読んだ本
夢の原子力――Atoms for Dream
吉見俊哉
ちくま新書
2012年8月
ひとこと感想
「原子力」をテーマに、カルチュラルスタディーズ(戦後政治文化史)を展開。類書が多いなかで際立った特徴は、米国メディアでとりあげられた「アトム」のあり方に焦点をあてている点、原爆以前の電気の表象を集めている点、原子力博を詳細に追いかけている点。
目次
序章 放射能の雨 アメリカの傘
第I章 電力という夢――革命と資本のあいだ
第II章 原爆から原子力博へ
第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来
終章 原子力という冷戦の夢
よく知られているように、米国は、世界で最初に原爆を製造し、実際に2発、東アジアの島国にある地方都市に投下し、その威力を試した。
1945年8月のことだった。
戦闘員であるなしといった区別を一切問わずに、二つの地方都市を壊滅させた。
このことは、世界史的にみて、大変大きな出来事であることは疑いない。
1930年代から1940年代においてヒトラー率いるナチによって行われたユダヤ人に対する行いに匹敵する(いや、いずれも比較できるものではないが)出来事である。
そう、私たちは、原爆によって、これまでにない殺戮の姿を垣間見た。
それゆえ、その後、長きにわたって、原爆に対する厳しい態度をとり続けてきた。
しかし同時に、私たちは同じ「原子力」でありながら、原子力発電所に対しては、積極的に受け入れ、それを「糧」として「戦後」を歩んできた。
もっと分かりやすいスローガンは、「原子力の平和利用 Atoms for Peace」である。
原子力の軍事利用の結果、敗戦となった国に、こうした言葉を投げかけるのは、どう考えても、戦略であって、「やさしさ」や「気づかい」であるはずがないのは確かである。
さまざまな思惑があったことが、判明している。
しかし、それでも、私たちは、この提案を拒絶はしなかった。むしろ、積極的に受け入れた。吉見も書いているように、米国からのこうした「圧力」がなかったとしても、科学者たちやその他の人びとは、1945年後において、原子力の可能性を、さまざまな見地から描いていた。
極端に言えば、たとえ、ヒロシマ、ナガサキ、さらには、第五福竜丸の被曝事故が起こったか否かにかかわらず、原子力開発は、この国においても、戦後進められていたはずである。
しかしこれらの出来事があったがゆえに、私たちは、いっそう複雑な心境で、原子力にかかわる事象と向かいあわざるをえないのである。
このねじれた態度こそ、「戦後」にとって本質的なものであるだろう。
こうしたねじれが生成され維持されてきた過程や動機なぢについては、すでに当ブログでも何度も書いてきたし、山本昭宏をはじめ、多くの論者によって描かれ続けてきた。
本書もまた、そうした問いを共有したものである。
吉見は、主に、以下の三つのトピックを本署で扱っている。
・18世紀以降の欧米ならびに日本における「電気」「電力」の表象史
・戦後に開催された原子力博の実態分析
・ゴジラとアトムの表象史(アトムは鉄腕アトムにかぎらない)
それぞれに、読みどころがある。、
最初の「電気」「電力」については、私も今、その原理から学び直しているところであるが、原子力を考える際には、やはり重要なテーマであると思う。吉見はこう言う。
「原子力の平和利用という、無色透明化された抽象イメージを、もっとも完璧に体現していたのは、電力である。」(39ページ)
つまり、原発を受け入れる、ということは、突然戦後にやってきたのではなく、電気を使った機器が社会や生活を彩り、電力が社会の重要なインフラとなったプロセスが先行して存在していたということが、重要である。
電力なくしては生きてゆけぬ社会にとって、原子力とは、不可避的であり、かつ、魅力的な選択肢であったことは、間違いない。
なぜ、原発を受け入れてきたのか、という問いに対して、ここで、「電力」の誘惑に負けたのだ、と答えておくことができるだろう。
さらにこれに、吉見は、この「電力」の誘惑だけではなく、加えて、「米国」によるさまざまな統治性を見ている。
つまり吉見は「戦後」とは、「戦争」の後の時代のことであるが、「戦勝国による統治」は、これまで脈々と続いているという現実を強調しているのである。
もちろん、米国による統治術の一つとして「原子力の平和利用」をとらえるのは重要ではあるが、それだけでは、半分しか物を言っていないに等しい。
吉見も述べているように、内発的な動機もまた、あったのであり、むしろこちらの方が、もっと分析すべきように思うが、吉見はとりあえずこの部分は保留して、本論に入ってゆく。
電気の章は、前半は欧米における歴史的変遷をたどっている。もちろんこの内容も興味深いが、ここでは省略する。後半では日露戦争以降の歴史を掘り起こしている。
1900年代に入ってから、それまでの小さな電力会社は、次第に統合され、大きな力を持ってゆく。
なんと現・関西電力(当時・大同電力」は福沢諭吉の娘婿の会社だったという。しかも設立したのは諭吉である。もちろん諭吉は、電力会社だけでなく、「紡績や鉄鋼、ガス、鉄道に手を広げていた」(109ページ)実業家である。
日本のみならず、よく知られているようにレーニンが共産主義の実現に電化が不可欠であると訴えた(第8回全ロシア・ソヴェト大会)ように、どの国においても、「電力・電化」の推進を重視していた。そしてこの流れはやむことなく、戦後にもつながっている、というのが吉見の主張であるが、いささかこの章は、散漫な印象をぬぐえない。
続いて、第II章だが、これは明日に続きということにしたい。
(なお、先日翻訳していたバーナウアーの論考であるが、これも近いうちに続きを行いたいと思います。)
夢の原子力――Atoms for Dream
吉見俊哉
ちくま新書
2012年8月
ひとこと感想
「原子力」をテーマに、カルチュラルスタディーズ(戦後政治文化史)を展開。類書が多いなかで際立った特徴は、米国メディアでとりあげられた「アトム」のあり方に焦点をあてている点、原爆以前の電気の表象を集めている点、原子力博を詳細に追いかけている点。
目次
序章 放射能の雨 アメリカの傘
第I章 電力という夢――革命と資本のあいだ
第II章 原爆から原子力博へ
第III章 ゴジラの戦後 アトムの未来
終章 原子力という冷戦の夢
よく知られているように、米国は、世界で最初に原爆を製造し、実際に2発、東アジアの島国にある地方都市に投下し、その威力を試した。
1945年8月のことだった。
戦闘員であるなしといった区別を一切問わずに、二つの地方都市を壊滅させた。
このことは、世界史的にみて、大変大きな出来事であることは疑いない。
1930年代から1940年代においてヒトラー率いるナチによって行われたユダヤ人に対する行いに匹敵する(いや、いずれも比較できるものではないが)出来事である。
そう、私たちは、原爆によって、これまでにない殺戮の姿を垣間見た。
それゆえ、その後、長きにわたって、原爆に対する厳しい態度をとり続けてきた。
しかし同時に、私たちは同じ「原子力」でありながら、原子力発電所に対しては、積極的に受け入れ、それを「糧」として「戦後」を歩んできた。
もっと分かりやすいスローガンは、「原子力の平和利用 Atoms for Peace」である。
原子力の軍事利用の結果、敗戦となった国に、こうした言葉を投げかけるのは、どう考えても、戦略であって、「やさしさ」や「気づかい」であるはずがないのは確かである。
さまざまな思惑があったことが、判明している。
しかし、それでも、私たちは、この提案を拒絶はしなかった。むしろ、積極的に受け入れた。吉見も書いているように、米国からのこうした「圧力」がなかったとしても、科学者たちやその他の人びとは、1945年後において、原子力の可能性を、さまざまな見地から描いていた。
極端に言えば、たとえ、ヒロシマ、ナガサキ、さらには、第五福竜丸の被曝事故が起こったか否かにかかわらず、原子力開発は、この国においても、戦後進められていたはずである。
しかしこれらの出来事があったがゆえに、私たちは、いっそう複雑な心境で、原子力にかかわる事象と向かいあわざるをえないのである。
このねじれた態度こそ、「戦後」にとって本質的なものであるだろう。
こうしたねじれが生成され維持されてきた過程や動機なぢについては、すでに当ブログでも何度も書いてきたし、山本昭宏をはじめ、多くの論者によって描かれ続けてきた。
本書もまた、そうした問いを共有したものである。
吉見は、主に、以下の三つのトピックを本署で扱っている。
・18世紀以降の欧米ならびに日本における「電気」「電力」の表象史
・戦後に開催された原子力博の実態分析
・ゴジラとアトムの表象史(アトムは鉄腕アトムにかぎらない)
それぞれに、読みどころがある。、
最初の「電気」「電力」については、私も今、その原理から学び直しているところであるが、原子力を考える際には、やはり重要なテーマであると思う。吉見はこう言う。
「原子力の平和利用という、無色透明化された抽象イメージを、もっとも完璧に体現していたのは、電力である。」(39ページ)
つまり、原発を受け入れる、ということは、突然戦後にやってきたのではなく、電気を使った機器が社会や生活を彩り、電力が社会の重要なインフラとなったプロセスが先行して存在していたということが、重要である。
電力なくしては生きてゆけぬ社会にとって、原子力とは、不可避的であり、かつ、魅力的な選択肢であったことは、間違いない。
なぜ、原発を受け入れてきたのか、という問いに対して、ここで、「電力」の誘惑に負けたのだ、と答えておくことができるだろう。
さらにこれに、吉見は、この「電力」の誘惑だけではなく、加えて、「米国」によるさまざまな統治性を見ている。
つまり吉見は「戦後」とは、「戦争」の後の時代のことであるが、「戦勝国による統治」は、これまで脈々と続いているという現実を強調しているのである。
もちろん、米国による統治術の一つとして「原子力の平和利用」をとらえるのは重要ではあるが、それだけでは、半分しか物を言っていないに等しい。
吉見も述べているように、内発的な動機もまた、あったのであり、むしろこちらの方が、もっと分析すべきように思うが、吉見はとりあえずこの部分は保留して、本論に入ってゆく。
電気の章は、前半は欧米における歴史的変遷をたどっている。もちろんこの内容も興味深いが、ここでは省略する。後半では日露戦争以降の歴史を掘り起こしている。
1900年代に入ってから、それまでの小さな電力会社は、次第に統合され、大きな力を持ってゆく。
なんと現・関西電力(当時・大同電力」は福沢諭吉の娘婿の会社だったという。しかも設立したのは諭吉である。もちろん諭吉は、電力会社だけでなく、「紡績や鉄鋼、ガス、鉄道に手を広げていた」(109ページ)実業家である。
日本のみならず、よく知られているようにレーニンが共産主義の実現に電化が不可欠であると訴えた(第8回全ロシア・ソヴェト大会)ように、どの国においても、「電力・電化」の推進を重視していた。そしてこの流れはやむことなく、戦後にもつながっている、というのが吉見の主張であるが、いささかこの章は、散漫な印象をぬぐえない。
続いて、第II章だが、これは明日に続きということにしたい。
(なお、先日翻訳していたバーナウアーの論考であるが、これも近いうちに続きを行いたいと思います。)
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