思考の前提
フーコーが遺した重要な概念の一つである「バイオ・パワー」。もちろん、バイオのパワーと言っても、洗剤の話ではない。私たちの生存、社会、の話である。フーコーは1975年に『監獄の誕生』において一望監視装置とともに「ディシプリン(調教=訓育)・パワー」を強調したが、それからわずか1年後に『性の歴史』においては、人口まるごとを生物学対象としてとりあつかうことを「バイオ・パワー」とみなした。この両者は相関しており、『言葉と物』(1966年)において述べられた、私たちは近代において「人間」となった、というフーコーの言い分を補強するものである。
ところが当時、フーコーのこうした「パワー」論は、「権力」論という文脈において議論されたため、「ディシプリン・パワー」が管理社会批判として活用される一方で、「バイオ・パワー」については、十分な展開がなかった。それが1990年代頃より、「ディシプリン・パワー」よりもむしろリアリティのある概念として、にわかに「バイオ・パワー」に注目が集まっている。
しかし、これを言うならば、むしろ私たちにとっては、「バイオ・パワー」ではなく、「アトム・パワー」なのではないか、というのが、私の言い分である。
戦後以来、原爆被害、原発事故被害を経験してきた私たちが問うとすれば、「アトム」の「パワー」なのではないか。身体を不可視に貫き、遺伝子レベルにまで影響を及ぼす「アトム」の「パワー」は、「バイオ」以上に、私たちの日常、社会、倫理などに大きな影響を与えているはずである。もし与えてこなかったとすれば、それは、何らかの「操作」がなされてきたからではなかろうか。かつての「原爆」における「アトム」の「パワー」は、本来の「アトム」とみなされず、「アクシデント」として片づけられ、その後の「平和的利用」として「アトム」をオブラートに包みこみ、かろうじてうまくやってきたのが、戦後だったのではなかろうか。
2011年3月11日。その日を境に、この神話は幻想となった。私たちは、ようやく「アトム」の「パワー」というものを目の当たりにした。それは、単に強い放射能を浴びると即死するというだけのことではない。自分たちが「アトム」の「パワー」という現実に生きていることを知ることとなったのである。不可視であり、無臭であり、不可触であるにもかかわらず、拡散ははてしなく地球全体を覆い、その影響は世界史の次元をこえ、人類史、地球史において考察せねばならぬほど長期にわたる。この事実のなか、私たちは、そして私たちの子孫は、生きることになる。これは、一過性のものではない。日常として、暮らしとして、生活として、毎日続くことである。そしてそれこそが、この「バイオ・パワー」の特性なのである。
にもかかわらず、一部の知識人、政治家、マスコミ、そしてSNSなどに書き込みをする人たちは、この重大な変化、転換を、真剣に考えようとせずに、事故の収束、事態の安定化などをいともたやすく語りはじめている。
だが、忘れてはならない。「アトム」の「パワー」が張りめぐらされている時代は、今はじまったばかりであることを。安心したい気持ち、元の日常に戻りたい気持ちは、分からないでもないが、もうかつてのような安心は帰ってこないということを、もう元の日常には戻れないということを、私たちは、一時たりとも忘れてはならないのである。それだけが、私たちができる、この事故に対する責任のとり方である。
そう考えつつ、「バイオ・パワー」を読んでいると、奇妙なことに気づく。
むしろ、欧米人たちは、これを「アウシュヴィッツ」へと引き寄せる傾向にあるのである。もちろんフーコー自身がナチズムならびにヒトラーについて言及もしている(『性の歴史』第1巻188ページ)ので、それが誤りだとは言わないが、同時にフーコー自身が、「核兵器下の状況」(174ページ)についてもふれているということは、きわめて重要である。一体どうして、こうした強調点の移行、もしくは、一部の忘却を招いているのであろうか。そう思いつつ、今一度、フーコーとナチズム、もしくはナチの純潔という倫理とは一体どういうもので、それが「バイオ・パワー」とどうつながっているのかを確かめるべく、バーナウアーの論考「生死の彼岸――ポスト・アウシュヴィッツの倫理」を読んでいる次第である。
昨日の概要
バーナウアーのフーコー論である「生死の彼岸」という論考を翻訳。ナチの蛮行をニヒリズムや道徳破壊ととらえずに、一つの倫理として把握することが重要である。それは私たちも彼らと同じ倫理を共有しているからである。一例としてヒムラーの有名な演説をとりあげる。
(以下、昨日のつづき)
ナチの時代を理解するにはさまざまな困難さがつきまとうが、そのうちの一つとして、彼らの暴力的な行為が、ヒトラー以前のドイツ文化における道徳や宗教の伝統と、どういった関連性をもつのか、という問いにはなかなか答えられない。
両者には根源的な不連続性がある、と主張する研究者もいれば、この関係に一定程度以上の連続性をみる場合もある。私としては、いずれかという判断をここでするのは避けたい。
しかし、彼らの倫理を問おうとするフーコーの分析が、少なくとも、ナチズム初期における宗教的(伝統的)倫理から、キリスト教を脱したナチの倫理への転換における具体的な特徴のいくつかを明らかにしてゆくうえで、かなり本質的な貢献をするであろう。
先述したヒムラーのケースについては、あくまでも一例にすぎないが、こうした事例は非常に重要な意味をもっていると私は考える。
ヒムラーの倫理を下支えしていたもの、それは、生存闘争(der Kampf auf Leben und Tod)である。この考えは、一方では、北方人種(ノルディック)の血の優越性を強調し、もう一方では、劣勢人種の死すべき宿命を語るものであり、この両者が巧みに結びついている。
生存闘争は、どの民族が生き延びるか、どの民族が死に絶えるのか、その淘汰が目的である。ヒムラーはこうも言っている。
「我々には道徳的な権利がある。我が民族に対する義務がある。それは、我々を滅ぼそうとする民族を滅ぼす、ということである。」
国家社会主義が理性に傅いたものであらねばならない、それゆえ理性こそが、最後の言葉である、というヒトラーの要求をふまえつつ、ヒムラーは、人種理論などで行き渡っている自然史的法則に絶対的に服従したのである。
国家社会主義の倫理とは、応用生物学の一形態とみなされる。
ヒムラーの倫理の禁欲性は、義務と服従を旗印にした、整然たる規律をもった親衛隊の編制にだけあったのではない。むしろ、虐殺行為というものが、自分たちの生物学的な意味での「生命」を向上させるための道徳的命法だったという点にこそある。
ある民族が優生学(eugenics)によって優秀性を認められたということは、他の(劣った)民族を安楽死(euthanasia)させてやらねばならない、という(道徳的)義務をももつということである。
ナチの反ユダヤ主義はすべて、歴史、生命の復活、死の克服のための、生物学的純潔化を徹底させるという目的を達成するためのものだった。
ナチ以前の宗教的、人道的価値観が、ナチの倫理の一部に含みこまれているとはいえ、大きな違いとして、一点だけ指摘しておきたい。それは、この倫理の「目的」(テロス)、つまり、生命を純潔にしたいという熱意である。
もちろんこの熱意には、さまざまな宗教的な意味づけがなされている。
ヒムラーがまだ若かりし頃に書いた日記には、この、宗教的純潔の理想が人種の純化というナチの使命に転換した跡がある。
フーコーの研究からみれば驚くことではないが、ヒムラーがこうした転換をすることになったのは、セクシュアリティーに対する葛藤が原因である。
道徳的掟と倫理的要請との次元の違いもしくはその移行にかんする私たちの問いに再びもどるならば、フーコーによって私たちは、ここに、一貫した自己に対する関係性の様式を構成するさまをみることができるし、また、ヒムラーの性格に刻印された道徳的任務というものを把握することもできる。たとえ、言明された道徳的原則の水準において総体的な転換があったとしてもである。
確かにヒムラーは、宗教的な確信を失ったことによって、カトリックにおける性の純潔に対する教えとの長い葛藤を終えた。
その終焉は、道徳的理想を人種的プログラムへ移行させる、単なるはじまりだった。そしてまた、このはじまりは、表向きの原則が理解をこえて変化したとしても揺るぎない倫理の様式を生み出しもした。
救済か破滅か、その分岐点が、かつては、ヒムラーのセクシュアリティーとの葛藤の物語であったとするならば、彼がその後に夢中になったのは、人種の純潔か、退廃か、の二択であっただろう。
(つづく)
フーコーが遺した重要な概念の一つである「バイオ・パワー」。もちろん、バイオのパワーと言っても、洗剤の話ではない。私たちの生存、社会、の話である。フーコーは1975年に『監獄の誕生』において一望監視装置とともに「ディシプリン(調教=訓育)・パワー」を強調したが、それからわずか1年後に『性の歴史』においては、人口まるごとを生物学対象としてとりあつかうことを「バイオ・パワー」とみなした。この両者は相関しており、『言葉と物』(1966年)において述べられた、私たちは近代において「人間」となった、というフーコーの言い分を補強するものである。
ところが当時、フーコーのこうした「パワー」論は、「権力」論という文脈において議論されたため、「ディシプリン・パワー」が管理社会批判として活用される一方で、「バイオ・パワー」については、十分な展開がなかった。それが1990年代頃より、「ディシプリン・パワー」よりもむしろリアリティのある概念として、にわかに「バイオ・パワー」に注目が集まっている。
しかし、これを言うならば、むしろ私たちにとっては、「バイオ・パワー」ではなく、「アトム・パワー」なのではないか、というのが、私の言い分である。
戦後以来、原爆被害、原発事故被害を経験してきた私たちが問うとすれば、「アトム」の「パワー」なのではないか。身体を不可視に貫き、遺伝子レベルにまで影響を及ぼす「アトム」の「パワー」は、「バイオ」以上に、私たちの日常、社会、倫理などに大きな影響を与えているはずである。もし与えてこなかったとすれば、それは、何らかの「操作」がなされてきたからではなかろうか。かつての「原爆」における「アトム」の「パワー」は、本来の「アトム」とみなされず、「アクシデント」として片づけられ、その後の「平和的利用」として「アトム」をオブラートに包みこみ、かろうじてうまくやってきたのが、戦後だったのではなかろうか。
2011年3月11日。その日を境に、この神話は幻想となった。私たちは、ようやく「アトム」の「パワー」というものを目の当たりにした。それは、単に強い放射能を浴びると即死するというだけのことではない。自分たちが「アトム」の「パワー」という現実に生きていることを知ることとなったのである。不可視であり、無臭であり、不可触であるにもかかわらず、拡散ははてしなく地球全体を覆い、その影響は世界史の次元をこえ、人類史、地球史において考察せねばならぬほど長期にわたる。この事実のなか、私たちは、そして私たちの子孫は、生きることになる。これは、一過性のものではない。日常として、暮らしとして、生活として、毎日続くことである。そしてそれこそが、この「バイオ・パワー」の特性なのである。
にもかかわらず、一部の知識人、政治家、マスコミ、そしてSNSなどに書き込みをする人たちは、この重大な変化、転換を、真剣に考えようとせずに、事故の収束、事態の安定化などをいともたやすく語りはじめている。
だが、忘れてはならない。「アトム」の「パワー」が張りめぐらされている時代は、今はじまったばかりであることを。安心したい気持ち、元の日常に戻りたい気持ちは、分からないでもないが、もうかつてのような安心は帰ってこないということを、もう元の日常には戻れないということを、私たちは、一時たりとも忘れてはならないのである。それだけが、私たちができる、この事故に対する責任のとり方である。
そう考えつつ、「バイオ・パワー」を読んでいると、奇妙なことに気づく。
むしろ、欧米人たちは、これを「アウシュヴィッツ」へと引き寄せる傾向にあるのである。もちろんフーコー自身がナチズムならびにヒトラーについて言及もしている(『性の歴史』第1巻188ページ)ので、それが誤りだとは言わないが、同時にフーコー自身が、「核兵器下の状況」(174ページ)についてもふれているということは、きわめて重要である。一体どうして、こうした強調点の移行、もしくは、一部の忘却を招いているのであろうか。そう思いつつ、今一度、フーコーとナチズム、もしくはナチの純潔という倫理とは一体どういうもので、それが「バイオ・パワー」とどうつながっているのかを確かめるべく、バーナウアーの論考「生死の彼岸――ポスト・アウシュヴィッツの倫理」を読んでいる次第である。
昨日の概要
バーナウアーのフーコー論である「生死の彼岸」という論考を翻訳。ナチの蛮行をニヒリズムや道徳破壊ととらえずに、一つの倫理として把握することが重要である。それは私たちも彼らと同じ倫理を共有しているからである。一例としてヒムラーの有名な演説をとりあげる。
(以下、昨日のつづき)
ナチの時代を理解するにはさまざまな困難さがつきまとうが、そのうちの一つとして、彼らの暴力的な行為が、ヒトラー以前のドイツ文化における道徳や宗教の伝統と、どういった関連性をもつのか、という問いにはなかなか答えられない。
両者には根源的な不連続性がある、と主張する研究者もいれば、この関係に一定程度以上の連続性をみる場合もある。私としては、いずれかという判断をここでするのは避けたい。
しかし、彼らの倫理を問おうとするフーコーの分析が、少なくとも、ナチズム初期における宗教的(伝統的)倫理から、キリスト教を脱したナチの倫理への転換における具体的な特徴のいくつかを明らかにしてゆくうえで、かなり本質的な貢献をするであろう。
先述したヒムラーのケースについては、あくまでも一例にすぎないが、こうした事例は非常に重要な意味をもっていると私は考える。
ヒムラーの倫理を下支えしていたもの、それは、生存闘争(der Kampf auf Leben und Tod)である。この考えは、一方では、北方人種(ノルディック)の血の優越性を強調し、もう一方では、劣勢人種の死すべき宿命を語るものであり、この両者が巧みに結びついている。
生存闘争は、どの民族が生き延びるか、どの民族が死に絶えるのか、その淘汰が目的である。ヒムラーはこうも言っている。
「我々には道徳的な権利がある。我が民族に対する義務がある。それは、我々を滅ぼそうとする民族を滅ぼす、ということである。」
国家社会主義が理性に傅いたものであらねばならない、それゆえ理性こそが、最後の言葉である、というヒトラーの要求をふまえつつ、ヒムラーは、人種理論などで行き渡っている自然史的法則に絶対的に服従したのである。
国家社会主義の倫理とは、応用生物学の一形態とみなされる。
ヒムラーの倫理の禁欲性は、義務と服従を旗印にした、整然たる規律をもった親衛隊の編制にだけあったのではない。むしろ、虐殺行為というものが、自分たちの生物学的な意味での「生命」を向上させるための道徳的命法だったという点にこそある。
ある民族が優生学(eugenics)によって優秀性を認められたということは、他の(劣った)民族を安楽死(euthanasia)させてやらねばならない、という(道徳的)義務をももつということである。
ナチの反ユダヤ主義はすべて、歴史、生命の復活、死の克服のための、生物学的純潔化を徹底させるという目的を達成するためのものだった。
ナチ以前の宗教的、人道的価値観が、ナチの倫理の一部に含みこまれているとはいえ、大きな違いとして、一点だけ指摘しておきたい。それは、この倫理の「目的」(テロス)、つまり、生命を純潔にしたいという熱意である。
もちろんこの熱意には、さまざまな宗教的な意味づけがなされている。
ヒムラーがまだ若かりし頃に書いた日記には、この、宗教的純潔の理想が人種の純化というナチの使命に転換した跡がある。
フーコーの研究からみれば驚くことではないが、ヒムラーがこうした転換をすることになったのは、セクシュアリティーに対する葛藤が原因である。
道徳的掟と倫理的要請との次元の違いもしくはその移行にかんする私たちの問いに再びもどるならば、フーコーによって私たちは、ここに、一貫した自己に対する関係性の様式を構成するさまをみることができるし、また、ヒムラーの性格に刻印された道徳的任務というものを把握することもできる。たとえ、言明された道徳的原則の水準において総体的な転換があったとしてもである。
確かにヒムラーは、宗教的な確信を失ったことによって、カトリックにおける性の純潔に対する教えとの長い葛藤を終えた。
その終焉は、道徳的理想を人種的プログラムへ移行させる、単なるはじまりだった。そしてまた、このはじまりは、表向きの原則が理解をこえて変化したとしても揺るぎない倫理の様式を生み出しもした。
救済か破滅か、その分岐点が、かつては、ヒムラーのセクシュアリティーとの葛藤の物語であったとするならば、彼がその後に夢中になったのは、人種の純潔か、退廃か、の二択であっただろう。
(つづく)
- ハインリッヒ・ヒムラー/松永 祝一
- ¥1,260
- Amazon.co.jp
- ヒムラーとヒトラー―氷のユートピア (講談社選書メチエ)/谷 喬夫
- ¥1,680
- Amazon.co.jp