2013年1月4日、東京新聞(や中日新聞)に掲載された年初の社説「原子力の時代を超えて 年のはじめに考える」に、「ハイデガー」の名前ともにこの「放下」の一節が使用されている。

「ドイツの哲学者故マルティン・ハイデッガーは「原子力の時代」に懐疑的でした。一世を風靡(ふうび)した「存在と時間」の著者が、です。」

これは、間違えてはいないが、後半とのつながりがよく分からない。「存在と時間」が一世を風靡したのは事実だとしても、その著者が「原子力の時代に懐疑的」であることに驚かねばならない理由がない。

文章は続く。

「 一九五五年、南ドイツの小さな町での講演で「いったい誰が、どこの国が、こういう原子力時代の歴史的進展にブレーキをかけ、それを制御しうるというので しょうか。われわれ原子力時代の人間は技術の圧力の前に策もなく、投げ出されているようです」と、核の脅威を語っています。」

これを「核の脅威を語っている」と理解するのには、飛躍がありすぎる。

ハイデガーは、「技術」のもつ「力」がいかんともしがたく私たちの日常をつくりあげている、無力である、とあきらめたように述べているのであって、「脅威」を語っているのではない。

重要なのは、次の引用である。

「われわれの故郷は失われ、生存の基盤はその足もとから崩れ去ってしまったのです」

以下で述べるように、ハイデガーがここで言う「故郷」は、私たちの思う「ふるさと」ではない。

現実には存在しない「思索の国」であり、想起されているのは「古代ギリシアの時代」である。

この一節をもってきて、ハイデガーが原子力の脅威が「ふくしま」という「ふるさと」を喪失させた、と理解するのは、まったくの「思い込み」である。

ハイデガーの表現は、こうして人をその気にさせるような言い回しが多いが、これはレトリックにすぎず、ハイデガーの「思い」はまったくそうした「ふるさとの喪失」を嘆くようなものではない。

とはいえ、これは、社説の主張そのものを非難しているわけではない。

ただ、ハイデガーの文章を使ったのは、ちょっといただけないな、と思った次第である。

(先ほど確認したら、当時読めたウェブでのページがなくなっていた。1カ月分しか公開されていないようだ。全文は、検索すれば、きっとどこかで読めるだろう。)

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『講座現代倫理』第7巻が、1958年、筑摩書房から刊行されている。この巻のテーマは「現代的状況における人間」である。

病める現代人(林達夫)、組織のなかの人間(永井陽之助)、テクノロジーと人間(星野芳郎)、戦争と人間性の崩壊(日高六郎)、人間回復の条件としての変革(野間宏)、大衆社会と小集団(南博)、実存主義的人間(大島康正)、転換期における人間理性(埴谷雄高)、原子時代における人間の土着性(マルティン・ハイデッガー)が主な論考で、その他、「現代世相と人間」として、マス・コミ(荒瀬豊)他11篇、さらに、「共同討議」として、大衆運動のモラル(日高六郎等)、「人と作品-新しい視点」として、ガンディー(荒松雄)他5篇が収められている。

異色なのは、ハイデガーである。唯一翻訳として含まれている。しかもタイトルがすごい。

「原子時代における人間の土着性」

もともとこの論考は、1955年10月30日に、ハイデガーが生まれたメスキルヒで行われた講演での原稿であった、と訳者の辻村公一は「訳者後記」に書いている。

つまり、まだ、ドイツでも刊行されていない時期に、邦訳が公刊された。

しかも、翻訳にあたってはハイデガー自身に「懇切な教示」(38ページ)を得ているようである。

ところでこのタイトルであるが、原稿そのものには付せられていなかったというのだから、訳者か編者(唐木順三ら)か編集者か、誰かが便宜上付けたということなのであろう。

ある意味、端的かもしれないし、予言的かもしれないし、いい加減なのかもしれない(タイトルはハイデガーの「教示」を得たのであろうか?)。


この論考は、その後、ドイツでも1959年に刊行される。その際、「放下」(ゲラッセンハイト)とタイトルがつき、併せて、「放下の所在究明に向って――思惟についての野の道のある対話より」という対話が付された。

*注 本書は旧かな、旧字体を用いているが、ここでは、平易にあらためている。

また、翻訳も、あらためて1963年12月に「ハイデッガー選集15 放下」として、理想社より刊行された。その際に、訳文と訳注の修正がなされた。

なお、こうした経緯において、訳者は、元の講演原稿と書籍とのあいだの異同をチェックしており、削除された部分の指摘がある。

書籍で削られた箇所は、わずか数か所であるが、そのなかで、以下の文章だけは、一文まるごと削除されている。

「私がお話申し上げようと思いますのは、次のような問いであります。すなわち、原子時代の人間に果てしてなお何らかの土着性が授けられるであろうか。」(5ページ)

逆にこの一文が、本論考の主たる内容であろうと思われる。

書物として刊行するにあたって、自ら要約することを拒んだのであるかのようである。


ところでこの講演から14年後の1969年9月、ハンナ・アレントは、ハイデガー80歳の誕生日を祝して、彼の仕事を振り返るという「仕事」を行っている。

それは9月25日にニューヨークで録音され、ラジオ放送された。のちに『暗い時代の人びと』(ドイツ語版)に再録される(また、『アーレント=ハイデガー往復書簡』に原稿の翻訳が掲載されている)。

ここでアレントは、ハイデガーのナチ加担について、「放下」を、「意志」との関係から、説明している。

「意志への意志としての、それとともに力への意志としての、意志の発見」(156ページ)

「思索には、「放下」が必要であって、意志の観点から見れば、思索する者は、「私は意志しないことを意志する」と言わなくてはならないことになります――このことばが逆説的なのは見かけだけにすぎません。なぜなら「これによってのみ」、つまり「意志する習慣をやめる」ときにのみ、「われわれは…探しもとめている思索の本質、意志にあらざる思索の本質に、身を投ずる」ことができるからです。」(157ページ)

ハンナはハイデガーを完全に擁護している。

ユダヤ人であるこの政治哲学者が、「思索の国の王」に対しては、まったく甘い評価をするのは、彼女が心底マルティンのことを敬慕しているからであるが、はたしてこの「放下」に対する彼女のとらえ方は、何を物語っているだろうか。

「現実」の力に屈しようとも、「思索」は「思索」として、意味があり、むしろ「意志」を放棄した「意志」をもつ「思索」こそが、純然たる「思索」にほかならない、そう言っているように私には読める。

しかし、私はむしろ、あれだけの思索をしようとも、「現実」の力には屈してしまうのであれば、一体「思索」とは何であるのか、と問いたくなる。

いや、アレントの言いたいことは分からないではない。ハイデガーの主張も、軽んじたいわけではない。

しかし、それは、政治哲学者としては失格の一言ではないか。私たちの生存はそのすべてが政治である。もちろん、作品と作者は切り離してもよい。作品のすばらしさを語る、思索のすばらしさを語るアレントの気持ちはよく分かる。

しかし、哲学とは、生き方の問題と不可分であり、思索だけで完結してよいとは、私には思えない。

ハイデガーは、思索の人であるとともに、哲学の人なのではないのか。

ハイデガーは、俗世間を相手にしないという選択を選んだのだ、という擁護は、肯定できない。

それは、やはり、私には、卑怯なふるまいにみえる。

ハイデガーやアレントは、「王国」が「この世」と別に存在していると考えたがっている。

その王国は、また、「故郷」とも呼ばれているが、そこは、「故郷」ではない。

私たちの「故郷」は、彼らの「故郷」と、どれほど違うものだろうか。

彼らの故郷とは「思索の王国」なのだ。

それは、言わば、プラトニズムの極致であり、現実の世界とは切り離されて成立することを許された、場所。

そんな場所、私たちには、ない、というのに。


読んだ本
ハイデッガー選集15 放下
辻村公一訳
理想社
1972年

ハイデッガー選集〈第15-16〉 (1963年)
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放下・瞬間・場所―シェリングとハイデッガー (1980年)/大橋 良介
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