ひとこと感想
吉見俊哉の「夢の原子力」を読んでいる。今日は、第III章までやってきた。ようやく、全体像がみえた。。。

これまで、論点が1950年代前後に集中していたため、今一つ作者の言いたいことを理解しきれずにいたようだ。第III章、もしくは終章を読んで、ずいぶんとすっきりした。

序章で言われていた「日本の諸地域、諸階層、諸世代、異なるジェンダーの人々からみたときに、いかなる夢、すなわち「アトムズ・フォー・ドリーム」として経験されたのか」(39ページ)というのは、正直、「本書の問い」とは違う、と思う。出版社側の宣伝文句にすぎない、と思った方がよい(もちろん吉見もそれにのったわけだが)。

確かに、第II章においては、このことがある程度意識されているが、結論においては、そうした「経験」の多様性は捨象されて、一つの抽象的なイメージに焦点が当てられている。

序章で宣言した「問い」が十分に問われなかったことは問題が残るが、それ以上に、こうした抽象化は、とても興味深い。

大雑把な構図を描けば、こうなるであろう(以下、吉見の文章にあまり沿わず、思うがままに書いて見る)。

まず、本書は、「原子力」というものの「マス・イメージ」を明快に描き出した(その多様性は最終的には止揚された)。

方法論としては、さまざまなメディア(=多様な声、語り)、すなわち、新聞、映画、博覧会、音楽、アンケート調査の結果、ポスター、その他において、どういった描かれ方をしていたのかを分析するものであった。

1945年に、原子力は、明らかに、「軍事利用としての原子力」として、位置づけられた。しかしそれをその後米国は、「平和利用としての原子力」をさまざまなかたちで宣伝することによって、その「恐怖」のイメージを「夢」に転換させていった。

その「夢」の代表が、原発だった。

 原爆=恐怖 ←→ 原発=夢

という対立図式を作動させて、原子力を「夢」として展開したのが、とりわけ1950年代の「アトムズ・フォー・ドリーム」PRだった。

本来、原子力とは、恐怖と夢という二面性が緊張関係をもって併存していなければならなかった。少なくとも科学者はそうあり続けてほしかった(今の科学者は、夢だけを語るか恐怖だけを語るか、いずれかに完全に分裂してしまっている)。

にもかかわらず、私たちは、ひたすら原子力の夢だけを膨らませ、どんどん膨張させた。

そして同時に、原子力の恐怖の方は、どんどんと収縮させてゆき、ほとんどないものとして扱っていった(もちろんなくなるわけではない)。

はじめは「恐怖」の象徴として「ゴジラ」なども描かれるが、またたくまに風化する。

他方で、「夢」の象徴としての「アトム」は、鉄腕アトムのみならず、音楽や映画、博覧会などを通じて、そのバリエーションが、次々に産出されていった(末尾にリスト化しておいた)。

こういったメディア操作を行ったのは、まぎれもなく、おおもとは米国である。


と、ここまでは、ある程度、誰もが描いている構図だと思われる。

しかし、吉見は、もう一歩先へ進む。


1970年以降、これまでの、こうした文化的な「体制」に変化が生じる。吉見はその象徴を「宇宙戦艦ヤマト」(1974年~)にみる。

1970年代前半まで 


  原爆=恐怖 ←→ 原発=夢
   (収縮)        (膨張) ←米国の力

だったのが、「夢」さえも、消えてしまったのである(膨張しすぎて、弾けたと言った方が説明としては分かりやすいかもしれない)。

もちろんこの間にも、多数の「ヒロシマ」「ナガサキ」を描く小説、映画、マンガ、評論はあったし、原水爆禁止運動もあった。しかし、それらの力を飲み込むほど、夢としての原子力の表象の力は強かったのである。

そしれこれが、1970年代後半以降には、

  原爆=恐怖 ←→ 原発=夢
   (内面化)      (空洞化) 

と変化してゆく。それはまるで両者が綱引きをしているようである。夢が空洞化すると、恐怖も表出のしようがなく、内側にこもってしまう。

米国からの圧力的な形での「原発=夢」は、日常の風景と化し、原発は、各地に建設された。実際に日々の電気を使い続けている私たちには、原発は、不可視でもあるがゆえに、「夢」として描くものでさえなくなった、と言えるだろう。「あたりまえ」化した。

原発は現実にあり作動しているにもかかわらず、「虚構」化していった。

私たちは、原発が必ずしも「夢」ではないことに、うすうす気づいていたのであろう。それでも夢を見続けねばならない以上、原発に対しては「安全」だと言い続けて行かねばならない。しかし、本当は違うのではないか、という恐怖心が、外化されることを抑圧され、つまり、社会表象としての直接性を奪われて、内側において葛藤することになる。

もちろん、スリーマイル(1979年)やチェルノブイリ(1986年)の事故などもあったが、その恐怖は、直接的には作用せず、過去の「被爆」の記憶とともに外化することなく、より一層内面化していった。

この感覚を表象する代表的作品が、1982年に書かれはじめた「AKIRA」であり「ナウシカ」である。

AKIRAは、まさしくこの空洞化した社会のなかで、個人の内面から破裂をし、爆破する。つまり、原発も原爆も、社会的表象ではなく、自己そのもののありようとしてとらえられたということであり、しかも、その自己は、この制御し難いものを抱え込み切れずに自滅してしまうのだ。

「ナウシカ」は、こうした「AKIRA」の物語の、あとの歴史を現在の地点で反省的に読み換えたもの、とみなすことが可能だ。

崩壊した社会、崩壊した自己を再び「充実した身体」(byドゥルーズ)へと組み換えるうえで、既存の倫理や正義などを寄せ集めてかろうじて、自らの力で、この汚れた世界で「生きる」ことを選択し、血を流しながら戦い、この二項対立に縛られた社会を「解放」しようとしたのであろう。


そして、1995年。ちょうど戦後50年。

二つの悲劇が起こる。

阪神・淡路大震災、そして、オウム真理教による地下鉄サリン事件である。

前者は自然災害であったが同時に、戦後の都市計画の脆弱性の露呈でもあった(実際に私の友人は近くの風呂屋の煙突の倒壊によって斃れた)。また、対応にままならない政治経済の脆弱性までもがくっきりと表れてしまった。

後者は、これらの脆弱性につけこんだ犯罪であった。こうして、私たちの社会が、とんでもなく空洞化たことに気づかされたのだった。

このあとに代表されるのは、「エヴァ」である。「エヴァ」こそ、完全にこうした「社会」なるものを一切描かず、ただただ個人の内面にこれまでの過去の「罪」をつきつけた作品の代表である。

言ってみれば、私たちの戦後とは、原子力の力によって外部の力で開始され、その恐怖を夢に転換し、原子力の力によってなんとかやってきたつもりだったが、もうもたなくなった、ということであろう。

それは、「社会」だけでなく、「個人」も、崩壊させた。

こうしたことは、もうしばらく前より、私たちは、気づいていたのであろう。しかし、本当の意味で、それが「現実」であることを身を持って知ったのは、やはり、3.11以降である。

3.11は、確かに、その意味で、近代社会、というものを、吹き飛ばしてしまった。そして同時に、「戦後」というものが、何も終わっていないどころか、まだ、何もはじまっていなかった、ということをあらわにしたのでは、ないだろうか。

つまり、私たちは今、本当の意味で、夢から、醒めてしまったのだ。。。

映画マトリクスの(そして、ボードリヤールの)有名なセリフがこだまする。

「現実の砂漠へようこそ」


・・・と書いてみて、これが、吉見の言いたかったことかどうかも、若干あやしくなってしまった。正確には吉見の書いたものに触発されて、リライトされた「夢の原子力論」である。

正確な内容を知りたい方は是非元の本をお読みください。

なお、気づいて見たら、大澤真幸が、「夢より深い覚醒へ」という本を出していることを、今知った。

もしかすると、本書で描かれているような「原子力の夢」から醒めたとところから、本当の「戦後」がはじまる、と、大澤も言いたいのではないか、と予感する。近いうちに読んでみたい。


読んだ本
夢の原子力――Atoms for Dream
吉見俊哉
ちくま新書
2012年8月

目次
序章 放射能の雨 アメリカの傘
第I章 電力という夢――革命と資本のあいだ
第II章 原爆から原子力博へ
第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来
終章 原子力という冷戦の夢



【音楽】
1946年 アトミック・カクテル スリム・ゲイラード
1946年 アトミック・パワー The Buchanan Brother
1946年 原爆ブルース
1946年 原爆が落ちたとき
1947年 アトムと悪魔
1947年 ビキニ
1948年 原爆ベイビー(Atom Bomb Baby) デュード・マーティン
1950年 アトミック・ベイビー エイモス・ミルバーン
1950年 アトミック・テレホン
1951年 奴らが原爆を落とすとき ジャッキー・ドール
1952年 偉大なる原子力
1952年 水爆ロック
1952年 原爆の歌
1953年 アトミック・ベイビー
1953年 アトミック・ラブ
1953年 アトミック説教
1954年 水爆
1955年 ウラニウム・フィーバー エルトン・ブリット
1955年 ウラニウム・ブルース
1956年 B爆弾ベイビー
1957年 原爆ベイビー ファイブ・スターズ
1957年 Fujiyama Mama  Wanda Jackson
1958年 フジヤマ・ママ 雪村いづみ
1958年 ウラニウム・ロック
1959年 ロックンロール・アトム
1960年 放射能ママ シェルダン・オールマン
1961年 キノコ雲
(1978年 フジヤマ・ママ 細野晴臣(アルバム「はらいそ」収録))

【映画】
1951年 遊星よりの物体X
1951年 地球の静止する日 ロバート・ワイズ:監督
1953年 原子怪獣現わる(The Beast from 2000 Fathoms) レイ・ハウゼン:監督
1954年 放射能X(Them) 
1954年 ゴジラ 本多猪四郎:監督
1955年 ゴジラの逆襲 本多猪四郎:監督
1956年 空の大怪獣ラドン 本多猪四郎:監督
1957年 地球防衛軍 本多猪四郎:監督
1957年 戦慄!プルトニウム人間(The Amazing Colossal Man) バート・I・ゴードン:監督
1958年 大怪獣バラン 本多猪四郎:監督
1958円 美女と液体人間 本多猪四郎:監督
1959年 水爆と深海の怪物(It came from beneath the Sea)
1959年 宇宙大戦争 本多猪四郎:監督
1959年 渚にて スタンリー・クレーマー:監督
1959年 二十四時間の情事 アラン・レネ:監督
1961年 モスラ 本多猪四郎:監督
1962年 キングコング対ゴジラ 本多猪四郎:監督
1963年 マタンゴ 本多猪四郎:監督
1964年 モスラ対ゴジラ 本多猪四郎:監督
1965年 フランケンシュタイン対地底怪獣(バラゴン) 本多猪四郎:監督

1949年 東京アトミックショウ 日劇小劇場
1951年 アトミックガールズ結成 松竹系

1963年 アストロボーイとして鉄腕アトムが米NBCで放映

1947年 アトミックのおぼん 雑誌連載開始
1961年 アトミックのおぼん 東宝映画 水谷良恵:主演
1964年 アトミックのおぼん テレビドラマ 越路吹雪:主演 日本テレビ

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