事故 総理大臣として考えたこと
菅直人
幻冬舎新書
2012年10月
『海江田ノート』原発との闘争176日の記録
海江田万里
講談社
2012年11月
証言 班目春樹 原子力安全委員会は何を間違えたのか?
班目春樹、岡本孝司
新潮社
2012年11月
エネルギー・原子力大転換
仙谷由人
講談社
2013年1月
こうして、当時「官邸」にかかわった一人ひとりが本を出すことになるのが、原発事故である。
***
これは、ある意味では悪貨乱造の世界のようにも見えるが、そうではない。
原発事故は、誰か一人の視点だけがあっても、まったくすっきりしないものなのである。
そして、これらすべてを読んだとしても、おそらくすっきりしないものなのである。
***
今回とりあげた馬渕は、途中から呼ばれ、統合本部に参加した人物である。
彼の役割は、「放射線遮蔽・放射性物質放出低減」チームの政府側代表であった。
しかしこの「統合」本部は、無理やり東電側と政府側をまとめたので、どうも双方に意識のずれがあり続けたようだ。
東電はとにかく、原子炉を再び使えるようにすることを前提に物事を考えていた。
それゆえ原子炉の状態ばかりが議論され、住民の被爆問題は軽視された。
そして、馬渕がなによりも驚いたのは、東電ら原発事業者たちの思いである。
彼らには「「原発の火を消してはいけない」「原子力こそ自分たちのレゾンデートル(存在理由)だ」という強固な信念」(49ページ)があるようだ。
そしてそういった彼らが「楽観論」に流れやすかったのは、「原子力の技術と歴史が敗北するのが怖かったからではないか」(50ページ)と推測する。
「外部から来た私からすれば、彼らが「修理」にこだわる姿に一種の狂気すら感じた。」(51ページ)
この言葉は、厳しい批判を抑制して表現しているものと思われる。
***
馬渕は、「外部」にこだわる。
自明と思われるようなことでも、「外部」から見れば、「?」となることが多々ある。
全体を通じて馬渕が感じたのは、誰もが原子炉の「内部」の状態にばかり目を奪われて、「外部」である市民のいる周辺区域や遠くても不安におののいている関東で暮らしている人々に意識が向かないことだった。
極論で言えば「外部」にいる人間にとっては、あの建屋から放射能が漏れたり、爆発しなければ、問題はないのである。
しかし「内部」はそうした「結果」を出すのがとても大変であり、あれこれいいわけもしたくなる。
実際、私たちはあまり、あの事故のあと、現場がどのように改善されたか、「内部」の問題については、十分には理解していない。
なんでも、62のパーツをただかみ合わせるだけでうまく接合できるような仕組みを用いて遮蔽カバーで覆ったという。
また、彼らのもとには、毎日、膨大な量の情報や企画がもたらされたが、それは本当に珠玉混交で、そのなかから「本物」を探すのに一苦労したことを明かす。
そのなかでは、大前研一の提言は、耳を傾けたと、さりげなく書いている。
日本復興計画
しかし、一方では内閣官房参与をしていた東京大学で原子力工学を学び後にコンサルタントとなった人物などは、まったく役に立たなかったと非難されている(名は伏せられているが、田坂広志と思われる)。
なかでも馬渕が信頼を寄せたのは、米国のNRC調査団だったという。
原発事故にかぎらず、私たちがわかるのは、ほとんど「結果」や「数値」であるが、彼ら政治家は、さまざまな選択肢やさまざまな意見、人物のなかから「本物」かつ「よいもの」を見つけ出さねばならない。
口で言うほど簡単なものでない。
***
また、興味深いのは、馬渕が、きわめて冷静に東電との距離をとっていたことだ。
次第に統合本部の会議さえも代理にまかせ(つまりあまり場の雰囲気になじまないようにし)、東電の出した弁当も食べず、チームの会議は東電の外で行うなど、非常に注意深く距離をとったという。
こうした関係性の維持はきわめて重要であろう。
***
東電、そして保安院が、地下水の汚染やメルトダウンをなかなか認めなかったこと、これこそ「原子力ムラ」独特の思考回路だ(115ページ)と馬渕は言う。
彼らの言動の特徴を馬渕がシンプルに語っている。以下の三点にまとめられると思う。
1)彼らは、常に数値を追いかけていた
2)数値と矛盾する仮説は受け付けなかった
3)素人が心配するような、本質的な危険性に彼らは対応する意欲がなかった
そして、これは卓見だと思うが、「工学」ではなく「理学」が仇になったと指摘する。
「いくら工学が緻密でも、理学の危うさや脆さまでは意識が向いていなかった。工学への自信が、全体としての問題を見えなくした。」(119ページ)
いずれにせよ「俯瞰的視点」(120ページ)がないのが、原子力ムラの性格のようだ。
***
また、政治家の資質として「マネジメント能力」の重要性を強調する。
「われわれ政治家はその能力が欠如していたのだ。」(141ページ)
***
原発問題については、もちろん、東電や政府や官僚などのこれまでのやり方に大きな問題があったことは否めない。
しかし、だからと言って、マスコミや市民がそれだけを非難していればよいのかというとそうではない。
「どうしても日本人は、国の支配下、庇護下に置かれた無力な社会的弱者を演じたがる。」「今もってなお、私たち日本人は、自らリスクを選び取り、向き合わなければいけないという意識が低い。」(199ページ)
他人事ではなく、一人ひとりが「原子力」と責任をもって向き合うと、どうなるだろうか。
当然、これからのことよりも、これまでのこと、つまり核燃料廃棄物の処理問題に行き着く。
自分たちが使ったものの後始末は、自分たちでする。
馬渕はたとえば県ごとに分担してはどうかと提起する。
これはもっと言えば、一人ひとりがどう対応するか、にまで行き着くと思う。
馬渕は奈良県の例を出している。
関西電力の供給量の5パーセントを奈良県で使っているため、これまでの使用済み核燃料の貯蔵された量は、約3000トンあるため、その5パーセントの150トンを引き受ける、というようにして考える必要がある、としている。
奈良県の人口は140万人であるが、大雑把に150万人としよう。
すると、一人あたり、100グラム分の使用済み核燃料をどうにかしなければならないのである。
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