*以下は、勝手な創作です。問題提起として読んでいただければ幸いです。
プ ねえ、ソクラテス。ちょっと話をしてもいいかい。
ソ おおプラトンくんか。もちろん、いいとも。しかし君は、いつもぼくの対話をまとめてくれているが、きみ自身が登場してくるなんて、ずいぶんと珍しいことだね。
プ そりゃそうですよ。だってこの対話は、私が書き残したものではなく、勝手に後世の人が創作したものですから。今から2500年くらいあとの時代で、ニホンとかいう国の人が、なんでも、著作権法が改正されることについて考えていたら、ふと私たちのことを思い出したということで、私たちが呼び出されたようです。
ソ ほほう。ぼくたちは、人気者なのだね。
プ 最近日本という国では、インターネットというものが流行しているそうです。インターネットというのは、目に見えない波の力で音や文字や、さらにはたとえばこうした私たちの対話のさまを記録して、それを別の時間に別の場所でも見ることができるそうです。
ソ ぼくらの時代にはないことだらけで面食らうね。しかしせっかくぼくらを使って何かを言いたいようだから、そのへんの時代考証は大目にみて、ニホンで使っている言葉、たとえば、動画とか、ダウンロードとか、そういったことについては、ぼくらも知っているという前提で話を進めようよ。だから、本題に入ってもかまわないよ。
プ それは有難い。あなたがそんな気遣いをされるなんて、思ってもみませんでした。
ソ つまり、あれだね。2012年10月1日に日本では、改正された著作権法が施行されるけれど、人々がいろいろと不安に思っているということだね。
プ その通りです、ソクラテス。
ソ だが、わたしが知っているところはそれほど多くないし、いつもの流儀で、人に語らせてあげ足をとるほうが性に合っている。プラトンくん、ちょっと説明してもらえないかな。
プ ええ、もちろんですとも、ソクラテス。簡単に言ってしまえば、今回の改正は、楽曲や映像などを商品として販売している人たちが、自分たちの利益を損なう行為をやめさせることが目的です。これまでもDVDというパッケージで販売していた楽曲や映像作品の複製を勝手につくって売り、もうけていた人たちは罰せられました。また、複製をつくるためには特殊な装置を解除させなければなりませんが、こうした解除する仕組みをつくったり、その仕組みを人に提供することも、罰せられました。
ソ それは、リッピングとかいうやつだね。最近では略して「リップ」とか言っているようだが、なかなかおもしろい話じゃないか。
プ そうです、ソクラテス。これは「イデア論」と私が呼んでいる問題です。そして、それはつまり、あなたが2500年前に執拗に議論していたことです。この議論が、今もまだ続いているのです。
ソ あの頃のぼくらは、単純に、自分の心に描いている像と、実像とのあいだの関係だけを問えばよかった。しかし今は、かなり複雑だね。だって、ぼくらの議論は、「実像」から複製されたものが出発点だったけれども、歌や劇を記録したDVDとやら、そして、インターネットで誰もが視聴できるようになっているものにしても、それらは、すでに「実像」ではない。
プ 私たちの時代には、せいぜい、自分の記憶や、文字に書き残した書き物、それくらいしか「複製」というものが存在しなかったのに、平成の日本では、複製だらけなのです。
ソ それで、問題はどこにあると思うかね。
プ ちょっと書いている人間の時間があまりないようなので、この先、大雑把になってしまいますが、おゆるしください、ソクラテス。世間では、この違法ダウンロードについて、大騒ぎしているわけです。たとえば、YouTubeとかニコニコ動画という「広場」(アゴラ)があって、そこにはたくさんの人が自由に出入りしています。ある人は自分で作った音楽や芝居や記録を公開しています。ある人は、そうしたもの、これをこの時代では「コンテンツ」と言いますが、コンテンツを視聴しています。しかし、なかには、人が商売のために作ったコンテンツを無断で公開する人もいます。これもはっきりと違法とされています。しかし、これまでは、視聴している人たちにはあまり関係のない話だと思われたのが、今回の改正では、視聴は問題ないが、そうした商売のために作られたコンテンツを「ダウンロード」することを違法、と言い出したのです。
ソ ははは、悪法も法なり、と言ったのはぼくだが、要するにこれまでは大目にみていたが、厳しく取り締まるという意思表示がなされたということだね。
プ そのとおりです、ソクラテス。それで問題なのは、インターネットとやらにある映画や音楽が、商売目的で公開されているのかどうか、視聴する側に分かるかどうか、ということなのです。
ソ たとえば、この文章は君が書いたものではないことは、誰にでも明らかだ。しかし、ぼくらは、ぼくらが許しているわけでもないのに、こうして対話を行っている。コピーとは、こういうようなことがある。
プ 私としては当時、イデアというおおもとがあり、それを実際にこの世にあるものは複製化されて存在していると考えたのです。後世でもよく例にとりあげられたように、手書きでかいた三角形はこの世に無数にありますが、それらを「三角形」として理解できるのは、私たちが「三角形」というものがどういうものかを知っているという前提が必要です。こうした「三角形」のイデアは、多くの人が共有しているものです。このようなイデア論の延長線で、この違法ダウンロードの問題をあなたと議論したいのです。
ソ イデア論、それはきみの説だね。ぼくは思うに、そんなめんどうな話ではなく、いやいや現実をこえた超越的な何かがまったくないと言いたいわけじゃなくて、こういう話にイデア論とかは不要ではないだろうか。ごくごく単純に考えてみたまえ、プラトン。要するに、お金儲けをしたい人たちの邪魔を、不当にしてはいけないということではないのかね。
プ 相変わらず、元も子もないですね、ソクラテス。しかし、その通りです。もう少しやさしく言えば、著作権者の権利を正当に守るための策ということです。
ソ 今までは、DVDとやらの複製の勝手な販売やその複製を可能にする装置をつくったりばらまいたりする人を取り締まるだけだったのが、それだけでは改善されず、次の段階として、インターネットの違法公開とその手段に対する制限をかけた。そして今回は、第三弾として、エンド・ユーザーと呼ばれる受け手に対しても厳しく監視の目を光らせる、と言っているのであろう。
プ そうです、ソクラテス。今回の改正の重要な点は、インターネット上に公開されているものは、視聴は問題ないが、その「複製物」を所有してはならない、と言っていることです。
ソ それは、劇場で映画を見るのはいいが、それを撮影して持ち帰ってはいけない、ということと同じになるだろうか。
プ 若干違います。私たちの時代とは違って、日本では「デジタル」なコンテンツが中心なのです。「デジタル」は複製しても元の「オリジナル」とまったく変わらないのです。
ソ では、きみが言っていた「イデア」と「実像」との違いは、デジタルのなかでは、ないということになるね。
プ そうです。だから著作権者たちは困っているのです。「オリジナル」の意思とは無関係に「複製=オリジナル」があちこちに存在することになります。
ソ しかし、それはデジタルとかインターネットとか、そういうものが社会の中心にある場合、避けられない事態であるように思うが、プラトンくん、どうだろうか。
プ そうかもしれません。実際、こうした私たちの議論をふまえて、のちに、ボードリヤールという人とドゥルーズという人は、もう、オリジナルとコピーの話ではなくなって、シミュラークルの時代だ、とか、始点も終点もないリゾームなどと、説明をしています。
ソ そうだったね、プラトン。もう ぼくらの出番ではないのかもしれないね。デジタルやインターネットとやらが暮らしの中心にあるというのは、ぼくらにはまったく想像できなかったからね。
プ 話を戻しますが、今回の改正で厄介なのは、自分でお金を出して所有したDVDなども、「リップ」してはいけない、ということなのです。それがたとえ私的利用であっても、複製を禁止する装置を解除することを許さなくしてしまったのです。はたしてこれは、法として適切でしょうか。だって、人に迷惑をかけないかぎりは何をしてもかまわない、というのが、確かミルとかいう人がまとめた、「近代」における個人の「自由」の定義です。これをふみこえると、すでに「法」や「自由」の整合性が失われてきているように見えます。
ソ だとしたら、ここでの問題は、二つに尽きる。一つは、・・・
プ ああ、時間切れですね、ソクラテス。本当はもう少し議論したいところですが、ここで一度終わりにしましょう。
ソ そうだ、最後に、なぜここで違法ダウンロードの話が出てきたかということだが、下記の本をぜひ、読んでみてほしいものだ。ねえ、プラトンくん。
プ ねえ、ソクラテス。ちょっと話をしてもいいかい。
ソ おおプラトンくんか。もちろん、いいとも。しかし君は、いつもぼくの対話をまとめてくれているが、きみ自身が登場してくるなんて、ずいぶんと珍しいことだね。
プ そりゃそうですよ。だってこの対話は、私が書き残したものではなく、勝手に後世の人が創作したものですから。今から2500年くらいあとの時代で、ニホンとかいう国の人が、なんでも、著作権法が改正されることについて考えていたら、ふと私たちのことを思い出したということで、私たちが呼び出されたようです。
ソ ほほう。ぼくたちは、人気者なのだね。
プ 最近日本という国では、インターネットというものが流行しているそうです。インターネットというのは、目に見えない波の力で音や文字や、さらにはたとえばこうした私たちの対話のさまを記録して、それを別の時間に別の場所でも見ることができるそうです。
ソ ぼくらの時代にはないことだらけで面食らうね。しかしせっかくぼくらを使って何かを言いたいようだから、そのへんの時代考証は大目にみて、ニホンで使っている言葉、たとえば、動画とか、ダウンロードとか、そういったことについては、ぼくらも知っているという前提で話を進めようよ。だから、本題に入ってもかまわないよ。
プ それは有難い。あなたがそんな気遣いをされるなんて、思ってもみませんでした。
ソ つまり、あれだね。2012年10月1日に日本では、改正された著作権法が施行されるけれど、人々がいろいろと不安に思っているということだね。
プ その通りです、ソクラテス。
ソ だが、わたしが知っているところはそれほど多くないし、いつもの流儀で、人に語らせてあげ足をとるほうが性に合っている。プラトンくん、ちょっと説明してもらえないかな。
プ ええ、もちろんですとも、ソクラテス。簡単に言ってしまえば、今回の改正は、楽曲や映像などを商品として販売している人たちが、自分たちの利益を損なう行為をやめさせることが目的です。これまでもDVDというパッケージで販売していた楽曲や映像作品の複製を勝手につくって売り、もうけていた人たちは罰せられました。また、複製をつくるためには特殊な装置を解除させなければなりませんが、こうした解除する仕組みをつくったり、その仕組みを人に提供することも、罰せられました。
ソ それは、リッピングとかいうやつだね。最近では略して「リップ」とか言っているようだが、なかなかおもしろい話じゃないか。
プ そうです、ソクラテス。これは「イデア論」と私が呼んでいる問題です。そして、それはつまり、あなたが2500年前に執拗に議論していたことです。この議論が、今もまだ続いているのです。
ソ あの頃のぼくらは、単純に、自分の心に描いている像と、実像とのあいだの関係だけを問えばよかった。しかし今は、かなり複雑だね。だって、ぼくらの議論は、「実像」から複製されたものが出発点だったけれども、歌や劇を記録したDVDとやら、そして、インターネットで誰もが視聴できるようになっているものにしても、それらは、すでに「実像」ではない。
プ 私たちの時代には、せいぜい、自分の記憶や、文字に書き残した書き物、それくらいしか「複製」というものが存在しなかったのに、平成の日本では、複製だらけなのです。
ソ それで、問題はどこにあると思うかね。
プ ちょっと書いている人間の時間があまりないようなので、この先、大雑把になってしまいますが、おゆるしください、ソクラテス。世間では、この違法ダウンロードについて、大騒ぎしているわけです。たとえば、YouTubeとかニコニコ動画という「広場」(アゴラ)があって、そこにはたくさんの人が自由に出入りしています。ある人は自分で作った音楽や芝居や記録を公開しています。ある人は、そうしたもの、これをこの時代では「コンテンツ」と言いますが、コンテンツを視聴しています。しかし、なかには、人が商売のために作ったコンテンツを無断で公開する人もいます。これもはっきりと違法とされています。しかし、これまでは、視聴している人たちにはあまり関係のない話だと思われたのが、今回の改正では、視聴は問題ないが、そうした商売のために作られたコンテンツを「ダウンロード」することを違法、と言い出したのです。
ソ ははは、悪法も法なり、と言ったのはぼくだが、要するにこれまでは大目にみていたが、厳しく取り締まるという意思表示がなされたということだね。
プ そのとおりです、ソクラテス。それで問題なのは、インターネットとやらにある映画や音楽が、商売目的で公開されているのかどうか、視聴する側に分かるかどうか、ということなのです。
ソ たとえば、この文章は君が書いたものではないことは、誰にでも明らかだ。しかし、ぼくらは、ぼくらが許しているわけでもないのに、こうして対話を行っている。コピーとは、こういうようなことがある。
プ 私としては当時、イデアというおおもとがあり、それを実際にこの世にあるものは複製化されて存在していると考えたのです。後世でもよく例にとりあげられたように、手書きでかいた三角形はこの世に無数にありますが、それらを「三角形」として理解できるのは、私たちが「三角形」というものがどういうものかを知っているという前提が必要です。こうした「三角形」のイデアは、多くの人が共有しているものです。このようなイデア論の延長線で、この違法ダウンロードの問題をあなたと議論したいのです。
ソ イデア論、それはきみの説だね。ぼくは思うに、そんなめんどうな話ではなく、いやいや現実をこえた超越的な何かがまったくないと言いたいわけじゃなくて、こういう話にイデア論とかは不要ではないだろうか。ごくごく単純に考えてみたまえ、プラトン。要するに、お金儲けをしたい人たちの邪魔を、不当にしてはいけないということではないのかね。
プ 相変わらず、元も子もないですね、ソクラテス。しかし、その通りです。もう少しやさしく言えば、著作権者の権利を正当に守るための策ということです。
ソ 今までは、DVDとやらの複製の勝手な販売やその複製を可能にする装置をつくったりばらまいたりする人を取り締まるだけだったのが、それだけでは改善されず、次の段階として、インターネットの違法公開とその手段に対する制限をかけた。そして今回は、第三弾として、エンド・ユーザーと呼ばれる受け手に対しても厳しく監視の目を光らせる、と言っているのであろう。
プ そうです、ソクラテス。今回の改正の重要な点は、インターネット上に公開されているものは、視聴は問題ないが、その「複製物」を所有してはならない、と言っていることです。
ソ それは、劇場で映画を見るのはいいが、それを撮影して持ち帰ってはいけない、ということと同じになるだろうか。
プ 若干違います。私たちの時代とは違って、日本では「デジタル」なコンテンツが中心なのです。「デジタル」は複製しても元の「オリジナル」とまったく変わらないのです。
ソ では、きみが言っていた「イデア」と「実像」との違いは、デジタルのなかでは、ないということになるね。
プ そうです。だから著作権者たちは困っているのです。「オリジナル」の意思とは無関係に「複製=オリジナル」があちこちに存在することになります。
ソ しかし、それはデジタルとかインターネットとか、そういうものが社会の中心にある場合、避けられない事態であるように思うが、プラトンくん、どうだろうか。
プ そうかもしれません。実際、こうした私たちの議論をふまえて、のちに、ボードリヤールという人とドゥルーズという人は、もう、オリジナルとコピーの話ではなくなって、シミュラークルの時代だ、とか、始点も終点もないリゾームなどと、説明をしています。
ソ そうだったね、プラトン。もう ぼくらの出番ではないのかもしれないね。デジタルやインターネットとやらが暮らしの中心にあるというのは、ぼくらにはまったく想像できなかったからね。
プ 話を戻しますが、今回の改正で厄介なのは、自分でお金を出して所有したDVDなども、「リップ」してはいけない、ということなのです。それがたとえ私的利用であっても、複製を禁止する装置を解除することを許さなくしてしまったのです。はたしてこれは、法として適切でしょうか。だって、人に迷惑をかけないかぎりは何をしてもかまわない、というのが、確かミルとかいう人がまとめた、「近代」における個人の「自由」の定義です。これをふみこえると、すでに「法」や「自由」の整合性が失われてきているように見えます。
ソ だとしたら、ここでの問題は、二つに尽きる。一つは、・・・
プ ああ、時間切れですね、ソクラテス。本当はもう少し議論したいところですが、ここで一度終わりにしましょう。
ソ そうだ、最後に、なぜここで違法ダウンロードの話が出てきたかということだが、下記の本をぜひ、読んでみてほしいものだ。ねえ、プラトンくん。
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瀧本 しかし今回のこの「法」からのメッセージは、むしろ、大容量データのダウンロードによるトラフィック負荷の回避とも考えられると思いますよ、ソクラテス、プラトン。